のっけから言ってしまうが本日は「渡辺宙明」氏の記事である。
「お前の文章、前置きが長い。」と言われたので短めでいくw。
昨年末の記事「発たれた方々_2022」でも触れたが、去る年 6月23日 96歳の大往生を遂げられた。メディア音楽を中心に生涯・・何曲かは知らないが沢山の曲を残された(無責任な書き様 (-_-;)。。
映画・時代劇でも数多の作品を残されているが、その明るく軽快ながらも何処かに憂いを含み、それでいてノリの良い曲調で多くのテレビヒーローものの曲を担当し・・、それらの名曲での呼び声が高い。 「宙明節」と呼ばれるリズム&プレイも主にこれらの主題曲を基に発せられている。
言い換えれば・・というか良ろしくない言い方をすれば、かなり特徴的な曲調ゆえに頭に残るサウンド。ともいえるが、無論、特徴的なだけで大きな支持を得られようはずもない。
彼の音楽には、その作品を雄弁に物語るドラマ性が終始 息づいている。 のみならず、そのクライマックスをいやが上にも盛り上げて、架空のヒーローそのものに生命の灯を吹き込むかのような技量・・違うな・・パワーが宿っているのだ・・。
そのパワーを最も上手く表現し、パワーそのものと化すかのごとく歌い上げていたのが “水木一郎” 氏だったのだが・・、まるで宙明氏の後を追うように同年末 他界された。 こちらは大往生とは言いたくない・・。早過ぎるよ、アニキ・・(T_T)。。
ドラマ、アニメ問わず数多の名作・名曲が生み出された昭和時代だが、その内容を支えた音楽家や声優など、劇に隠れたスタッフ達には長く日が当たらなかった。 特にアニメ番組に関しては “所詮、子供相手のもの” な認識が通っていた。
「宇宙戦艦ヤマト」が昭和49年※、「機動戦士ガンダム」が54年、「風の谷のナウシカ」が59年・・、日本のアニメ番組のそれまで隠れていた部分が顧みられるようになったのは、およそ50年代(西暦で1970年代後半)辺りから・・。 ※ヤマト初回放送時は人気が出ず26話打ち切りであった。
それでも彼らは、受け持った仕事に精魂を傾けて取り組んでいたのだ。だからこそ半世紀経った今に語り継がれる曲として、歌として、そして声として生き続けているのだろう。 昨年秋お送りした “渡辺岳夫” 氏もそういった先駆けのお一人である。
私が初めて「渡辺宙明」の名を知ったのは、恥ずかしながらあまり早くなく昭和60年(1985年)、当時 盛り上がっていた “OVA(オリジナル・ビデオアニメーション)”「戦え!!イクサー1」のメイキング・リリースの中でである。
数年前、動く紙芝居レベルで始まったOVAも かなり洗練され、テレビアニメを凌駕する作品も見受けられるようになった頃、それでも制作予算の確保や配分に苦労する小規模スタジオ・・。 その中で監督のたっての希望で実現した “音楽担当” が「渡辺宙明」であると知った。(因みに監督は平野俊弘 氏)
インターネットもなければ、広い知識もない頃、(あぁそういう著名な人がいるんだ・・)くらいの感覚しかなかったが、何せ(当時の作品としては)出色の出来であった「戦え!!イクサー1」。そしてそれを痛快無比に盛り上げ彩る劇伴音楽・・。
そこへ、かつての「人造人間キカイダー」や「マジンガーZ」を担当された音楽家と知れば、なるほど!と唸るほかなかったのだ・・。
“渡辺宙明” の略歴・・歩んできた道に関しては コチラ に詳しい。寸足らずな私の文章などより、ご本人のお話を交えての記事なので何よりもリアリティに満ちている。
その中で、氏曰く、「キカイダー」の音楽をやることになったとき、初めての子供向け劇伴ということで面食らったそうな。当初あまり気乗りもしなかったと言われる・・。 しかし、プロデューサーから「子供向けだからこそ良いんじゃないか」といわれて、そこであれこれ頭を捻って作り上げたのが あの楽曲・・。
今、聞くと意外なスタート逸話だが、そこはそれ、氏ならではの工夫と凝らして仕事をこなしてみれば、後に残る名曲となった。おまけに大人向けの劇伴と異なり、作品に対する反響が手に取るように返ってくる。 新たな道が開けた瞬間ともいえるのだろう。
私にとって “ロボットヒーロー” のエポックといえば、「鉄人28号」「ジャイアントロボ」「マジンガーZ」そして「ガンダム」である。
さらに「マジンガーZ」は豪ちゃん(永井豪)のアイデアワークも手伝って熱中していた作品のひとつである。 中でも、主題歌ではなく挿入歌だった「Zのテーマ」の方が好きだった。
何でも最初はこの「Zのテーマ」の方が主題歌だったそうである。 収録直後に別の主題歌をと緊急要請されて、新たに作曲、編曲、調整、録音まで4日で仕上げたという。笑えないような無茶振りな話だが、それで出来上がったのが あの歌なのだから、何をか言わんや・・であろう。 文中には触れられていないが、当然、振られたであろうアニキ(水木一郎)の方も慌てたに違いない・・(^_^;)
ハーモニカ一丁から始まった音楽人生は、おそらくは天性であろう才能を開花させて 時代に大きな足跡を残した。
それは 彼にしか現し得ないような、独自の技法が功を奏したことも要因ではあるが、特異な能力は一朝一夕に築かれるものなどでは当然なく、そこに息づく不屈の努力と絶え間ない興味の蒐集が故であろう・・。
大往生とは年齢だけで叶えられるものではないのである・・。