いつの間にか “無かった子ちゃん” にされてしまった “ブロントサウルス” この子が初めて発見・採掘されたのは1879年、アメリカが経済発展に沸く最中、O.C.マーシュの手によるもの。

また、この2年前にマーシュは同種の巨竜化石を発見しており それを “アパトサウルス” と命名していた。`79年に発見した化石はそれと別種と判断したのである。
ところが 1903年頃、それら二種の化石は同じ恐竜のものであるとの研究結果が出され、先に命名されたアパトサウルスという名に統一されることとなったそうな。つまり私たち世代が目にする60年以上前にブロントサウルスの名は既に無かったことになる。
半世紀を超えて一般に周知されず 百科事典にまで堂々とその名が載っていたのは、古代化石というものに対する社会の興味が薄かったせいもあるが、学界における命名の確定性などに揺らぎがあった背景も伺われる。
1903年の命名変更の時点でマーシュは既にこの世の人ではなかったが、存命中、発掘成果を次々と発表していた頃は 同じ古生物学者であるE.D.コープとの間で壮烈な競争を繰り広げていた。実際は競争というより双方、超の付く泥仕合である。
自らの手で発見できる化石は限られるため、発見者に賄賂を贈って発見権もろとも化石を買い取る・・などは序ノ口で、相手の化石取得物を手を尽くして奪い取る、破壊する、活動を妨害する。相手に支援者(スポンサー)が付かないよう、その発表論文にケチを付けて触れ回る。手段を選ばぬ抗争は「化石戦争」とも「骨戦争」とも呼ばれ その界隈を賑わしたそうな・・。
意地か、名声か、あるいはその先の富か・・およそ、科学者のすることか? と呆れてしまうが、当時はそんな塩梅だったらしい。結果的に二人とも資金繰りに行き詰まり破産の道を辿った。 誠バカバカしい事この上ない顛末だが、彼らが膨大な発掘と化石採集を続けたことが、後の古生物学の発展に大きく寄与したのも事実・・という歯痒い話でもある。
YouTube 英語版 右下[設定]から[字幕][自動翻訳][日本語]である程度理解可能。因みに左がマーシュ。右がコープ。
マーシュもコープも世を去った後だが、彼らの功績とともにその成果取得の是非も少なからず受け継がれているのではなかろうか?
1979年にアメリカで発見された竜脚類の骨格、1983年に韓国で発見された同骨格は互いに史上最大の恐竜化石であることを主張して “ウルトラサウルス” の名を使用したが、結果それぞれに鑑定の錯誤が露呈しながらモメた挙げ句、ウルトラサウ(ル)ス、ウルトラサウ(ロ)スの紛らわしい名で公称化を目指していたが、未だ確定には至っていない。
それどころか、この頃にはそれまでに言われていた恐竜の棲息環境「ブロントサウルスなどの巨竜は、その巨大な体・自重を支えるために湖沼など半水浴状態で生活する」も完全に否定されていた。
あの百科事典の記載は何だったんだ・・w?
そして2015年・・。またしても「ブロントサウルスとアパトサウルスは別種である」との研究結果が発表されマスコミの耳目を集めた。 いうなれば 懐かしき “ブロントサウルス” の復活であり帰還でもある。 ・・おかえり! と言いたいところだが、残念ながらこれとてまだ確定事項ではない。再分類に対する反対意見も厳然と存在するからである。
ご存知だと思うが近年の恐竜の姿には、その体表に羽根が生えている絵図が多い。恐竜の骨格に鳥類との類縁性が認められるが故らしいが、出来そこないの七面鳥のごとき羽毛をまとったティラノサウルスの姿は何とも珍妙に見えてならない。 それが事実であったとしてもだ・・。
何にしたところで、こんなサイトの小記事が、無学な人間のつぶやきでしかなく何の意味を持つものでないのは承知なのだが・・。
偉い学者の先生方が一生懸命研究したことでも、時に全く異なる結論に姿を変えるところを見るにつけ、人の知識の有限さを思わずにはいられない。 前編冒頭で触れた宇宙の話でも(記憶が曖昧で恐縮だが)昔、それまで言われていた直径10万光年が実は100万光年ではないかと取り沙汰されていた記憶があるのだ・・。
研究も科学の発展もそれはそれで大切なことは言うまでもないことだし、その恩恵に浴して生きているのも確かなのだが・・、どうなんだろうなぁ・・。一億年前のことが確かになり百万光年彼方のことが顕になることなんてあるのだろうか・・?
せめて名さえ不確かな旧友に、安らかなしとねが もたらされる事を願うばかりである。