昭和50年前後の頃だろうか、妙な題名の歌を耳にした。
「空飛ぶ鯨」である。
大海を彷徨う鯨を空に持ってくるなんて、随分思い切ったアイデアだなと思っていたが、そのインパクト故か歌そのものの方をさっぱり憶えていない。勝手な憶測で申し訳無いが、世間的にはそこまでの大ヒット曲とはならなかったのであろう。
今更ながらに、どんな曲だったのか聞き返してみようと調べてみると・・、アレレ・・ “同音異曲” が三曲もあるではないか。曲の題名って商標とか そういう類いのものないのかしらん・・。
『空飛ぶ鯨』
歌:ちゃんちゃこ 1974年
『空飛ぶ鯨の話』
歌・作詞作曲:みなみらんぼう 上記、ちゃんちゃこ版の元歌
『空飛ぶくじら』
歌:大瀧詠一 / はっぴいえんど 1974年
『そらとぶくじら』
歌:外山喜雄とデキシーセインツ 作詞:わたなべもも 作曲:中川ひろたか 1996年 NHK みんなのうた
平成 NHK版の歌を別にして、あとは近しい年代だと思うが、みなみらんぼうと大瀧詠一の間で題名ブッキングは起こらなかったのだろうか? それとも同名競作にしたのかな・・?
地球上最大の動物(※生物ではない)とされる鯨、体積との比較からみれば割合小さいものの、それなりに大きな胸ビレを持ち、垂直に立つ背ビレと相まって、確かに大空を悠々と泳ぐ姿にも妙な説得力というか、ロマンを感じさせてくれる。 ※ 最大の生物は2㎢以上の菌糸を伸ばす “キノコ” だそうだ。
同時代に開発され、”ジャンボ” の愛称で日本の空にも導入された大型旅客機 “ボーイング747” も、これらのイメージに寄与しているのではなかろうか。

こういった、鯨に関わるイマジネーションは古くからあったようで、日本と同じように海に開けて海洋産業が発達した国では、文学などをとおして鯨の多彩な逸話が語られてきたという。
さても 当時、私が聴いたはずの「空飛ぶ鯨」が上記いずれの歌であったのかは、聞き返してみても結局分からずじまい。 “ちゃんちゃこ” 版であったようにも思えるのだが確信はできていない・・。
これら「空飛ぶ鯨」の歌が作られた背景・・と、いうわけではなく何らの関係もないのだろうが、これらの数年前、私は実際にこの目で “空飛ぶ鯨” を見ていた。
まだ 小学校の低学年、ある日 学校の休み時間に、それは突然に現れたのだ。
運動場、仲間内で流行っていた “手球”(ゴムボール以外の道具を使わない簡易な野球)に興じていた時、何やら後ろの方が妙に騒がしい・・。 手球をやっていた友人も動きを止めて何かを見上げている。
騒ぎの元が自分の背後にあると察した私は後ろを振り向き・・、そして固まった。おそらく間抜けに口も開いていたのではなかろうか。 それほどの驚きだったのだ・・。
学校の遥か向こう、まるで静止しているかの程にゆっくりと雄大に、一頭の鯨が空を飛んでいた。
体表には “キドカラー” のレタリングと “日立” のマーク、戦後初の試みとして全国を周遊していた、大型商用飛行船の飛来である。 一企業の宣伝事業にも関わらずニュースでも大きく取り上げられ、各地でも話題になっていた飛行船が、自分の通う学校区の至近を通過てくれたことに “猛烈に感動” していたのだ・・。
後に知ったことだが、キドカラーの飛行船は周遊の途中、寄港先の徳島係留地において、暴風の被害を被り崩壊の憂き目に遭ってしまったそうだ。 元々 中古の船体であったとはいえ、導入、国内初飛行から僅か7ヶ月余りの活動であったことは残念としか言いようがない・・。
しかし、この周遊飛行は当時の日本に絶大なインパクトとイマジネーションを引き起こした。 飛行船=キドカラーのイメージを持つ昭和世代は今もって少なくない。
日本の多くの電気製品企業が、その趨勢を落としてゆく中、家電メーカーとしての日立も かつての精彩は失われがちである。 永遠に続く栄華などないように、国の経済発展もいつかは減速してゆく。
その省エネ性に比して、積載能力の低さ、移動速度の遅さなどから近代社会のニーズにそぐわず、開発・投資・採用事例に覚束ない飛行船も草創期の期待と拡大に比べ右肩下がりの歴史を歩んできた。
されど近年になって、ようやく有用性の拡大に取り組まれはじめ、ハイブリッド飛行船の開発など、成果を上げはじめている。
先日、逝去された “御大・松本零士” も 飛行船はご贔屓だったようで、自らの作品「クイーン・エメラルダス」に登場する機体としても採用され、大宇宙を駆け巡っている。
減っているの増えているの、政治と人の口性から何かと喧しく取り上げられる海の鯨に比して、大空を泳ぐ巨鯨はあまねく優雅で雄大、そして寡黙である。
冒頭の歌のごとく虚しき終わりとならず、海の鯨とも空の鯨とも ゆったりと共生出来る時代は来ないものだろうか・・。