“世界” のスポーツ競技人口を調べてみると、意外なことに(単に私の認識不足だろうが)第一位は “バレーボール”(約5億人)ということだった。てっきり “サッカー” か “クリケット” かと思っていたのだが・・。
第二位が “バスケットボール”(4.5億人)、三位 “卓球”(3.3億人)、四位 “クリケット”(3億人)、五位でようやく “サッカー”(2.6億人)ということらしい・・。 あくまで競技人口ということなので、観戦人口はまた前後するかもしれないが、競技人口と人気は少なからずリンクするので、さして順位の移動もなかろう。
なんというか(サッカーは置くとして)日本においては、いずれも少々メジャーとは言い難いスポーツが並ぶ。近年 バレーボールもバスケットボールもプロリーグなどが出来たりして、それなりの人気の盛り上がりも見せるが、国民の相当数が継続的に興味を持ち、相応の商業ラインを維持するまでには至っていないように思える。
因みに私たち昭和世代にとってプロスポーツといえば、やはり “野球” であろう。 当時からサッカーもラグビーもバレーボールも盛んではあったが、平成に至るまでプロ化はされず人気も限定的であった。 しかし、この国での人気の野球も世界的に見れば そこまでメジャーとは言い難く、スポーツの分野でも日本はガラパゴス気味なのだろうか・・。
贔屓のチームのひとつでもないと肩身の狭いくらい、野球一色だった昭和も40〜50年代前半のある頃、妙に目を惹くマークデザインが一世を風靡した。横方向から見た 色彩豊かなヘルメットにキャッチーな意匠、”アメリカンフットボール” を象徴する チームごとのヘルメットデザインである。
“アメリカンフットボール” アメリカにおいては国民的な支持を得る人気スポーツである。野球と人気を二分する・・というか、野球を抑えて一番人気を維持している。
その”アメリカンフットボール”(正確には”NFL”アメリカン・カレッジ・フットボール)のデザインマークが、ある日突然、黒船来航のごとく日本にやって来た。その試合も連日ではないがテレビで何度か放映していたようにも思う。
・・のだが、正直”アメリカンフットボール” 自体の方は、あまり日本には馴染まず大きな成長は見なかったようだ。一部ではチームなども新規に立ち上げられ、新時代の到来を待ったようだが さほどの成果を見せられなかった。(※ 日本における”アメリカンフットボール” の歴史自体は昭和9年からあり、東西対抗戦、その後のライスボウルなども行われている)
勇壮というか重戦車が突進するかのごときダイナミズムが売りの “アメリカンフットボール” ではあるのだが、その試合進行やルールの周知が行き渡らず、試合を見ていても何をやっているのか、何で盛り上がっているのか、よく分からん・・というのが実際のところではなかったろうか・・? 何事も基礎・土台作りが肝要なのであろう。
実際の競技の普及は一定止まりであったが、何故かヘルメットのマークデザインの方は かなり流行した。
当時まだ少年であったから そう思えるだけかもしれないが、主に文房具や学生の身の回り品に、多くそのマークの意匠が施されていたように思う。 当時の中高年以上はほぼ “野球一辺倒” なので、若い世代に向けてのアピールを講じていたのかもしれない。
同時期に登場し、学生から大きな支持を得ていた “グルービーケース” という名の通学カバン? も頻繁に この “アメフトデザイン” であったことを憶えている。
「ミドリ」という文房具メーカー(現在は株式会社デザインフィルのブランド・一部門)から発売されたという “グルービーケース”。
実質的には丈夫な厚紙による開閉式の箱でしかないのだが、スマートな外観と取り回しからか、塾通いの小学生から、”半分は学校に置き本” の高校生に至るまで、相当な数の児童・学生が愛用していたように思う。かくいう私も一時期 使用していた(アメフトマークではなかったが)
学生時代・・、いうなれば心身ともに成長期の最中であると同時に、跳ねっ返り・・とでもいうか、(自分が特別)・・と思えるようなことをしたい時期でもある。
素直に規定の服装・カバンや身の回り品を そのまま使っておれば良いものを、隙あらば(チョコっと)他人とは違った風に持っていこうとする。 服装の丈を伸ばしてみたり縮めてみたり、持ち物をわざわざ使い難く改造してみたり、・・挙げ句 その改造は我が身にも及び、髪を染めてみたり眉を剃ってみたりと・・。 結局、皆 同じような考えで同じような行動をするので、詰るところ皆似た風になってしまうのだが・・w。
人の持つ “自他の差別化” は本能に根ざすものでもあるので、ある意味 自然の発露とも言えようが、自意識が沸騰中の若い時代には、ことさらそれが顕著でもあり、また正常な発達途上ともいえるのだろう。
そんなナイーヴで嬉し恥ずかしな世代の中で、様々なムーブメントは生み出され、そして消費されていったのだ。
どういう塩梅かは不明だが、”アメフトマーク” の流行は それ以前、昭和40年代から隆盛しつつあった “アイビールック” の一端に含まれる・・という見解もある。 ”アメフトマーク” そのものはプロ球団の意匠であると思うが、憧れをもとにアメフトクラブをやっていた大学生ライフからの流れなのかもしれない・・。
面白い? ことに、アメリカ “NFLP”(アメフトの名称・意匠の権利統括団体)からマーク使用権の許諾をとり日本国内に持ち込んでいたのは、当時のSONYであったともいう。 音楽や映画の制作・版権をも推し進めていたSONYだけに、その一端のプロジェクトだったのだろうか。
何であれ、実際に見たこともない異国の文化、ルールさえ知らない競技のマークが、何故かしら流行りに流行っていたことは確かである。 まぁ、いつの時代、どこの場所でも流行とはそういうものなのであろうが・・。
そんな一過性の流行であっても想い出の片端には、その一片が ややも輝きながら残っている。それで良いのかもしれないな・・。