荒れ地に咲いた泡沫の華

先だっての記事でも少し触れたが、小さなものが好きな質である。それも出来れば、小さく、カッチリとまとまっていて、精緻な感じのものなら尚良い。4〜5歳頃のグリコのオマケやミニカーにはじまり、後の軽自動車好きに至るまで 割りと変わらない指向である。

が、全く大きなものが好みでないのかというと、そういうわけでもなく、ハーレーダビッドソンの威風や大型飛行船の勇姿は素晴らしいと思う。 また電気器具関連(特にオーディオなど)では回路やパーツの集積化よりも、物量投入型に魅力を感じる方だ。

しかし それでも、どちらかというとミニマムなものの方に愛着を感じる質である・・。

 

ともあれ、日本独自の規格 “軽自動車” には、子供の頃から慣れ親しんでいたし好きだった。イナバナ.コムや昭和テロップを始める前は、軽自動車関連の固定型サイトでも作ろうかと思っていたくらいだ。

若い頃は若さ故・・というか、見栄や使い回しの都合もあってセリカやトレノなど乗っていたが、今までの車歴で最も印象深い車といえば、やはり「ホンダ ビート / BEAT」だった。 軽と侮るなかれ軽スポーツならではの走りと楽しみを堪能したものだ・・。

10数年前のBEATと私

と、いうことで、ここからようやく本題『BEAT』である。
只、ここまで 軽自動車を謳っておいて何だが、車のBEATではない。車・軽自動車のBEATが世に出るより8年も早く、ホンダが世に問うた珠玉?の原付きスクーター『ホンダ BEAT』の話である。

 

『BEAT』が登場したのは1983年(昭和58年)、街中を駆ける “小さな足” は、この3年前に発表・発売された “ホンダ・タクト” を皮切りに、より実用的なスクーターが主流となっており、それまでの “CUB カブ” や “ローパル” の市場も置き換わりつつあった。 当然、過去の記事で触れたような 原付スポーツ隆盛の時代も過去のものとなり、以後、ミニマムスポーツには、あまり日の目を見ない状態にある・・。

“パッソル” “パッソーラ” で ホンダの牙城を崩しつつあったヤマハも、スクーター勃興の波に揉まれ、一時 “ベルーガ50” などで対応してきたものの抗しきれず。ここに来て スポーツマインドを押し立てた “ヤマハ・JOG” をリリース、市場での逆転を図る。 当時はまこと ありとあらゆるスクーターが街に溢れるスクーター全盛時代だったのだ。

全盛時代・・。全盛時代といえば聞こえが良いが、要するに状況は戦争の最中の如し。時はホンダとヤマハの間で繰り広げられていた「HY戦争」。それ以前もそれ以降も類を見ないほど熾烈な開発・販売競争と消耗戦が続いていた、熱狂と無謀、そして空虚に至った時代でもある。

現在ならば、その世情から経済性や環境性能の方が重視される “普段の足” であり、当時のスクーターも凡そはその中にあったのだろうが・・、ヤマハをして始められたオートバイ界 首座の争奪戦は、大量の販売数を見込めるスクーター需要を主軸に拡大したため、爆裂ともいえるスピードでの新商品発表とダンピングが行われた。

数年間に渡る攻防の末、双方、膨大な利益減と在庫を抱え1983年年頭、戦いは幕を下ろした。 大袈裟に言うなら “死屍累々” な荒涼の跡に華を咲かせるべく、未来のスクーターを標榜して出てきたのが『ホンダ BEAT』なのかもしれない。

 

未来を標榜したが故に『BEAT』はその外見・内面ともに新機軸に溢れていた。

一見で目を引くのは その外観、当時のスクーターとしては破格ともいえる大きなカウリングであろう。過剰とも思える外面ボディは上面が半透明のブラック樹脂で構成されており、その実用性はともかく、いわゆるスーパーカーを彷彿とさせるような未来志向を醸し出している。真っ赤なイメージカラーに直線調のデカールが映えて “赤い稲妻” とか言いたそうだ。

ハンドルカウルにはハザードランプを備え、アンダーカウル中程にはこのクラス初の2灯ハロゲンランプを奢っているのも、このスクーターがスクーターの境地を超えた存在であることを謳っている。 メーターパネルにもシルバーガーニッシュが施され、4連メーターと相まって 尚のこと四輪車寄りのイメージが醸し出されている。

ホンダらしく11000回転を超えて刻まれるタコメーター横には、奇妙な曲線表示とインジケーターランプが備わっている。 これこそ、この『BEAT』最大の特徴とも言える排気調整機構「V-TACS(可変トルク増幅排気システム)」の指標となるもの。

『BEAT』に搭載されたエンジンは、これまた気合の水冷2ストロークエンジン。 当時の自主規制値 7.2馬力を発生していたが、2ストロークエンジンで顕著な低回転域と高回転域での排気トルク効率の違いを、合理化・ハイパワー化するために生み出されたのが「V-TACS」であった。 要するに排気チャンバーを大小2基備えての切り替えである。

但し、技術的・コスト的な問題から、上記のメーター・インジケーターを目安の足元レバー切り替え方式であった。

 

(おそらく鉄製であろうが)合わせコムスター風のホイールはゴールドカラーで仕上げられ、前後ともドラムブレーキながら、フロントには先行のCBX400Fで採用されたインボード・ベンチレーテッドディスクを思わせる、冷却用インテークが用いられていた。

事程左様に、その基本的なイメージスケッチはスーパーカーライクな仕上がりであり、実際の走りに関しても かなり走り屋向けの味付けであった。(あくまでも味付けだが・・) 7.2馬力の出力をもってすれば、先年のミニスポーツMB50程ではないにせよ そこそこの走りは楽しめたのだ。

・・が、ここで面白いことに・・『BEAT』には、当初から数々のオプションも用意されていたのだが・・、 “リヤキャリアバッグ” “ランチボックス” “フロアマット” “ライセンスカバー” と、どうみても “走り屋方向” というより “楽しく便利にお出掛け方向” のラインナップである。

他を挑発するかのような巨大なフロントカウルの内側には、便利な小物入れスペースも確保されていたし、電源周りに至っては原付世界初の “メンテナンスフリー・密閉式バッテリー” を採用、当時のスクーターとしては まだ珍しいセルオンリー(キックレス)な始動方式であった。

 

つまるところ『ホンダ BEAT』というスクーターは、その挑戦的なスタイルを誇示しながらも、スピード命ゆえに乗り心地・使い心地を排他するようなストイックなバイクではなく、スポーツ性と利便性・コンフォート性能を両立させた、未来志向のスーパーカー(バイク)だったといえよう。 街中を “プィーン” と走り回る小さな車体ながら、その芯に宿るのは 当時HONDAが模索していた “これからのスポーツバイク” のスピリットに他ならない。

只 当時、過剰な装備、奇抜なデザイン、そして¥159,000円(当時)という かなりの高額ゆえに、『BEAT』は 売れたスクーターとはなり得なかった。

結果的に『BEAT』が標榜した数々の新機軸の大半は、後の多くの製品に反映されてゆくのだが、あまりの斬新さゆえに『BEAT』自身は、それらの布石としての存在に留まってしまったといえよう・・。 初期のセルオンリー(キックレス)であるため、現在、稼働状態で現存している個体も決して多くはない・・。

二度と繰り返さない・・。と両社に思わせた熾烈で空しき戦いを跡にして ホンダが花開かせた一輪の小さな花。 当時 多くの者に顧みられることは少なかったが、それは決して徒花となることなく後世に受け継がれてゆくターニングポイントでもあったのだ・・。

 

 

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