タチビな車 vol.13 ドマドマドマドマ♪

昭和56年(1981年)の秋、一風変わった出で立ちの車がホンダから発売された。
同時代に販売され既に人気となっていたTAKARAの玩具、”チョロQ” を思わせるようなキュートな・・というかデフォルメティックな外観。 スポーツカーや高級セダンがもてはやされた数年前なら、ただ呆れられるだけに終わったかもしれない異質なスタイルを身にまとっての登場であった。

“トールボーイ・スタイル” ・・『ホンダ・シティ』

47年(1972年)に世に出て以来、世界的な好評を得、事実上ホンダの自動車メーカーとしての基礎を築いたともいえる「シビック」が大型化の道を歩み始めたことにより、それまでのボトムラインを埋める形で開発された この車は、単なるエントリーカーではなく、斬新な思想を詰め込んだニューフェイス。

「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ ♪」・・これまた斬新なCMソングに載せてリリースされながら予想を上回る?ヒット作となった。

 

デフォルメティック・・。要するにその全長に比べ全高が高く、またボンネットを持ちながらもキャビンスペースは確保されているため、いわゆる(当時 自家用車ではまだ少なかった)1.5BOX的なスタイルとなっていた。

当時の軽自動車がまだ550cc規格であったので差別化はなされていたが、『シティ』の全長3,380mmに対して現在の「ワゴンR」では3,395 mm、ほぼ660cc時代の軽ワゴンサイズである。(但しさすがに全幅では100mm程度広い)

比較図 ほぼこんな感じ

エントリー&コンパクトの立ち位置の中に “居住性” “使い勝手の良さ” を可能なかぎり詰め込むという、一見 理想的な、一見 無茶な商品開発の結果ゆえのスタイルであったものの、それだけでは “機能性オンリー” の車になってしまう・・と踏んだのか、ホンダは その上に “ファニー / funny” なイメージを被せてきた。 ある意味 デフォルメなスタイルを逆手に取った企画ともいえよう。

 

“使いやすい” のみならず、”使いたくなる車 / 楽しむ車” の創造を最もよく現していたのが、オプションで用意されていた『モトコンポ』であろう。

ハンドル、シート、ステップを折り畳むことにより一つの箱のような形状となり、『シティ』の後部トランクに容易に積み込むことが可能。1.2mを切る全長は当時の「ホンダ・モンキー」より15cmも短く、さすがに楽々とはいかないまでも45kgの車重は破格の軽さでもあった。

“気安い車で行楽地に赴き、当地でまたミニバイクで楽しむ”
このコンセプトは それまでにも存在していた。

最も顕著であったのひとつが「フォルクスワーゲン・ゴルフ」に「ホンダ・DAX」を積み込んでフィールドライドを楽しむというもの。どちらかといえば、国内よりヨーロッパや北米地域で嗜まれていた。 「DAX」に比して『モトコンポ』では走破性に劣るが、『モトコンポ』の場合、草原というより街中の散策向けといったところなのだろう。

最も異なるのが、「ゴルフ+DAX」がユーザーによって自然発生的に興されたスタイルだったのに対し、『モトコンポ』は意図して企画されていたものであるということ。『シティ』の開発段階から同時進行で設計が進められていたことからも、『シティ』のユーザーライクな性格付けが明確だったことが伺われる。

 

身近に『シティ』を愛用されていた方が二人おられた。
お一人は 発売直後の(イメージカラーの一つである)ブルーのスタンダードなもの。 ホンダが意図したように使い勝手がよく重宝されていたが、若干ドライビング・ポジションに馴染めないように言っておられた。 多くの要素を詰め込んだ故の無理な部分だったのか・・。

もうお一人は ハイパワー化を推し進めたインタークーラー付きターボ『シティ・ターボⅡ』。メカブルドッグのイメージで “ゴツさ” と “馬力” を押し立てたシルバーカラーの車体であった。

あの車体で 110PS/5,500rpm というのは かなり過激な設定であり、低回転時の急加速システム “スクランブル・ブースト” など、現在では考えられない仕様でもあった。(おそらくはホンダ主体により)ワンメイクレースも開催され話題作りの一助となっていた。

 

ユニークなスタイル、独自の商品構成で人気を博した『シティ』であったが、発売から5年後の昭和61年(1986年)その商品ライフに区切りを付け、二代目『シティ』へと生まれ変わった。

・・が、初代『シティ』が謳ったファニーでフレンドリーな面影は完全に払拭され、 “才能のシティ” よろしくスマートな仕立てとなっての登場だった。 そのスタイルは打って変わってのワイド&ロー、実用性重視なところは受け継ぎながらも、ラインナップ上のグレード以外 全く異なる車種といってもいいくらいの変貌ぶりだった。

180度と思えるほどの方針転換が何故成されたのかは不明だが、軽自動車である「ホンダ・トゥデイ」も含めて、当時のホンダは好評・好調であった「シビック」を軸の(あやかってともいうw)スタイリングの統一を図っていたのだろうか・・。

二代目『シティ』はスタイルもさながら、車格、性能、装備 いずれも卒なくこなされており、単体で見るなら決して悪いものでなく、むしろ優れた車ともいえ、そこそこに売れたのだが・・。まぁ、そこそこ止まりの結果しか得られなかった。 フルモデルチェンジとはいえ まるで初代を否定するかのような変身ぶりに、ユーザーの方が肩透かしをくらったのかもしれない・・。

 

私個人的には、トールタイプよりワイド&ローが好きな方だが、初代『シティ』が現していた “独自性” は貴重であり(出来ることなら)貫くべきアイデンティティであったようにも思う。

しかし、軽自動車の規格変更も含め、後のリッタークラス車の先行きが微妙なことから、ホンダもこの車の扱いに迷っていたような面もあり、『シティ』のアイデンティティ維持に注力している場合ではなかったのだろう。 結果的に国内における『シティ』のネーミング使用は、この二代目 計14年をもって終了となる。

その後『シティ』の名は、主に海外向け一般車の名となり、2023年現在も東南アジアの国々に向け販売が続けられている。 系列的には、平成時代に国内販売もされていた「フィット」や「アリア」その後の「グレイス」も『シティ』の遠縁にあたるそうだ。 美しく洗練されたボディに、初代の影など微塵も残ってはいない・・。

 

イギリスのニューウェーブバンド「マッドネス (Madness)」によって歌われ演じられた『シティ』のCMミュージックは「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ♪」の調子とともに一世を風靡した。

しかし、何故か私の中でこの歌の調子は記事名のとおり「ドマ、ドマ、ドマ、ドマ♪」で残っている。 どうしたことかと調べてみたら、原曲「In The City」では やはり「ドマ、ドマ、ドマ」と歌っている。 どこかの時点で原曲を聴いたのか、それともCM放送時に原曲も併映されていたのか定かではない・・。

歌も車も、当時の私の好みではなかったが、その稀有なる個性、独自性は称賛すべきもの、自動車史の一頁を飾るにふさわしいものと思えてならないのだ・・。

 

 

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