That day 多摩ニュータウン

関東地方に住んだことがないので曖昧な記述で恐縮だが、「東京」と一口に言っても色々なようだ。 地方的な感覚からいうと “東京=大都会” な感じであり、実際 それはそうなのだが・・。 都会な状態であるのは23区を中心に、東京都域の東側から3分の2程の領域であり、それより西側 秩父山系の地域に及べば、我が和歌山も凌駕するほど田舎・・というか山ン中である。

そこまで行かずとも、都域 西南に位置する多摩丘陵地域は、今から60年程前までは “閑静な農村地域” であった。(稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる地域)

そこに、折からの都内(人口密集地域)の住宅難解消のため立案・計画されたのが、日本最大の居住地プラン『多摩ニュータウン』である。 昭和41年(1966年)事業計画着手、以降 18次に渡る更新事業を重ねて2000年代初頭まで続けられた。 学校、病院、行政機関、サービス業、あらゆる施設が充実し、22万人を超える人口を有するまでになったが、現在 既に高齢化の波が現れはじめ、将来的な再開発計画も論議されているという・・。

立案から60年、開発開始からでも50年以上経った『多摩ニュータウン』。 拙ブログにお越しの方の中には、昭和40後半~60年代に入居した、親に連れられて引っ越したという方もおられるかもしれない。

本日は、そんな『多摩ニュータウン』の開発草創期の映像をお届けします・・。

昭和47年当時の多摩ニュータウン

 

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