年齢とともに好みも変わる・・というのは時折 経験することである。 以前は嫌いで口にもしなかった料理が、ある時ふとしたきっかけで食べてみたら意外に美味しく感じられた。・・などという記憶の一つや二つ、どなたにでもあるだろう。
若い時代は得てして観念的な思考に流れやすい・・のか、短絡的な情報や一方的な思い込みに左右されがちである。(まぁ歳食った今でも似たようなもの、といえば そうかもしれないが・・)
直感的・第一印象で物事を決めてしまうので、処理は早いが本質や実態を見落としがちとなる。私も誠そんな感じだったのだろう。
そんな曖昧かつ、いい加減な基準で “度外視” 扱いしていた車が当時あった。 スズキの小型乗用車『カルタス』である。
だってアンタ、小型乗用車ですもの。社会に出て数年、まだまだ夢に満ち、その内でっかい高級スポーツカーにでも乗ってやるぜ!という頃に、軽に毛の生えたようなリッターカーに目は向きませんって・・
『カルタス』初代発売 昭和58年(1983年)・・。 日産がスカイラインにFJ20ET型(DOHCターボ)エンジンを積んで “史上最強のスカイライン” とブイブイいわしてた年ですよ!? そりゃそっち方向に気が取られますって・・
じゃあ オマエは何乗ってたのかって?・・・6年落ちのガタボロ “セリカ” でしたけどね・・(^_^;)
まぁこんな調子で『カルタス』だの、はたまたダイハツの「シャレード」だのは、全く眼中の外だったのである。 後の時代に若い女性が「軽で迎えに来るのはヤメて!」などと言うのを聞いて、「●●な女は!」とか思ったものだが、自分も同じ程度のものだったのである。。
・・で『カルタス』 乗ってみるとこれが軽い! そして速い!
そりゃまFJ20ETみたいな暴力的スピードとは比べるべくもないが、1トンを優に超える車重に190馬力に対して、その半分の車重に70馬力(1300GT-i では100馬力!)のパワーウェイトレシオは、車体の取り回しも含めると ある意味互角レベルともいえるのではないか。
只まぁ・・そもそもが経済性を主軸に開発された車だけあって、車体そのもの、そして足回りに至る部品にコストは掛けられていない。(部分的には軽アルトの部品も流用されているとか)
また、当時のFF駆動は まだまだ発展途上だったこともあって、アクセル踏み込んでコーナーに突っ込むと曲がらない強アンダーであったとか、高速時の走安性に問題があったとか・・色々あった。
しかし、それを押して・・要するにクセを把握した上でのカンカンバキバキな走りには得難いものがあったのだ。(もうチョイ、エンジンのフケが良ければ言うことなしだったが・・)
経済性を主軸・・。確かに『カルタス』の開発ベクトルは “低燃費” “低価格” であった。これをハイレベルで達成して大量販売を狙うスズキの “世界戦略車” であったのだ。 そのために “GM” との合同開発という形にし、それは功を奏した。
北米での売上は1987~88年の2年間だけでも13万台、他に南米での製造・販売は2000年代まで続けられ、オーストラリア圏なども含めると、その累計予想は数百万台にも登る。
しかし、日本国内に目を転じてみると、88年9月の初代生産完了までの5年間で9万9千台と10万台にも満たない・・。 日本には軽自動車規格が存在するためリッターカーへの関心が薄いとはいえ、少々残念な数値だ。 やはり日本においてのリッターカーは商用車需要か、選ぶ人だけが選ぶ車なのか・・。
1988年(昭和63年)から後を継いだ2代目も、一見、当時のホンダ・シビックに似たスマートな外観となったが、それでも販売台数はさして伸びたとはいえず、商用車、特に交番付帯のパトロールカーとしてのイメージが強いほどだ・・。
元々、スズキという会社は海外(それも新興国家)向けの輸出販売・現地生産に力を入れ成果を出している会社でもあるので、国内での成果がそれほどでなくとも問題なかったのかもしれない。(インド辺りでのシェアも大きい)
スタイリング的に KP61型スターレットに酷似していたともされる初代「カルタス」。 それ故にスターレットの後追いなどと言われることさえあったが、例え時代の反映に基づいて似たような商品リリースが契機だったとしても、そこにスズキは独自のアプローチで「カルタス」を育んでいった。
発売開始の翌年(1984年)に発表された “G-ターボ” は、80馬力を発生するとともに足回りも強化され、よりスポーティーな性格へと変貌した。同時にCD値(空気抵抗係数)は0.37、同時代に0.38をアピールしていた4代目 C31型ローレルよりも優れた数値であった。 同年、ファミリー向け5ドアもリリースされている。
そして1,986年、満を持して発表されたのが「カルタスGT-i」 1300ccまで拡大されたパワートレインにクラス初となる、4気筒16バルブDOHCエンジンを搭載 97馬力を叩き出し、それは後期型において ついに110馬力にまで到達した。
クロス5段のシフトや、当時ではまだ希少だった165/65R13ラジアル、ベンチレーテッドディスクまで奢るという気合の入れよう。 この車をベースとして参加した 国内小排気量レースでは常勝マシンとなった。
2代目に引き継がれた後は時代性を反映してか、よりユーザーフレンドリーな車種展開となっていったが、初代「カルタス」にあっては 低燃費・低価格車にありながらも、スポーツマインド溢れる血脈がそこに息づいていたように思う。
“CULT(崇拝)”、”CULTURE(文化)” から引用命名されたという「カルタス」。
他方、”軽(自動車)” に “チョイ足し” で “軽足す” などと揶揄された「カルタス」。
どころか 当時の世相では、ひっくり返して “足軽(あしがる)” レベルの扱いであったのだろうが・・。
ダブルエンジン搭載でパイクス・ピーク(Pikes Peak)を攻めるスズキ、オーバー300km/h 20世紀最速のハイパーバイク「隼」を生み出したスズキ、いつも思える “チョッとヤリ過ぎなんじゃないの?” スピリットは、レーシングプロジェクトから距離を置きながらもスズキの中に沸々と渦巻いている。
「足軽」でしかない、一見地味な存在に見えた『カルタス』の懐には、実は全てを貫き通す「神槍」を抱えていたのかもしれない・・。。