小学校高学年・・否、2~3年生位になると今時の子はスマホを欲しがるそうな。保安上の理由で親の方から持たせる場合も多いらしい。 諸外国に比べ比較的安全と言われる日本でも、子供を狙った犯罪は後をたたないし、それはそれで致し方のないことなのかも知れないが、何ともまぁ面倒な世の中になったものだ・・。
確かにスマホ一台あれば、GPSを利用しての子供の位置把握など多少の利便性は図れるし、LINEだのメールだの連絡も取りやすい。ゲームも出来るしアプリも使えるし買い物も出来てしまう。本来の電話機能を他所にしても多種多様な使い出があって便利なことこの上ない。
・・が、それを全て従前に かつ身の丈に合った使いこなしをし、安全に管理出来るかというと・・子供には難しい側面も多い。そもそも大人でさえスマホをして つまらない結果を招いていることが少なくないというのに・・。
電話・インターネット端末が 一人一台以上当然のご時世にあって、通信手段を何ら持たない時代など今時の人から見れば、どんな原始時代だ !? な感覚かもしれないが、昭和の40年代頃までは、まだ固定電話を引いていない家も結構あったものだ。 やたら引っ越しの多い我が家も固定電話契約を果たしたのは、長年居住まいを留めた高校以降のことであった。
・・小学校4年まで住んでいたところでは、雇い主である大家さんの家の黒電話を貸してもらっていたように思う。(大体 その頃は小学生が電話をかける用なんて無かったw)
その名のとおり 黒々とした黒電話で、今にして思えば受話器さえ何となく重かったような気がする。 受話器を置いたままダイヤルを回して遊んでいたが、後の時代に出たスタイリッシュな電話に比べると、ダイヤルの戻り方もかなり ゆっくりで、あれでは急ぎの電話をかけるときなど焦ったのではなかろうか・・w。 技術的な問題だとは思うが、まぁ時代なりのスピード加減といったところだろう。
現在と違って通信手段の限られた時代(とは言っても、それ以前の時代に比べれば格段に整備されていたのだが)、”手紙” “小包” “電報” “電話” を除いた、一般人の手にすることが出来る距離間通信手段が『トランシーバー』である。
・・と、大層に言ったところで市井の人々が普段の生活でトランシーバーを使おうはずもない。 要するに子供の玩具である。 自衛隊などが装備しているものならば数十~100kmレベルで通信可能だが、子供の玩具では当然そうもいかない(電波法などの都合もあるのだろう)
確か「通信距離 見通しの良いところで100m」とか書いてたような気がするが、そんな距離で通話出来ていたのを見たことがない。せいぜい20~30m、相手の顔が見えてるよ、叫んだ方が早くないか? 盛大なノイズまみれ、途切れ々々の声が聞こえるのが関の山といった感じだった。 子供相手の商品でもあるし、コストに対する 当時の技術的な限界でもあったのだろう・・。
そう、あんなもん有っても仕方がないのである。カッコよかったけど使えないもの持ってても意味がないのである。しょうがないのである! だって買ってもらえなかったんだもの! 欲しかったのにぃ・・!w
色々なメーカーから発売されていたとは思うが、「学研」の名を冠したものがやはり明確に記憶に残っている。 調べてみると「学研 知育ホビー事業部」となっている。子供の数が膨大であった昭和30~40年代、子供に関わる事業展開で(学校内部での “科学・学習” 販売とか)意気揚々であった同社ならではの、アイデア商品といえるかもしれない・・。実際に製造していたのは、他の電子機器メーカーか玩具メーカーだろうが・・。
今、見てみれば 定価¥3000円~6000円、まぁ確かに高いわな。現在の実情価格に換算すれば¥20000~50000円位の価格に匹敵するかもしれん。そりゃまぁ買ってくれませんわw。
当時は「ウルトラマン」などのSFもの、「スパイ大作戦」などスパイもの など、子供に好まれ遊びのネタに反映されるヒントが豊富だった時代でもあるので、商品化へのアイデアに困ることもなかったのではあるまいか? 子供たちの間で大ヒット商品となった「スパイ手帳」なども、文具メーカーであった「サンスター」の発売である。 (因みに「スパイ手帳」も本家のではなく、お安いパチ物を買い与えられたw)
世間を次から次へと賑わした アイデア商品の数々は、大半、実用性もなければ必要性もない刹那的な商品だったのかもしれない。 しかし そこに子供たちは夢を育み、工夫を凝らし、遊びという人生の階段の一歩を、着実に踏み締めていたのだと思う・・。
目の届く距離の友達から、ノイズまみれで伝わる声にはそんな響きが宿っていたような気がするのだ。
過ぎ去ってしまった時代のことを “あ~だこ~だ” 言っても仕方がない(しかし それだと、このブログそのものの存在意義がなくなってしまうがw)が、子供の歓声に溢れていた時代、テレビ局も玩具メーカーも、そして教育関連企業も活気に満ちていた。
子供を生み育てることが難しくなってしまった社会。そして、結婚、出産、養育という、生きるものとして当然の連鎖にさえ疑問を呈し、個人の価値観や環境ばかりを優先する世の中になってしまえば、新たな生命の芽生えが増えようはずもない。 私達、高齢者の大半が居なくなる30~40年後位には、また出産数も上昇するのかもしれないが、それまで、この国はもってくれるのだろうか・・?
オマケ : 昭和トランシーバーの名残を留める、後の製品たち


