Re: 未来の丸さ

1950年から1970年代、世界は夢を見ていた。

一方で米ソの対立や様々な地域紛争による冷戦の不安を抱えながらも、いつか それらの諸問題も解決され、平和で明るく、便利で豊かな時代が世界の隅々にまで行き渡る未来がやって来ると信じていた。

何がどうなったかは皆様の知るとおり・・。 半ばその想いは叶えられたと見るべきか、むしろ深刻な問題は増えていると見るべきか・・。 ともあれ、未だ進歩?の途上なのであろう・・。

 

夢に満ちた時代のデザインは、希望と奇抜さに溢れている。 モータリゼーションに沸き立つ頃の日本車は覇を競うように各社各様の構想と熱意に溢れていた。 それは時代をときめくスポーツカーなど花形車にとどまらず、多数の人数が移動目的で利用する “マイクロバス” にまで及んでいたのだ。

『マツダ ライトバス』

 

「未来型フォルム」 とでも言おうか、 中途な未来となってしまった現在では そのキャッチコピーさえ古めかしく感じるが、当時は正に先鋭的なデザインであった。

時代の発達には時期的な区切りがあるとでもいうか、モータリゼーション真っ只中、昭和40年代は独自の社風と技術力を賭けて世に問う気概が各社にあった。

それは技術指向の高いマツダでは特に強かったようで、あろうことか、社のシンボル的存在であったロータリーエンジンをバスに搭載するという とんでもない計画にまで至った。(搭載されたのは画像の後継車パークウェイ)

経済性・整備性が優先されるべきパブリックな車に、元々スポーツカー向けのエンジンはさすがに無理があったようで僅か40台ほどの生産で終わったようだが、無謀と思えるほどの情熱と行動力は熱く沸き立っていた昭和の確かな一要素でもあった。

この時代に指向されたデザインは車に限らず得てしてエキセントリックであり挑戦的である。 そこには製作者の噴泉の如き熱い想いと子供の如き純粋な夢が宿っている。

現代的な観点から見れば まだ稚拙な部分も少なくなく、形にするための技術的な限界や実際の応用性から100パーセント実現できなかったスタイルもあるが、いまだ伝え続けられる形・商品。車たちが多く生まれたのもこの頃であろう。 技術もアイデアも発達・先鋭化したはずの近年20~30年に、後世に語り継がれる資質を持ったものが相反したかのように減ってしまったのが何とも皮肉に感じられてならない・・。

* 当記事は2021年1月31日掲載記事からのリライト記事となります。

 

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