一円足りんかったら

「一円足りんかったら電車にも乗れんだろ!」

子供の頃 そう教わった。まぁ誠そのとおりである。
たったの一円であっても、その一円を手に入れるためには相応の時間と労力・精神力を費やし、その一円が積み重なった “お金” をもって日々の食い扶持・暮らしが賄われている。 だから たかが一円と疎かに思い扱ってはいけない・・。大切な教えだと思う。

今時の子供に言ったら「一円足りんかったらスマホで払えばいい」とか言われそうだ。 しかし、スマホだろうが残高に一円分足りんかったら払えんものは払えん。原則的には同じことだろう。

これがクレジットカードだったら・・後の引き落とし時に、一円残高不足で面倒な事になるが、支払い時には一応支払えて・・、ええい!世の中が複雑になると、教訓までややこしくなる!・・。

 

拙ブログにお越しいただいている方は、大体40〜50歳代がその中心、後、その両端である30代後半と60代前半が幾らかと、といった感じ・・。 当たり前だが昭和を知っている。もしくはあまり記憶には無いが興味や懐かしさを覚える方たちである。

何を言いたいかというと・・、(私を含め)昭和のことを皆がそれなりに知っている筈だが・・ “一銭” 及び「一銭硬貨」をリアルで知っている・使っておられた方は、あまり居られないだろうということ。 一銭硬貨は昭和28年(1953年)小額通貨整理法によって通用停止となったため、少なくとも終戦後間もなくの生まれ、凡そ70代後半の方でないと ご存知ないはずなのだ・・。

 

・・で、次、何でこんなことを考えたかというと・・、その「一銭硬貨」を見たからである。無論 ネット上の画像によってではあるが・・。

要するに “一銭硬貨” とは、私たちが知る “十円硬貨” と同じく、当時の最小単位に近い一般通貨だったはずである。(最小は “一厘硬貨” 一銭の10分の1)

しかし、それがどうだ、何と威厳のある風彩を放つことよ。
もちろん、当時の通貨価値が現在とは全く異なるため、同単位・同レベルでの比較は出来ないが・・(例:明治時代においての1円が現在の2〜4万円程度の価値、1銭が200〜300円程) 大きさ重さも現在の五百円硬貨と同等。

竜一銭銅貨(明治6年)画像©️Wikipedia

裏面には*口を結んだ “吽竜” が “大日本” と(国際流通を意識した)”1SEN” の文字とともに彫り込まれている。鱗の一枚一枚まで丁寧に再現され、その意匠はとても少額貨幣のものとは思えない貫禄を呈している。 表面は菊花紋の下に桐・菊束と堂々とした楷書の一銭文字が刻まれている。 * “製造年数を刻む面を裏とする” という造幣局主意に基づいて

最小貨幣である “一厘硬貨” でさえ、それなりの意匠が凝らされているが、その上位でありながらも、少額貨幣である “一銭硬貨” にここまで剛健かつ創意に溢れた作りとしたのは、 “一銭” という単位に “お金” 引いては “経済” の根本的な “礎” を、国が見ていたからに他ならないのではないだろうか・・?

一億の金でも一銭が一億寄り集まって出来るもの。如何なることも先ずは始めの一歩から・・冒頭でも触れたような、そういった堅実で先を見据えるがごとき、意匠考案者の思想が見える気がするのである。

 

何故、昭和を飛び越えて明治にまで届く “一銭” の話を始めたかというと、↓ である。来年(2024年度)上半期に発行される。

20年に一度、新札発行らしいので、前回からもう20年経ったのかとの思いが強いものの・・ 正直、新札発行の度に、何か価値というか重みのようなものが減っていっているような気がしてならない。

当然、デザインに対する感じ方は人それぞれなので、一概に論ずることは出来ないが・・、妙にカラフルなところにメインの数字を算用数字(アラビア数字)に変更、なおかつゴシック体化(それもライト “細い” に)してしまったので、全体的な印象が尚のこと軽くなってしまった・・。

アラビア数字への変更は、国際化に伴う外国人から見た利便性向上なのかもしれないが、せめてもう少し重みの感じられる字体に出来なかったものだろうか・・? 偽造防止か何か、アイコンっぽいミニ人物画像を含めたサイドバーのようなものも、デザイン全体のまとまりをスポイルしている。

 

何でもかんでも古いものは良く、新しいものは悪いなどと言う気は毛頭ないが、あらゆるものが性能の向上とともに軽薄短小のベクトルを辿っていることは既成の事実といえよう。

只、中には重みとか威厳さ、多彩な性能より単純な堅牢さなどを重視すべきものもあるのではなかろうか・・。

まぁ、こんなところでブツクサ言っていても何の足しにもならず、元々、紙幣・硬貨とも信用貨幣なれば時代ごとの景気動向に連れて、その価値が上下することは当然でもある。40年前の一万円と現在の一万円では 2倍からの “重みの差” があろう。

本日、大絶賛で案内した “一銭玉” も時代とともに、その価値を擦り減らしていき、昭和13年には “アルミ貨幣化”、以降、簡易な仕上げへと流れ昭和19年には物資欠乏により “錫貨幣化”、そして 戦後のハイパーインフレに晒され、最後はほぼその価値を失うこととなり、通貨切り替えとともに 通用80年の歴史に幕を降ろすこととなった。

どのようなもの、どのような価値観にも いつか終わりが来るということなのだろう・・。

そもそも、新札デザインがどうのこうの・・どころか、そう遠くない将来、貨幣そのものがデジタル化され、この世から完全にその姿を消してしまう日が来るのだろうから・・。

 

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