何故? ・・というわけでもない。特に理由があるわけでもない・・が、時折、ふと口にしたくなるもの・・昔、好んで食べたお菓子だとか、晩のおかずの端っこに並んでると嬉しい食材だとか、たまにあるよね?
そんな、よくは分からないけど、何のきっかけか いきなり食べたくなるものの ひとつに “ウインナー” がある。 ・・何でこんなことを書いているかというと今まさにそんな気分だからであるw。 気分と思い付きで書いているブログ・・。いつもご訪問いただく諸兄には申し訳ない・・。
あくまでも不定期だが、一定の期間が経つとふと食べたくなる・・。それ以外の食卓や弁当にも上がることはしばしばあるのだが、その時は一向 気にもせず食べているのだが・・、一体何なんだろうね・・。
ンで、そのウインナー。 ・・どうなんだろう? おそらくは昭和の50年代くらいからは、”より美味しいもの” “歯ごたえやスパイスに重点を置いたもの” など 多種多様な商品が展開されてきたし、実際それらの多くはとても美味であるのだが・・、どうしたわけか、(時折)私が食べたいと思いつくのは、多くの場合 それらが普及するより以前に一般的であった「赤ウインナー」なのである。 いうなれば “魚肉ソーセージ” である。
「赤ウインナー」 それが当時の市場や肉屋さんの店頭・ケースに並ぶ大半であった頃、わざわざ “赤ウインナー” などとは呼ばなかった気がする。 当時から既に本格的なウインナーもあったのだろうが、庶民にとっては縁の薄いものだったのではなかろうか・・?
~ 日本独自の商品として、赤色102号、コチニール色素などで表面を赤く着色したウインナー・ソーセージがある。 これは良質の素材を用いることができなかった昭和中期に考案されたもので、プレスハムなどと同様に発色の悪さを隠すための苦肉の策であったと伝えられている。 ~ (weblio.jp / Wikipediaより引用)
あぁ、そうだね、時折 包み紙(当時お肉屋さんなどで買うとまだ木の皮 “経木(きょうぎ)というらしい” )に、赤い色移りが有ったりしたね・・。身体には もひとつ宜しくないのだろうが、当時の食べ物に着色料が使われていたのは普通だった・・。
あまりに “赤いソーセージ” に慣れすぎたせいで、初めて(普通の? 今様の?)ウインナーを見た時は妙な感覚だったよ。(今でも あの白っぽい方のウインナーは見た目で もひとつ食指が動かない・・)
“魚肉ソーセージ” 要するに “肉のソーセージに似せた加工食品” である。 ソーセージとはいうが半分以上は “カマボコ” みたいなものでもあるw。
海洋国家であり食肉の生産に限りもコストもある(当時)日本ならではの発想とでもいうか、まだ洋食文化の発展途上の産物であったのだろう。 ただ、その増産のタイミングのひとつには、あの “ビキニ環礁水爆実験” の影響もあったというのだから、歴史というものは侮りがたい・・。
ともあれ、当時の幼き君は “お肉” だと思って食べていたし、それなりに美味しく思っていた。遠足の弁当の中身には欠かせないキャスティングでもあった。別に “タコさん” でなくても構わないが、切れ目だけは入れてキッチリ焼いてほしかった。 ウチのオフクロはウインナーを焼く時、何故か “味の素” をふりかけて焼くという癖があったようだが、あれはあれで美味かった・・。
赤ウインナー に親しんでいた背景に、もうひとつのアイテムが存在する。
間食用の “おやつウインナー”。 昭和40年代 当時の子供であったなら知らぬ者はなかろう・・たぶん・・。『コンちゃんソーセージ』である。
赤ウインナーのような 赤い皮(ケーシング)は無い。子供のおやつ用としてさらにコストダウンが図られていたのか、赤ウインナーに増して肉っ気の少ない、もう 粗方カマボコに近い代物ではあったが、それでも嬉々として食べていたように思う。
保護と防腐のため、練り物そのものがビニールでパッキングされていた。 端を止める金具を含めて割と丈夫な包みであり、ハサミやナイフ無しで破ろうとすると結構苦労する。 金具の部分を噛んでグリグリ回していた ご同輩も少なくなかったのではなかろうか?
調べると作っていたのは “ニッポンハム(日本ハム)” で、昭和42年(1967年)の発売という。
当時「とんま天狗(頓馬天狗)」や「オロナミンC」のCMで人気絶頂だった “大村崑” 氏をキャラクターに押し立て、 “コンちゃんシール” がオマケに付いていた。机にベタベタ貼り並べて親に叱られたのも懐かしい想い出である・・。

実は この「コンちゃんソーセージ」のパッケージスタイルは、この商品が初めてではなく、以前からあった封入スタイルであった。 その中でも嚆矢ともいえ、また現在も生産・販売が続けられている商品が、伊藤ハムの「セロファンウインナー」後の『ポールウインナー』である。事実上の伊藤ハムの立役者でもある。
1934年というから昭和9年、戦前である。90年に届く超ロングラン商品である。こちらは同じ皮無しソーセージながらも元来の素材に近い “肉” ソーセージである。それ故 食感も肉料理に近い。
・・が、この『ポールウインナー』、生産量の大半が近畿及びその周辺地域に出荷・消費されているそうで、関東地区をはじめとした他の地域では、半ば無名ともいえる状態なのだそうな・・。
90年の歴史をもって関東地区に進出を果たせない理由として、当地での魚肉ソーセージの人気と定着が大きな要因となっているらしい。地域間の食の歴史の違い、そして好みの違い・・これだけ平均化が果たされた現代にあっても、未だそういったものが残っているのが興味深く面白い。
懐かしの味、そして子供好みのライトなソーセージ。しかし、近年、小学校の給食からはその姿を消しているのだそうな。添加物云々の話であるらしい。まぁ、いつもの よくある話・・。
宜しくないというなら、それはそれで仕方がないが・・、うん、まぁ食いたければ個人的に買って食え・・ということなんだろう。またカミさんに頼むこととしよう・・。