〜 たったひとつの命を捨てて 生まれ変わった不死身のからだ
鉄の悪魔を叩いて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる! 〜
昭和48年、テレビアニメに夢中だった世代なら知らぬ者なき口上、納谷悟朗氏による『新造人間キャシャーン』のプロローグ・ナレーション。 番組を冒頭から引き締め、物語の大きな流れに引き込む役割を果たしていた。
当時、この口上にシビレた諸兄も多かろう。記憶力の悪いことでは誰にも引けを取らない私でさえ、50年経った今でも一言一句違わず憶えている・・。
『新造人間キャシャーン』 内容の方といえば “タツノコプロ” のハード調を押し出した作風。具体的な説明は伴わぬもののヨーロッパ風の舞台、登場人物も欧米人的かつ劇画調の顔立ち。(ソフト / コミカル調では「ハクション大魔王」や「タイムボカンシリーズ」など)
そして、主人公 vs 敵役 の戦いを 毎回ルーティン的に描くのではなく、放送第一話から最終話までを通しての大きな物語に沿って、登場人物の葛藤や進歩を描いてゆくという、叙事詩的進行を旨としていた。 それだけに視聴年齢、また好みによってはやや退屈に感じる場面も伴うが、全体的に見れば非常に壮大な作品完成度となる・・。
主人公 “キャシャーン” における設定も、またマニア好みとでもいうか当時の定番ともいえる “変身” を伴わず常からあの姿のまま・・。 ナレーションのごとく鉄の塊のような敵ロボットを、素手で引き裂くようなパワーはあるが、通常 “ヒーロー” が持ち合わせるような “派手な必殺技” を持たない。
“超破壊光線” という大技を持つものの、エネルギーの殆どを使い尽くしてしまう諸刃の剣でもあるので、全35話において2〜3度しか使うシーンがない。 ◯◯マンのように自分自身で飛ぶ能力は持たないため、腰部の噴射ガンを利用して短距離の空中移動を行う。
・・など、一方的な強さを持つヒーローではなく、あくまで勇気と努力、そして相棒でありヒロインでもある “ルナ” の助力をもって歩み続ける、等身大のヒーローであったのだ・・。
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対する敵役 “ブライキング・ボス” アンドロ軍団側も、毎回、新型ロボットを送り出すわけでもなく、どちらかといえば作戦をあれこれ講じて部隊戦に持ち込むリアル思考・・。
これらの点から、時に物語の展開に食い足りなさを感じることもあったのだが、それらを押して今に伝わる名作と言われるのは、終始一貫した物語の良さと内容の濃さがあったからこそであろう。
さらに、総じて地味なキャラクター勢の中に華を添えていたのが、人間ならぬ一匹(一体)のロボット犬「フレンダー」であった・・ように思う。
“フレンダー” は良い!
私など、半ば “フレンダー” 見たさにキャシャーンを見ていたようなところもあるくらいだ。 どちらかというと “犬派” であり、過去に犬を飼っていたこともある私にとって “フレンダー” は、苦楽どころか生死を共にし得る戦友であり、キャシャーンにとって欠くことのできない身体の一部であり、そしてこの「新造人間キャシャーン」をSFアニメ足らしめる “キーパーソン” にさえ思える。
何せカッコいい!(キャシャーンはともかく)相対的に癖の強い・・というか、もひとつパッとしない全体的なキャラ・メカニカルデザインの中にあって異質なほどカッコいい!
ドーベルマンだか シェパードだか、何の犬種をモチーフにしたのか分からないが(ピンシャーかなぁ・・)、スマートでありながら肩腰周りの造形も手伝って筋骨隆々のイメージをも醸し出している・・。
ロボット犬に “鼻先” や “口吻” は不要とは思うが、これを残すことで “生きた犬らしさ” を表現している。 ロボット犬 “フレンダー” は、過去数十年の日本SFアニメにおいて屈指のベストデザインキャラクターではなかろうか・・。
只、まぁ、あの変身(ジェット、マリン、カー、ドリルタンク)だけはどうかと思うがw。質量保存の法則がどうとかってレベルじゃねーぞw!

そんな “フレンダー” だったので私はもう好きで好きで、いつか何とか自分の手で作ることは出来ないだろうかと思っていたくらいであった。
もちろん、あのようなロボットが実現不可能なことくらい充分に分かる歳ではあったし、自分にそれが出来るとも思っていなかった。 ただ、木製でもいいダンボール製でもいい、自分の相棒に見立てるべき それなりの “フレンダー” 創造を夢見ていたことを憶えている・・。
当然といえば当然、その夢は以来50年経った今でも果たせずにいるが、(自分ではともかく)昨今のアメリカ軍用ロボット犬の開発などを見ていると、あながち “フレンダー” の実現も夢ではないのでは・・と思えるのだ。 ・・まぁ、出来ることなら “軍用” 以外での実現を願いたいところだが・・。
因みに、生きたリアルな犬も過去には当然飼っていた。・・が、それからもう かれこれ40年近く飼っていない。 亡くした時があまりに辛い・・挙げ句、 “動物を人が飼う” ということそのものに疑問を感じて、以降生き物を飼うことをやめた。
自分のことながら・・何ともまぁ・・矛盾に満ちた思考でもある・・。