「日立の樹」というのが正式な曲名であるらしい。その歌い出しの歌詞から一般的には「この木なんの木」の方が通りが良いかもしれない。1973年(昭和48年)以来 半世紀に渡って “日立グループ” を象徴するイメージソングである。 因みに以下動画はフル歌詞バージョンである。
未知であるが故、未来に無限の可能性を信じて疑わなかった時代の夢と希望に溢れた名曲でもある。 時の花形でもあった “家電メーカー” は当時こぞって各社各様のCM / イメージソングを謳歌していたが、その中でも長命かつ長く人々の記憶に残る出色の一曲ともいえよう。
未来に向けて颯爽と歩むかのごとき 明るいテンポの歌唱は『ヒデ夕樹』(ひでゆうき)/ 朝コータロー / シンガーズ・スリーによるものである。(「日立の樹」には他の方の歌唱バージョンもある)
ヒデ夕樹は ’70年代〜’80年代に活躍した歌手である。持ち前の声質・声量で聴く者の耳と心に確かな足跡を残したが、歌謡曲のような分野でのヒット曲が無かったため、その認知度は限られていたといえようか。
そんな彼の歌唱を初めて聴き、名を知らぬまでも深く心に刻み込まれたのが この一曲・・。
限られていた認知度とはいえ、彼の仕事の多くはアニメ・特撮作品の主題歌・随伴歌、CMの歌に残されたので、業界にあって その技量は引く手あまたであっても、世間的に名が広まるには足らなかったのかもしれない。この “地上の音符” に引き合う御仁でもある。
その明るく覇気に満ちた声質、そして「日立の樹」のイメージから、ややもするとセミロングヘアーなど ’70年代の颯爽とした若者の姿を思い浮かべ勝ちだが・・。
御本人は元々ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)志向の実力派シンガーであり、外観としてもそうした “熱さ” を感じさせる出で立ちであった。 どちらかというと、後年の “シャネルズ(ラッツ&スター)” に混じって歌っていても全く違和感のない風采であるw。
しかして、彼の歌声は以下の作品などを通して今も変わることなき光彩を放っている。
’70年代〜’80年代の活躍に比して、その後は露出も減り平成の時代 1998年の冬、ひっそりとその生涯を閉じた。58歳という若さだった。酒好きが嵩じて若いうちから肝臓を害していたという。
如何なる歌でも確実に歌いこなし、その歌の魅力を充分以上に引き出してしまう歌唱力はアニメソング以前、グループポップス時代に培われたものか。確固たる土台の上に築かれた声は時代を超えて届くものの、その早過ぎる終焉は惜しみて余りある。
せめて、後10年 活躍を続けていれば、ささきいさお や 水木一郎らとともに、日本のアニメシンガーTOPの一角を担う重鎮となっていたかもしれないと思うと残念極まりない・・。
そもそも その生き様自体 中々に破天荒で、自らが信じた道を貫き通すスタイルは独特であったともいう。
以前、お伝えした「映像の幕間のアイドル」でも触れたように、有り余る能力を持ち、人並みを超えた努力を重ねながらも、多くを得られなかった、一時の明星に潰えた才人は枚挙に暇がない。
彼らが残すのは栄光の事跡ではなく、語り継がれる歌声のみ・・なのである。