5階の機関銃

学生時代、アルバイトに行っていたのが「ニチイ」だった。
「ニチイ」と言って どれだけの人が「あぁ、あのジャンボストアの・・」と思い出されるか分からないが・・。 衣料品を扱う大阪発祥の企業といわれるが(一説には “日本衣料” の訳とも)全国展開だったのだろうか。

私が通っていたのは市の中心地・繁華街にあった店鋪。総7階建て、一時は最上階にボーリング場も抱えていた。 繁華街・・アーケード街もあって休日は押すな々々の賑わい、「ジャスコ」もあったが「ニチイ」よりもずっと小規模な造り。・・まさか その30年後「ニチイ / マイカルグループ」を吸収するまでに成長するとは・・。(イオングループ)

・・ジャンボストアなんて言葉も今は死語であろう。当のニチイはジャンボストアというより見た目 “百貨店” に近い形態であった。具体的にどう違うのか分からないのだが、(主に呉服商を端緒とする)格式と品質を重要視する百貨店に対し、スーパーを土台とし安価販売を基本とするストアの違いだろうか・・?

 

子供の頃は そんな違いなど気に掛かろうはずもない。そもそもジャンボストアなどというものは無く、小売店鋪か公設・民設市場か百貨店かだった。 ”百貨店に行く” ということは それだけで大きなイベントだったのだ。

昭和30年代当時の名古屋・名鉄百貨店

(店鋪によって色々だとは思うが)、百貨店の場合、多くは地下に食料品売り場、1階に化粧品売り場を設置している。どちらも匂いに対する制御が理由らしい・・。 2階3階4階に上がるに連れ衣料品や家庭用品の扱いとなる。

そして “5階” 、エレベーターなら胸踊る、階段なら上る足も速くなる。「玩具(おもちゃ)売り場」があるからだ・・。

 

買ってもらえるかどうかは問題ではない。そこはそれだけで “夢の国” である。 プラモデルもある、ミニカーもある、ボードゲームもある、大きなスロットレースも置いてある、興味はないが女の子向けの人形やぬいぐるみもある。時によってはフロアの中央付近に、大量のバラ売り飴を乗せたキャンディスポットも設置されていた。

少なくとも7~8歳位までの子供なら この状況でテンションが上がらぬはずもなかろう。 親にとって必要な物だけでなく、全ての階を周って購入に結びつけてもらうべく、子供向けの玩具売り場やレストラン、屋上遊園地を高層階にもってきた、百貨店の思惑がよく見える・・。

そんな “夢の国” で一度、目を疑うようなものを見たことがある。

子供の目を引く鮮やかな彩りの品々が、所狭しと並べられた商品棚の上に、バイポッド(2脚式銃架)も装備された鈍色の機関銃が鎮座していたのである・・。

子供の玩具なんて平和の象徴のような場所に そんなものがあるはずもない・・。

いや、それはまぁ(私が好きだった)戦車のプラモデルや、チョイお兄さん向けのモデルガンなど、見ようによっては物騒なものをモデル化した玩具もあるにはあるのだが、あくまでそれらは通常の認識に収まる範囲での玩具の一種であった。

しかしその(子供はおろか大人でさえ容易に触れない、棚の高い場所)に据え付けられた機関銃は、明らかに場違いな・・そして威圧的なオーラを放っていた。

 

『GIジョー(ジーアイジョー)』の販促ディスプレイだったのだと思う。 その機関銃の周囲には関連商品が並べられていたのだから・・。

『GIジョー』とは 大戦中のアメリカ兵をモデルにした伝記映画であり、それを元に作られたアメリカ発の男児向けの人形である。 昭和40年代 日本にも輸入されテレビCMも展開されていた。 当時の輸入テレビドラマ「コンバット!」の影響もあったのか人気も高かった。

男児向けの玩具ゆえに 女児向け人形と異なり、華々しい着せ替えやデコレーションといった用途ではなく、手足肘膝関節の稼働を活かしたアクション・フィギュアである。 体長(身長)スケールは6分の1 ・約30cmもあった。 言い換えるなら女児の “ままごと” 用途に対し “人形・戦争ごっこ” 用途といえようか。

軍服、ヘルメットなどは当然、各種 形態火器(銃器)などもされていたのであろう。確か(玩具としては巨大な)ジープも売られていたように思う。

 

思う・・などという曖昧な表現なのは所有していなかった、買ってもらえなかったからである。

何せ同時代に流行った “ウルトラ怪獣のソフビ人形” が 数百円だったときに、「GIジョー」一体 ¥1500円前後、怪獣ソフビの2〜3倍の値段。人形だけでは済まなかろうから “武器セット?” みたいなものまで買えば じきに数千円の出費となる。 そりゃまぁ親からすれば “冗談じゃない” お値段だったのだろう (^_^;)。

緻密な造り、男児の人形遊びという新たな市場開拓から話題となり人気もあったが、あまりの高額商品ゆえに販売はそこまで奮わなかったようだ。当時の友達の間でも持っている者を見たことがない。

※ 当時、人気のアニメに「タイガーマスク」があり、その商品化人形もあった。おそらく、こちらの方は些か安価だったのだろう。何人かが持っていた。

因みに先述のディスプレイ用機関銃は「GIジョー」に合わせたサイズでは全くなく、少なくとも全長1m以上はあるリアルなサイズであった。まさかに自衛隊払い下げ品でもあるまいし、販促ディスプレイ用に作られたのであろう・・。

44年に “タカラ” が販売権を得て以降は、ニーズ拡大を企図してプロレス向け、正義のヒーロータイプのオプション拡大を経て、40年代後半にはヒット商品となる「変身サイボーグ」の発売へとつながった。

 

ディスプレイ機関銃の印象は絶大だったが、通して私は人形遊びにそこまで興味は持たなかった。敢えていえば “タミヤの1/35 ミリタリーミニチュア” で ジオラマ作りにハマったくらいである。

『GIジョー』は人気となりながらも、お高いゆえに「変身サイボーグ」の時期が到来するまで、よく売れた商品とは言い難かった。

しかし、現在のフィギュア界の賑わいを見てもわかるように、日本のフィギュア造形技術や芸術性は、世界的に見ても突出したところがある。元々、手先が器用な上に応用性、こだわりの強い日本人の性分ゆえといったところだろうが、漫画やアニメ共々 日本文化特有の能力であろうか。

『GIジョー』がそれら現在のフィギュア文化と直接のつながりを持つものではないが、[ 人形=女児 ] という概念を打ち破り 世に敷衍ならしめたのも事実である。『GIジョー』があったから「変身サイボーグ」があり「ミクロマン」があり、それらが後のフィギュア文化勃興の下地になった・・と思うのは間違いだろうか・・?

 

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