3~4歳の頃 大きな家に住んでいた。・・あれ?つい最近 貧乏人生な話してなかったか?と言われそうだが、”この時だけ” 大きな家だったのだ。とはいえまぁ、借家だけど・・w。

どういう経緯かは分からんが、当時オヤジが勤めていた会社の社長さんの旧家を借りていたのである。 周辺環境は田舎、入り口には大きな土間があり、またトイレも戸外にあるといった旧態な造りで平屋だったが部屋の数が7つ8つあった。 それが入り口を真ん中に左右一列に並んだ横一直線の家・・故に廊下がとても長く感じられた。 今では考えられないような造り・・。
家の前には畑が広がり、夕方になると少し離れた場所にある踏切付近から “名鉄パノラマカー” のミュージックホーンが聞こえてきたのを憶えている・・。
その横長の家の一室、大きな座卓の上に “それ” はあった。
元々、社長さんのものだったのかもしれない・・。
そして それは、幼い私にとって非常に興味深く、魅力的に見えたのだろう・・。
よく憶えてはいないが・・たぶん壊してしまったのだと思う。
叱られて押し入れに閉じ込められたことを薄っすら憶えている・・w。
それは黄金色に輝く自動車の置物だった。正確に言うと “自動車型の灰皿(もしくはシガレットケース)” である。
昭和も50年代になる頃には その影を潜めていったが、それまでは家庭の応接間や会社事務所のテーブルの上で時折見かけたものだ。 よくは分からないがカーディーラー系のサービス品・ノベルティではなかったか・・。(あちこち探してみると、7代目 S12型クラウンや5代目 X70型マークツⅡなどが出てくるので、50年代後半まではあったようだ)
まだ、自動車というものに特別感が残っていた当時、金属製の重みを持ちながらキラキラと輝きを放つミニカー(トイカー?)の如き存在は、例え親から “触っちゃダメ” と念を押されていたとしても、抗えない魅力をも放っていたのだろう・・。
過去に “ライター” や “マッチ” に関連したポストも上げており 今さら感もあるが、”タバコ吸い / 喫煙者” である。 タバコを取り巻く世相は理解しているつもりなので明言しなかったし、タバコの名を聞くだけで嫌悪感を持たれる方も居ないとは限らないので、直接 記事にすることも避けてきた。
只 まぁ、来ていただく方のためのブログであると同時に、私自身の人生メモでもある。 頑張っても後何年書けるか分からない(それまでにネタ尽きそう ^^;)弱小ブログ、色々に言われながらも40数年に渡って私の一部であった “タバコ” に関しても、ネタとして良いのではないかと思い至った次第である。
従って今回含め、以後、稀にタバコに纏わる記事が上がるかもしれないが、何卒ご甘受のほどお願い申し上げたい。m(_ _)m
ということで、今回 上述の “昭和の自動車型灰皿” を口火に記事を書こうと思うのだが、ハテ、何を書いたものだろう・・。(ォィ)
とりあえず、灰皿である。その大きな家にあった灰皿。 私が物心ついた時、どういう訳かオヤジは既にタバコを止めていたので、その灰皿は使われることなく半ば置物としてのみ存在していたように思う。
その後、灰皿が身近になったのは、当然 自分が吸い出してからということになるが、大きなガラス製の灰皿だった。バイク屋さんでもらった、わりと豪華な感じのするヤツである。自分には全く関わりないが、中央に “BMW” のマークが入っていてお気に入りであった。ある程度 重さもあるので安定もしていた。
・・後、タバコ・灰皿に対する記憶といえば車に添え付けの灰皿や、ニクロム線式のライターくらいのものか・・。どちらも失われて久しい。今ではオプションにさえ無いのだろう・・。 現在、運転中は基本吸わないし、駐車中に吸うときは携帯灰皿使用である・・。
・・で、タバコ本体の方・・。 昭和生まれの方なら多くがご存知のようにタバコにも流行りというものがあるようで、私が子供の時のスタンダードは「ハイライト」だったように思う。 白地にブルーの箱組み “hi-lite” の文字は分かりやすく親しみやすいデザインだったのだろう。 デザイナーが、あの星新一はじめ多くの書籍装丁・挿絵を務めた “和田誠” 氏だったのが驚きだが、そういえばタバコのCMにも出ていたような気がするな・・。
発売以来60年を超えるロングセラー商品だが・・何となく見かけが変わってないか?
気のせいかもしれないが「ハイライト」の箱って、他のタバコに比べて縦横の比率が気持ち正方形に近かったような気がする・・。まぁ、気がする程度だが・・。
「ハイライト」以前のスタンダードに関しては記憶の範疇外である。「わかば」「しんせい」「エコー」あたりかな? と思っていたら「しんせい」「いこい」だそうである(Wikipedia)。
タバコを吸い出した頃、”ウレシがり” で色々なタバコを吸い、「ハイライト」も「わかば」も「いこい」も吸ってみたが、どれも自分の口には合わなかった。 自分の世代でのスタートは「セブンスター」もしくは「マイルドセブン」だったが、それに比べるとやはりキツイし、辛いし、煙がやたら多く感じられたのである・・。
しかし、その「ハイライト」から感じられた “ヤニっぽさ” ?に、遠い日に味わった感覚が呼び覚まされた。
小学校に上がったばかりの頃(銭湯時代)、家の隣で “豆腐屋” を営んでいたオジさんである。家が隣り合わせであったことに加え、銭湯の経営者の身内でもあったことから、ウチとの付き合いも深かった。 “万博に連れて行ってくれた” のもこの人である。
・・で、時折、何かしらの都合で豆腐屋さんの車に(マツダ・ボンゴ だっけ?)乗せてもらうこともあったのだが、・・失礼ながらw この車がすごくヤニ臭かったw。 当時の状況からいって近くに子供が居ようが、食品に関わる車であろうが、特段気に留めるでもなくオジさんプカプカ煙を吹かす。現代のタバコ嫌いの人から見れば卒倒しそうな状況だったのかもしれないな・・w。
たしかに匂いはキツかったが、それでも不思議なもので、臭いならば臭いなりにそれで慣れてしまうものだ。 ヤニっぽい匂いが決して好きなわけではないが、そこにあるのは髭剃り跡も薄っすらと濃い、絵に書いたような中年オヤジ、それでいて 自分の子にも隣りの子にも別け隔てなく情を注いでくれる気の良いオジさんの想い出なのだ・・。 スマートさなど微塵もないが、そこには腹の底に根付くような人間味があった。
先日、「ローラーボール」の記事で “人生とは気が付かないほど小さなものの積み重ねで出来ている・・” などと気取って書いてしまったが・・、 時によっては あまり好ましくない要素を含んだ記憶でも、そこに息づく人の想いによって、懐かしい心のパーツと変わっていくのだろう。 人の記憶とは妙味なものである・・。