昭和の頃、特に40年代?位までは秀逸な時代劇が多数生まれた。
近年においても真摯に作られた時代劇は存在するし、内容・演出ともに悪くはないが、(何となく あまりに真面目に作られ過ぎてる気がして)あと一歩、単純な面白味に欠けるような気がする・・。
昭和に時代劇が旺盛だったのは、語り、歌舞伎、演劇と、江戸期から連綿と続く時代の流れに沿ったものなので、当然といえば当然でもある。40年代位までと書いたが、この頃から “時代劇離れ” も同時に始まっていた。 新しい時代の新しいネタ・現代劇や数多の振興題材とのせめぎ合いの中で、時代劇の方も より斬新で娯楽性豊かな作品を生み出していたのだ。
スターシステム・・とはまた違うのだろうが、映画やテレビにおける時代劇の特徴のひとつに、同名作品・シリーズの主人公に異なる複数の役者が就くというスタイルがある。
“水戸黄門” しかり “遠山の金さん” しかり “大岡越前” しかり、幾多の俳優が各々の個性を活かしながらも、その大役を果たしていった。 歴史ある、また人気の出た作品が作品そのものとして単体で確立される時代劇ならではの傾向でもある。
各々の個性・・。これがまた妙味であり、それぞれの役者さんの贔屓も分かれるところなのだが・・。(参照:黄金のマンネリズム)
時に他の役者が演ずるところを寄せ付けない、圧倒的な “この人感” を維持しながら燦然と輝く作品も存在する。
そういった作品の極めつけともいえるのが『座頭市』であろう・・。
“カツシン・勝新太郎” である。
二枚目スターとしてデビューしながら一向に芽が出ず、同期の市川雷蔵に大きく水をあけられ、ある意味 背水の陣で挑んだ作品が『座頭市』の前作品である「不知火検校」であった。
それまでの秀麗な役柄から一転、野望と情欲にまみれた狡猾な男の、成り上がりから終焉に至るピカレスク・ロマンを見事に演じ切って好評を得た。 よくぞここまで方向性を変えられたものだと感心するが・・そもそも、やや丸顔でフレンドリーな印象の勝、元々ヤサな二枚目はそぐわなかったのかもしれない・・。
あくまで 後の豪胆なイメージからの憶測に過ぎないが、決意とともに臨んだ 新たな路線が、自らの生涯を賭せるほど身に嵌っていたのではなかろうか。
不知火検校の主人公 “杉の市” を、盲人按摩師という雛形はそのままに、方向性をまたまた反転、不遇な身の上に関わらず その心底に正義を貫くダーティーヒーロー像を構築したのが “座頭の市”、一連の『座頭市』シリーズである。
正義のヒーローであっても “カッコいいヒーロー” ではない。”杉の市” で演じてみせた人間臭さ・泥臭さを押したて、時に弱ささえ見せる、あくまでひとりの人間として描かれたのが、それまでの快傑時代劇と一線を画した所以でもあろう・・。
とはいえ、ヒーローである限り “魅せ場” も持たなくてはならない。
言うまでもなく、それは市の繰り出す “居合” であり “抜刀” のキレであろう。市 そのものの泥臭さと壮烈な対比を見せる一閃の煌めきは、一介のヤクザ座頭であることから乖離し、金や権力でさえ抗えない鉄槌の役割を担っている。
“さいとう・たかを” による「ゴルゴ13」の主人公は、自らの強さ・完璧さの秘訣を “己が臆病さ” を理由としていたが・・。 神技的な強さを見せる市の居合も、自らの盲目の不利からくる怖れ故に身に付けたものとされている。
幼少時に患った末との設定だが・・、視覚を失った者にとってこの世は不明で脅かしき世界でしかない。故の身を護るべき護身術であるはずの居合が、その役割を超えて世の弊害を次々と切り落としてゆく。
源流となった物語における市の得物(長ドス)から、盲人が必要とする “杖” をして “仕込み杖” に変えたのは勝新太郎そのものであったという。既にこのとき勝は演ずる役どころの深い部分まで、理解と想像を働かせていたのだろう。
決して見目よろしくない風貌と、しかし息づく正義の想い。
最も弱い立場でありそうな者から繰り出される圧倒的な力。
一種、異例の組み合わせと、そこに底流する人間臭さのドラマ。
無精髭が脂汗に滲んで、どう見ても汗臭く色冴えない画面から描き出される世界は、最後に諦観を湛えたカタルシスに至りながら、テレビシリーズをも含めれば、「男はつらいよ」シリーズにさえ双璧する大連作となった。
そこには “勝新太郎” の豪放不敵なバイタリティーと娯楽作品への想い、”座頭市” の稀有なるキャラクター性が見事に噛み合った整合性が保たれていた。 結果、後に如何な他の俳優主演を持ってしても、それは “その人の座頭市” を脱せず、『座頭市』=『勝新太郎』のイメージが揺るぐことはないのだ。
数多の役どころを演じた勝新太郎とはいえ、彼をスターダムに押し上げたのは “座頭市” であることに疑いはない。 波乱の人生を送り終えた人ではあったが、『座頭市』=『勝新太郎』の図式は彼にとっても役者冥利だったのではなかろうか・・。