藤子不二雄、正確には “藤子・F・不二雄” による最大のヒット作といえば、やはり「ドラえもん」ということになるのだろうか。 漫画作品の数だけでも1345篇、2019年には誕生50周年を記念したほど多くの人に愛され、テレビ版は途中の休止期間を挟んで今なお放送が続けられている超長寿アニメでもある。
子どもに夢と想像力を与え続ける良い作品ではあるのだが・・、どうも自分には、もうひとつ馴染みが薄い。
私にとっての “藤子不二雄” といえば、そのはじめが実写ドラマの「忍者ハットリくん」であり(藤子不二雄Ⓐ)、 漫画・アニメとしては「オバケのQ太郎」が最初で、単行本も何冊か持っていた。そして その後が「パーマン」「新オバケのQ太郎」といったところ。
昭和40年前後、漫画に描かれたオバQ “Qちゃん” は シンプルな線で描かれながらも、後の “Qちゃん” に増して(西洋感覚の)オバケチックであった。 その外見が実は服である描写なども含めて幼い頃の私を楽しませてくれたものだ・・。
後の大作「ドラえもん」は、昭和44年に連載が始まるも、当時私は雑誌を購読していなかったし、その数年後のテレビアニメ化にも年齢的に噛み合わなかったことが「ドラえもん」への馴染みの薄さを形成しているのだろう。
「21エモン」や「モジャ公」も時期的な理由からあまり目にしていなかった。
ともあれ、子どもたちに夢の世界を提供し続けてくれた “藤子・F・不二雄” であったが、その作品の全てがヒットに恵まれたわけではない。
私的には楽しく見ていたはずの『ウメ星デンカ』も そうした不遇をかこった一作であろう。
前作「21エモン」が不調に終わったことにより、物語の設定や展開を、原点に立ち返らせて構想を練ったという。
説明するまでもないが “梅干し” と “ウメ星” をかけている。彼らが地球来訪時、そして、日常的に活用する “壺型宇宙船” は “梅” を漬ける壺から来ているが、子供の頃はそんなこと気付きもしなかった。
変わらぬ日常に突然 紛れ込んできた異分子(Wikipedia表記)との出会いは、低学年向けマンガを基本としているだけに、突発的でありながらも意外とあっさりしている。藤子作品では定番のパターンである。副?主人公(大抵は地球の一般的な少年)の家に居候となるのも同じ・・。
主人公:デンカ、その父 国王、王妃、家来たちと、彼らとの同居を許す中村一家の織りなすドタバタコメディー・・といったところで、プロットとしても基本的なストーリー展開としても欠点らしい欠点は無かったはずなのだが・・。
しかし、人気の方は21エモンに続いて今ひとつ・・。先行した漫画では2年ほど、テレビアニメでも半年1クールのみで終了を迎えた。多角的なメディア展開はなく、25年後(1994年)ようやくアニメ映画化された時は「ドラえもん」併映の30分短編、添え物的扱いであった。以後、独立した漫画化・映像化はなされていない。
後の “四次元ポケット” にも引き継がれたアイデア。 次元空間を持ち何でも出てくる “壺型宇宙船” など、ユニークなアイテムもあったのに関わらず、ここまで明確な「ドラえもん」との落差は、どこから来るのだろう?
「ドラえもん」が非常にまとまったプロットの上に、”四次元ポケット+便利道具” という、ネタを生みやすく広げやすい素地を持っていたのは、他作に比して大きなアドバンテージであった。
それは理解するが「ウメ星デンカ」も それなり面白いプロットであったと思うのだが・・。
ひとつ思うのは、ドラえもんが のび太の矯正役として未来から遣わされたロボット・・という、漠然として自由な役回りであるのに対して、故郷を失ったが故に その再興を果たすという、明確な縛りを義務付けられたウメ星人の不自由さ・・だろうか・・?
また「ウメ星デンカ」は、それぞれの登場人物が かなりユニークなキャラクター付けの割に、物語そのものは総じておおらかな運びである。
対して「ドラえもん」の登場人物は個性を持ちながらも、おしなべて皆 常識人の範囲であろう。そして各人がとても人間臭い。涙っ鼻タラしてドラえもんを頼りながら、5分後には調子に乗っている のび太など、その最たるものであろう。

ここから考えられるのは、異常の人物が織りなす軽いコメディーよりも、普通に存在する人間が、人間らしさに基づいて積み上げてゆくドラマの方が、より(架空の)リアリティを保持しながら、物語を広げやすく魅力的にし易いということだろうか・・?
そして、それを子供たちも機敏に察していたということだろうか?
とはいえ・・、『ウメ星デンカ』もそれなりに面白かったと思うんだけどな~・・。 当時、似顔絵も描けたし・・。
次元格納が可能、恒星間移動OKな超科学の上に「スッパッパ!」の掛け声よろしく超能力までも操ったウメ星デンカ、視聴率まで操作出来なかったのが悔やまれる・・。
