今から一年半前「一本の線」というトピックを上げた。
「彼が 白い画用紙のまん中にスーッと一本、鉛筆で横に線を引くと、すでにそれは大平原と空を分かつ地平線なのであった」
同窓の志であり “漫画界の三派全学連” 戦友でもあった “東海林さだお” に、そう言わしめた「園山俊二」と氏による作品「はじめ人間ギャートルズ」に関する記事であった・・。
ん〜・・、そう考えると 本日の記事は、それの焼き直しになってしまうような気もするが・・、まぁ良かろう、リライト記事もちょくちょく載せていることだし・・。ここんところの暑さでメゲ気味の状態、一応、完全新規記事なのでお許し願いたいw。
要するに「ギャートルズ」の現代版・・と言ったら あまりに短絡な表現だろうか・・。
『花の係長』である。(テレビアニメ版では途中から「まんが 花の係長」になったらしいが、よく憶えとらん・・)

本日の題名 “麻朱麿呂” が、中小企業に勤める主人公 “綾路地麻朱麿呂(あやのろじ ましゅまろ)” から来ていることは言うまでもない。 中年サラリーマン、女房、子持ち、典型的な中産階級であり・・同時に労働者階級でもある。 意外でもあるが、その特異な姓のごとくご先祖は “華族” だそうな。
日々 仕事に追われている。基本的には一生懸命だが要領の良い方ではない。 ある程度マジメ、ある程度不マジメ、ある程度克己的、ある程度欲望に忠実、ある程度熱血で ある程度ダラけたところもある。酒飲んで騒ぐのも好きだが、時に妙にしんみりともする。
38歳という設定にあっても新しい物事には些か疎く、若い連中の話題・思考には何かとついて行けないことも多い。部下の面倒見は良い方だが、いわゆるオヤジ臭い感覚の言動で煙たがられることも少なくない。機械など触るのは苦手なのか、自動車免許も未取得であったように記憶している。
家に(確かアパート)帰れば 愛妻と年端のいかぬ子供が待っている。恋愛結婚であり、時折り喧嘩などするものの夫婦仲は決して悪くない。
以上、つまるところが “絵に描いたような昭和のお父さん” であった。 ”漫画界の三派全学連”「東海林さだお」「福地泡介」そして「園山俊二」三人とも、基本 社会派娯楽路線なので、こういった “何処にでも居そうな人物” は彼らのメインキャストでもある。

言い換えるなら「ギャートルズ」に登場する “父ちゃん一家” も、原始時代における “何処にでも居そうな家族” であり、”原始時代を代表する家族” でもあったわけだ。
子供が見ても楽しめる作品を志向した「ギャートルズ」ゆえに、その表現は牧歌的で、「花の係長」に見られるようなペーソスは滲ませないが、彼らは “自由” とともに “死と隣り合わせ” の時代を生きる家族。 ”麻朱麿呂” or “父ちゃん” どちらが より気楽な人生なのかは本人のみぞ知るところであろう・・。
この「花の係長」という作品、テレビアニメとして放送されていたのは知っていたが、視聴したのは2〜3回のみで、私は雑誌掲載の漫画の方を読んでいたことの方が多かった。 雑誌名は憶えていなかったが、調べてみると「週刊ポスト」(小学館)とある。何故 身近にあったのだろう? これもまたよく憶えていないが・・、成年雑誌は何となくそこいらに置かれている・・というやつだったのだろうか?

気楽で苦労性で、頑固なくせに感化されやすい昭和のオヤジ。
当時38歳、ということは要するに私たちの親の世代ということでもある。 “綾路地麻朱麿呂” 今も壮健なら御歳85歳、とうにリタイアして後期高齢者真っ只中である。
・・が、まぁあのオッサンなら、ゴチャゴチャ言いながらも何とか楽しくやっているだろう。奥さんのヨーコさんとも何とか仲良くやっているのだろう。
そう思わせてくれるのが、園山俊二の描く『花の係長』だったのだ。
支給された賞与にふと一抹の虚しさを感じ、一晩でそれを全て遊び使い切った挙げ句、奥さんに一時里に帰られてしまう係長。
同僚女性社員に手を出した挙げ句、石の水子地蔵を彫らされる羽目になった部下社員を手伝ってやる係長。
部下を叱り過ぎて上司から精神修養をと促され、そのために自動車教習をと通ったものの、そこでさらに荒れて自己嫌悪に陥る係長。
親会社から業績指導にやって来た若手エリートに皆がうつ向く中、ビニール袋に集めた汗を嗅がせ 説教を講じる係長。
珍しく接待される側で出張した北海道、接待キャバレーで女の子にモテようと張り切るも、パッチ履きがバレて残念な係長。

・・現代では “漫画だから” という言い訳さえ通じず、非難を浴びそうな内容散々だが、これらはみな漫画どころか昭和の実際社会のデフォルメでしかない。昭和の男たちの多くはこうして生き、そして、こうして世の中を動かしていたのだ。
そこには、スマートな現代の感覚では推し量れない 泥臭さとバイタリティと、そしてささやかな哀愁が息づいている・・。太古にまで連なる愛すべき昭和のオヤジたちの姿なのだ。