「四半世紀も経ったけど」・・。 最初は「24年経ったけど」の題にするつもりだった。しかし それだと先々チョイと困りそうなので「四半世紀」とした。
何が困るのかと問われれば、2〜3年後位にリライト記事として投稿しようとした時、年数の修整を忘れたままアップしてしまいそうだからである。 やや曖昧な四半世紀としておけば多少の誤差は吸収してくれる。相変わらず “手を抜くための” 努力は怠らない怠惰な性分であるw。
・・で、何が四半世紀・24年経ったのかというと・・計算すれば すぐにお分かり。
“1999年” である。・・え? ピンと来ない? アレですよアレ! 世界の終わり、恐怖の大王降臨!「ノストラダムスの大予言」! ・・そういえば昔、オカルト番組で見たことある?
・・確かに50代前半までの方なら そんな感じなのかもしれない。平成以降 オカルト番組も減ったので30代位までなら「ノストラダムス? 何それ?」かもしれないな・・。
しかし この「ノストラダムスの大予言」が世に問われた1974〜5年※、世界は(まぁ多分 日本だけだろうけど)揺れに揺れた。ノストラダムスブームだったのである。何せ(その時点から)四半世紀後に世界は滅亡してしまうのだから・・。 ※ 初版発行は1973年
つい何年か前まで “万博” だの “消費は美徳” だの景気の良いことばっか言ってたのに、その後 “公害” とか “オイルショック” とか、鬱陶しい話が続いたと思ったら もう打ち止めかよ! おまけに後25年程ってまた微妙な・・その期間で世界の終わりを回避できんのかよ!? 「ノストラダムスの大予言」って映画作ってる場合かよ!? それも「ルパン三世 念力珍作戦」と併映で!w
こんな案配でブームだったわけである。まぁ大半の人は一種の娯楽として捉えていたと思うが、中には本気にしてしまった人もいるかもしれない。 400年以上昔の人とはいえ、数々の予言を的中させた人が そう言っているのだ。この世の終わりとなってもおかしくないと・・。
実際のところ、”的中した予言” とはいっても “そう解釈すればそうともとれる” 程度のことで、精査立証されたものなどひとつもないのだが・・。
まぁこういうのは宗教と同じで、一度信じ込んでしまうと他の言に耳を貸さなくなってしまうところが人の弱さ悲しさでもある。自らの信念に自信を持つことと、柔軟性を失うことは同義ではないはずなのだが・・。
ともあれセンセーショナルかつショッキングなお話、当時、中学生であった私の年代、少年少女の間でも大きな話題となった。こういうオカルティックな話には目のない世代でもある。
・・が、少なくとも私の周囲でこれを本気に捉えている者はいなかったようだ。 どちらかというと流行りの映画、ポスターの目が気色悪い、同時期に放映されて これまた話題となっていた「エクソシスト」に似たようなものと認識されていたのかもしれないw。
そもそも400年から前の話を、今さらながら引っ張り出して世に知らしめたのは五島勉というライターさんである。 作家さんといっても良いが、どちらかといえばオリジナルの創作活動というより、世間・世界の事象をドラマティックに書き上げる仕事人・・といった方が実態に近い。
このノストラダムス話も、推理小説やSF、オカルト本を主力に扱う出版社・編集者に、五島氏によって持ち込まれた企画のひとつであった。 要するに “結果、当たっちゃった企画” なのである。
出版社も五島氏もビックラコン!な当たり様だったのだろう。出版間もなく日本中の話題をさらい 映画化までされたのだから。五島氏はこのヒット印税で(田園調布ではないが)土地付き一戸建ての主となった。
続編の刊行は当然であろう。柳の下のドジョウは居るだけ かっさらわなければならない。ノストラダムス関連の著作は10作ほどにもなった。 ・・でも、大きいとはいえ居たドジョウは一匹だけだったようだが・・。
上でも挙げたように、当時は経済成長が終わりを告げ、引き換えのように公害や資源問題が噴出していた時代。オイルショックは人々の繁栄が無制限でないことを告げていたし、米ソの対立は大戦を超える惨禍を予期させていた。
年端もいかない子供はさておき、大人の中に これら “終末の予言” を信じ込んでしまった人がいたとしても、それらを一概に笑えないのも また事実であったのだろう。
1999年という世紀末っぽい年数もポイント、いわゆる世紀末思想、いつの時代も終末年に近づくに連れ世を騒がせる。 考えるまでもなく、年数や時間など人間が勝手に設定した尺度であって、地球・宇宙からみれば “そんなの関係ねーッ!” なはずなのだが・・。
ともかくも、有り難いことに1999年7の月は 事程無事に通り過ぎ現在に至っている。
とはいうものの、以降から現在までの世界状況を見渡せば、少なくとも戦争というものが “無くならないもの” “いつ起こっても不思議でないもの” であることは明白であろう。 それは理屈でもなければ思想でもない “人” そのものが背負った “業” のようにも思える・・。
また “病” というものが無くならず、世界的な影響を及ぼすことも今時の事例をもって再び思い知らされた。 昭和時代、1960年代までは一般人のみならず医学の有識者までもが、いずれ大半の流行病を制圧出来ると考えていたが、現実は・・むしろ増えているようにさえ感じる。
考えても仕方がない。下手に考えれば暗い気持ちになるばかりだ。そもそも、そんなに心配しなくても、この世界に永遠のものなどなく、人間の世界もいつかは終焉の時を迎えるのだろう。
なれば、何も考えず何にも囚われず、先のことは先のことと お気楽に過ごすか・・。 それとも、せめて自分だけでも悔いの少ないように、自らの人生を律し 周囲との和を大事にするだけだろうか・・。 とりあえず手抜き・怠け癖だけは謝っておこう・・ゴメンナサイm(__)m
どうせなら こちら↓の方をネタにしたかった・・w