タチビな車 vol.16 知らぬ間の功績

現在 “バン(van)” といえばワンボックスタイプの貨物車のことをいう。国によって多少その認識範囲は異なるが概ね似たようなカテゴリーになっている。 因みに “van” の由来は “Caravan(キャラバン・古の隊商)” から来ているそうだ。今さらながらに知った・・。

貨物車・商用車であり基本的には4もしくは1ナンバーの車両のものを “バン” と呼び習わすことが多いが、5・3ナンバーの自家用自動車であっても、 “ミニバン” のように平成期以降 定着・慣習化した呼び方もある。 ”ミニバン” も当初は貨物車的な立ち位置であったが、その後は貨物よりも人間の登場者数やキャビン環境の向上に注力され、現在 メジャーな “一般乗用車” 的立ち位置となったのはご承知のとおり・・。

 

5〜6歳の頃だったか、街角で1台の奇妙な形の車を見掛けた。

親に聞くと「あぁ、あれはピックアップとか言うんだ。人もあまり乗れない、荷物も大して積めない中途半端な車だ」という。

マツダ・ファミリアだったかトヨタ・パブリカだったか よく憶えていない。もしかしたら同じピックアップでも四人乗りキャビンで、荷台部分がかなり小さなタイプの車だったのかもしれない。 なるほど・・と納得しながらも、何となくその個性的なスタイルが強く印象に残ったことだけ憶えている・・。

親の感覚や言ったことが当を得ていたかどうかはともかく、ピックアップはその後も 多少荷台部分の拡張を図りながら生き延びていった。代表的なところでは(いわゆる)”ダットラ” “サニトラ” 辺りが著名なロングヒットだったといえようか。

雨の多いお国柄のせいか、普通車の後部屋根を延伸した “ライトバン” や、マツダ・ボンゴなどに端を発した “ハコバン” タイプ。そして一般化を果たしてきた1〜2トン積みトラックに押されながらも、昭和50年代初頭位までは 時折その姿を見たものだ・・。

 

“できるだけ一度に多くの荷物を安全に運びたい” という理由だからだろうか? 町中で元気に走りつつも徐々にその数を減らしつつあった昭和47年(1972年)、新規発売されたのが『いすゞ・ファスター』である。 それまでのいすゞ製ピックアップ「ワスプ」の後を継いで登場した。

正直言って『ファスター』といっても「ワスプ」といっても、初めて聞くという人も少なくないのではなかろうか。商用車だし一般需要の少ないピックアップだし、その名が普及していないのも仕方がない。

初代と思われる「いすゞ・ファスター」エンブレムがシボレー仕様になっている気がする。

売れ行きの見込み低調であったにも関わらず、何故 新規開発・発売したのかといえば 基本 輸出向けである。国内では人気薄でも海外、北米やオーストラリア、東南アジアでは大きな需要があった。特にアメリカでは税制の都合もあってピックアップ・トラックは風土的なアイデンティティにさえなっている。 国内の一般乗用車市場であまり有利な立場といえなかったいすゞにとって、外貨の稼げる優等生ラインであったのだろう。

 

もちろん 国内向けにも販売はされていた。先代 “ワスプ” が同社 “ベレット” のキャビンを利用し やや古色然としていたのに対し(それでも見た感じはかなり良い)、同年発売のダットラ7代目(620)にも引けをとらないハンサムな顔立ち。キャビンベースとなったフローリアンよりも垢抜けていたのではないだろうか・・?

中期では「ジェミニ」っぽいフェイスとなっている。

シャーシー&足回りを強化し4WD化を果たしたバリエーションモデル「ファスター・ロデオ」をリリースしてからは、海外での人気も上昇し いすゞの屋台骨を支える一翼を担った。 1980年に二代目にバトンタッチする頃から さらに北米色を強め、カバードルーフを装備可能にするなどレジャー用途への対応も図り、後に花開くRVブームへの先陣を切っていた。

1988年、三代目となるに至って この「ロデオ」は4輪駆動モデル固有の名となり、2輪駆動の「ファスター」と分化された。

 

また二代目「ファスター」からは「ロデオ・ビッグホーン」も派生しており(1981年)、いうなれば後のSUVへの先駆けを いすゞが果たしていたということにもなろう。

初代こそ構成力不足に悩まされたものの、二代目ではパワートレイン・車体・足回り全てにスープアップを施し、紛う事なきクロスカントリーとなった。 パリ・ダカールラリーをはじめとした海外ラリーでの華やかな活躍も印象的で、この頃だったろうか、大きく意表を突いたCMが私の記憶にも明確に残っている。

・・に、してもだ。『ファスター』にしても『ビッグホーン』にしても、その能力・商品性・海外での評価に反して、日本国内においては常に端に置かれていたように思う。「ダットラ」「サニトラ」の名は知られていても「ファスター」は無名に近い。

日本のクロカンといえば先ずは「ランクル」であり、次いで「プラド」やバブル期にブレイクした「パジェロ」であり、「ビッグホーン」の名は後塵を拝する形になりがちである。

いすゞが国内での乗用車市場に今ひとつ注力していなかったこともあるが、両車の出来や歴史をみるに残念な気がしてならない。

『ファスター』は提携先であったシボレーや国内ホンダ・スバル向けにOEM車を供出しており、その優れた商品構成をベースに後年「いすゞ・D-MAX」というハイパーなピックアップ・トラックの開発に結びつけており、『ファスター』単体の車歴においても1972年から実に44年、2016年まで生産が続けられていたのだ。

クロカンに興味のない私にでも何か凄いな感が伝わってくる。

『ビッグホーン』は後に「いすゞ・ミュー」や「ウィザード」「ビークロス」開発の礎となっている。 トヨタ・クラウンでさえその時流に乗ろうとする現在、クロスオーバーの嚆矢とさえいえそうな先進性でもあったのだ。

 

車の出来自体は良かったのに・・、出す時代を間違えた車、ユーザー嗜好を読み間違えた車、時代や経済の波に翻弄された車など、悲喜交交に迷った車たちを扱う本稿 “タチビな車” だが、『ファスター』のように、そもそも国内で殆ど知られていなかった車もあるのだ。

しかし、『ファスター』がそして『ビッグホーン』が世界で担い残した功績は日本人が知らぬままに偉大であろうし、今も尚活動・愛用されている世界戦略車であったことは動かし難い事実であろう。

車好きの間でもオープンなカテゴリーである “クロカンファン” や “ピックアップマニア” にあっても、今一度『ファスター』や『ビッグホーン』をも顧みてほしいものだ。 え? もう顧みてる? さいでしたか・・。

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