あ~・・、題名の英語、文法的にはおかしいと思うけど・・お気になさらず・・。
ま、要するに いつもの如く、私の間の抜けた記憶ネタである。

中学1年生のことだった。 引っ越しの多い私の家はその時 大阪に居を構えていた。 “居を構える” というと大層な言い様だが、アパートを借りて住んでいただけである。・・短い期間しか住んでいなかったし・・。
小学校を卒業すると いきなり引っ越したので、それまでの同級生へのお別れも無し、突然 住むことになった町で周りに知り合いも無し。 何回目かの引っ越しで多少慣れているとはいえ、完全に新顔の入学先で馴染んでいけるか不安でもあった・・。
・・で、結果はというと気に病むほどでもなし。子供の良さとでもいうか じきに友達もでき、打ち解け慣れ親しむことができた。 ・・とはいうものの、中学校というのは基本 地元の子供の集まりでもある。朧げな疎外感というか・・微妙に浮いているところがあったのかもしれない・・。 まぁ、転校先では何度も感じてきた感覚ではあったが・・。
表出していなかったつもりだが・・、そんな子供の微妙な表情を感じ取ったのか、それとなく気に掛けてくれた人がいた。 担任の先生である。たぶん新任の先生だったように思う。
女性、新任の先生、よって当時 まだ20代そこそこだったのではないだろうか? 担任であると同時に “保体(保健体育)” の担当であった。 ここら辺からも何となくイメージが湧いてくるのではなかろうか? 明るく元気な先生である。ウジウジしてないでドンドンやろう! なタイプである。 通算10数年 学校というものに通ったが、私のことを日頃から あだ名呼び(名字の上半分)したのは この人だけである。
教師であると同時に友達的なスタンス、ツマらんことをすればしっかり叱るが、日頃は基本的に子供・学生目線・・。 まぁ現在でもこういう先生はいるのだろうが、何かと世知辛い世情、中々に難しいのではなかろうか・・?。
当然、子供たちからの人気も高い。5月も半ばになる頃には例によって “家庭訪問” の季節なのだが、住まいのアパートから自転車を漕いで各家庭を回られた。
すると、寄る家 寄る家ごと、話が終わるとともに その家の子が先生の後を付いて回りだす。数件回る頃には “金魚の◯◯” 状態、一人の大人の自転車に数人の子供の自転車の列、何のグループだよ? な感じ。(当然、私もそこに居た) それが数日繰り返されるのだから、先生も気を使われたであろうw。
そんな先生のお陰で、気詰まることもなく日々を過ごせたのだが、夏休みももうすぐ・・6月も末か7月の頭の頃だったか・・ “林間学校” が行われた。 林間、自然に囲まれた場所、”赤目四十八滝” という名だけ憶えているので三重県だったのだろう。
ハイキングなど一通り行事をこなすと夜は館内で集団での晩御飯、それが終わるとリラックスタイム・・とでもいうか、ひとときのレクレーションの場となった。
そこで 先生が一曲歌われた。 歌が、春日八郎の『お富さん』・・。
当時、12~13歳の子らに その歌の内容が解るはずもないが・・何故に『お富さん』?
先生とはいえ、子らと10歳ほどしか離れていない若き娘さんですよ? 何かこう・・他にもあるでしょ? 中山千夏の「あなたの心に」とか、チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」とか・・w。
春日八郎による『お富さん』発表、空前のヒットを飛ばしたのが昭和29年という。先生のお歳を勘案すれば、29年の頃はまだ2~5歳前後? 直接 聴き覚えたというより、ご家族か知人の誰かが歌っておられたのを聴いてレパートリーに取り込まれたのであろう。
されど、これが先生の人となりに妙にしっくりくるのである。内容がさっぱり分からないまでも、その軽快なノリとリズムに合わせて生徒たちも手拍子を送っている。 以来、私の中にも先生の面影とともに この『お富さん』がしっかりと刻み込まれてしまった。 テンポの良さ故 自然と吸収しやすく、歌詞も覚えやすいところも奏功したのだろう・・。
Wikipediaで見ると29年当時、あまりのヒット故に大人のみならず、その歌詞内容も知らぬまま数多の子供らが口ずさんだため、教育上の問題と騒がれたそうだ(いつもの事・・)。選んだわけでもなかろうが、そんな歌をわざわざ歌われた先生には敬意を表したいw。
夏休みも間近、ひとつの噂が流れた。 休みを利用して先生が帰郷されるというのである。確か熊本だったか鹿児島だったか、九州の方がご実家だと聞いたように思う。
そして 噂の核心部分が「帰ったら見合いでもするんじゃないか」「見合いで親から帰るよう言われたんじゃないか」という・・まぁよくある 何とかの勘ぐりというやつだが・・。
私が、その結果・・真実を知ることはなかった。 夏休み中にまた引っ越してしまったからである。 相も変わらず突然、いきなりの引っ越し・転校だったのでクラスの皆や先生にも挨拶出来ずじまい・・。 いつものこととはいえ寂しいというか、何か子供ながらに情けない気分。 先生の気性と気遣いを考えれば “ありがとう” の一言くらい言いたかったのだが・・。
以来50年、先生の音沙汰など知る由もない。 あの先生のことだから ご結婚されても元気に教員を続けておられたんじゃなかろうかと思うのだが・・。
私の中に『お富さん』の歌だけが生き続けている。
そして歌詞の冒頭に出てくる「粋な黒塀・・♪」について誤解を持っていたことを最近知った。
私の中では “黒塀” とは、あの子供の頃 近所のあちこちにあった “炭焼きの黒い板塀” のことだと長年思っていたのだが、そうではなく、杉や檜の板に黒渋を塗ってシックに仕上げた塀のことなのだそうだ。
子供の頃、ワチャワチャと外で遊んで帰ると、手の平やズボンの其処此処に真っ黒な炭跡を残した あの黒い塀は “焼き板の塀” “焼き杉板塀” と言われるのだそうな。
しかし、私の中では今も “黒塀”= “焼き板塀”= “お富さん” そして =”先生” なのである。夏に向かうひとときの季節、やんちゃな想い出、厚い人情と、『お富さん』の歌を介して板塀と先生が何故か結びついているのだ。
半世紀も経ってしまった今、これからも先生と再開する機会もなかろうが・・、一言だけでも・・当時の想い出に対してお礼を述べておきたい。 (微妙に個人情報に触れるが・・まぁ良かろう・・w)
ハヤカワ ケイコ先生 その当時は お世話になりました。お陰で短いながらも心に残る輝かしい季節を送ることが出来ました。本当にありがとう。いつまでも あの日のようにお元気で・・。