雷竜のしとね−前

秒速122km・・、時速にすると439,200km/h。音速に換算するとマッハ358・・。 さっぱりイメージできない速さだが・・。

何なのかというと、地球から(正確には銀河系から)230万光年離れた位置にあるアンドロメダ星雲が、実は銀河系星雲に近づきつつあるようで、その接近速度が上記の数値なのだそうな。

マッハ1〜3で飛ぶ音速戦闘機が比較的低空を通過したとき、地上建造物の窓ガラスなどが その衝撃波で軒並み割れる動画を見たことがあるが、マッハ358・・って、どんなんやねん・・? 因みに今のままだと約40億年後に両星雲は衝突し、その30億年後にはひとつの銀河星雲へと融合してしまうのだとか・・。 何事も準備は大事、気になる方は早めに対策を練られるが良かろうw。

 

まぁ、天文学的数字なんてものは大体こんな感じだろうし、”太陽の数千倍” とか言われても、”とってもデカいんだろうな” 程度のイメージしか抱き得ない。チリほども想像の追い付かないスケールの大きさが、また天文学の魅力でもあるのだろうし、こういったSFチックな話は私も嫌いではないが・・。

ともあれ、頭脳明晰な科学者たちが巨額な費用を投じて構築した機材を使い、長年に渡って研究した結果のひとつなのだろうから、おそらくは正しい予測なのだろう。 少なくとも この件に関しては・・40億年後ならまぁいいか・・な気がしないでもない。多分その頃は人間なんて居ないだろうし・・。

言い換えれば 結果の正否を確認しようもない案件・・とも言えようか。

科学(化学なども含めて)の歴史と問われれば、古代文明を起源と捉えるなら数千年、近代科学として考えるならば2〜3百年といったところだが、その中には、こうした ほぼ永遠に答えの検証が出来ない研究も少なくないのである・・。

 

昭和も40年代中盤、この頃になると生活物資の充実とともに、子供に対する教育熱も盛り上がりを見せていた。 子供がまだ多かった時代、来たるべき競争社会に打ち勝つためには、より高学歴を!といった塩梅。 子供相手の教育関連会社が賑わったのも当然の流れであろう。

子供のため・・というより、我が子の未来を案じる親のため? この頃 流行ったのが「百科事典 全集」の販売である。 お値段の方は知らないが、当時の一般所得からすればかなり高額だったのではなかろうか? 一括での買い取りには無理があり “月賦” で購入していた家が多かったように思う。

まぁこれには 単に教育熱だけの話ではなく、平均化を欲する日本人独特とでもいうか、他家が買うなら何とかうちも・・という当時の、良くいえば上昇志向、悪くいえば価値観念のおかしいイケイケ時代の一面とも言えるのだが・・。

高度成長期・・とはいえ、さほど余裕のない月々の収入を割き月賦の支払いに充ててゆく親たち・・。

翻って、子供たちの方はというと、およそ10巻前後からなる全集を、ほぼ満遍なく目を通し向学に役立てた・・という子は、稀有な存在だったのでは・・と思えてならない。

考えようによっては平成時代に子育てをした自分たちも、多かれ少なかれ似たような構図を描いていたのだろうが・・。

 

とはいえ、百科事典の効用が完全にゼロだったのかというと そういう訳でもない。

正確には憶えていないが、5巻と6巻だったか・・。おそらくは「科学」を扱った巻と「動物」を扱った巻だけは何度も開き、それなりに楽しんでいたように記憶している。 特にお気に入りは原始時代の恐竜たちが描かれた箇所で、開き見ては その威容に目を奪われていた。

私が子供の頃の人気恐竜といえば、実のところ、後年に恐竜の王として扱われる “ティラノサウルス” ではなく、いわゆる “雷竜”と呼ばれる首の長い四足巨竜であったように思う。名を “ブロントサウルス” と称した。 これは当時 放送されていた特撮番組「怪獣王子」の主人公タケルの相棒恐竜に、ブロントサウルスが当てられていたことからも伺い知れよう。

ティラノサウルスも知られていたはずだが、今ひとつ記憶に薄い。肉食ゆえに乱暴者、対してブロントサウルスは草食ゆえに優しい性格、ティラノは「マグマ大使」登場の「アロン」的立ち位置、ブロントは子供たちの仲間「ガメラ」的立ち位置に封じられていたのだろうか・・? そういえば その20数年後に見た映画「ジュラシックパーク」でも似たような描かれ方だった。

ともあれ、当時の “怪獣ブーム” も手伝って、何かと親しみを感じた百科事典の中の恐竜、そしてブロントサウルスであったが、・・ところが、時が経つに連れ どうも腑に落ちない事態を迎えることとなる。

 

いつの頃からか、あれだけ著名であったはずの “ブロントサウルス” の名が聞かれないようになった。

中学生の折、大阪長居公園の “大阪市立自然史博物館” で恐竜博があったときだろうか。 展示はともかく、関連して書籍など何がしか調べたときもブロントサウルスの名は無く、”アパトサウルス” であるとされていた。 一部の本では “ブラキオサウルス” “ディプロドクス” なども近縁種として載せられている・・。

挙げ句、そのまた数年後に見た本では “アパトサウルス” と “ブロントサウルス” は、同じ恐竜の骨を別々の考古学者がそれぞれに発見したもので、命名権先取の関係で “アパトサウルス” が正しいとされていた。 その上、これらよりさらに巨大な近縁種の骨が近年見つかり、近々 “ウルトラサウルス” と命名される予定でもある・・とも書かれていた。

何か よく分からないうちに “ブロントサウルス” は “無かった子ちゃん” 扱いにされてしまったのである。

そして、彼らの悲劇はそれだけに留まらなかった・・。

ゴメンナサイ、一回で終わらなかった。後編へ続くのココロだ~!(小沢昭一風)

 

 

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