「角」 “かど” である。 “すみ” でもなければ “つの” でもない。”角っこ” に因んだお話・・。
以前、Facebookの昭和関連グループに在籍していたときポストしたネタの転用である。二年半ほど前のはなし。 元々 古臭い昭和のお話なのだから違和感は無いはずなのだが、当時の保存データを読み返したら何故か微妙な “時間差ボケ?” を感じてしまった・・。
以下、グループ投稿時
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2020年5月7日
『角』
最近 読んだ漫画の一コマにちょっと懐かしいものが目に止まりました。
昔、撮影した写真をアルバムに貼り付けるのに使ったコーナーシール、写真の枚数が多い時には結構面倒くさかった記憶があります。
フィルムシート式のアルバムになって長らく既に過去のものかと思っていましたが、今でも販売されているのには少し驚きました
投稿から二年半経った今でもamazonなどを見てみると、未だ “コーナーシール” は販売されている。 貼り付けに結構手間の掛かるものだと思うのだが、需要が絶えないのか、当時から変わらぬ姿で並んでいる。
当時・・。 そう、ここで言う当時とは私にとって50年以上前の話である。親父の数少ない趣味であったカメラとその写真。 撮ってきたその写真をアルバムに貼り付ける作業を手伝わされたのである。
ミッチリと並んだコーナーシールを一枚ずつ台紙から剥がして、それを写真の角に対角に二つ差し込みアルバムに貼り付ける(スペース配分や水平を意識しながら)。上手く貼れたら残りの角二ヶ所にも差し込んで貼り仕上げる。
写真1枚や2枚なら良いが、プリントから帰って来ると20枚40枚、時にそれ以上にもなるので、かなりの時間と忍耐を要する。やってられん!
“フリーアルバム” という商品名だったか、「コクヨ」から(多分)発表されたフィルムシート式のアルバムを初めて見たときは、そのアイデアに感動すら覚えたものだ。
「コーナーシールよ、サヨ〜ナラ〜♪」 この世からコーナーシールが姿を消す日も近い。 否、とっくの昔に製造中止!廃盤商品!になっていたと思っていたのだが・・。
どっこい!シールは生きていた! 2年前も生きてたし、今日この日も生きている。
極々一部の商店が細々と・・といった感じでもなく、何種類かのバリエーションもあり、ネット検索でも 幾らか見つけられる。
写真 = プリントそのものは、フィルムカメラだけでなく、デジタルカメラのデータからでも容易に可能なので、”実体を持ったアルバムに” “デコレーション” なども添えて貼り仕上げ楽しむ、趣味的なニーズなどが有るのかもしれない・・。
一方、フィルムカメラとフィルムを取り巻く環境の方といえば、風前の灯火・・とはいかないまでも、それに向かって近づきつつあることは厳然たる事実であろう。
「富士フイルム」や「コダック」から現在もフィルムはリリースされているものの、その
未来は決して明るいものではない。1本 ¥300円やそこらで買えていたものが今や¥1000円2000円である。ファンからすれば売られているだけ まだマシな状態・・。現像などに使うケミカル商品も入手困難の一途を辿っている。
SDカードなど記録メディアが無くなれば、デジタルカメラも同様の使用不能が懸念されるが、ネットへの転送機能を備えたものならば、機体が壊れないかぎり使い続けることができる。 しかし、フィルムカメラはフィルムや現像ケミカルの供給が止まれば そこが終着点となる・・。
美しい景色や愛しい家族の姿を残しておきたい。時に実体化して眺めていたい願望がある限り “写真を撮る” という行為は無くならないだろうし、アルバムやフォトフレーム、パネルの需要も続くだろう。
そういった中で コーナーシール は 古き時代を知らない世代からは、目新しく楽しげなアイテムに映るのかもしれないな。
自分が辿ってきた人生の一片一片を画像や映像、記録として残していくのは知能を持った人類ならではの所作でもある。 現在はスマホやPCを通してハードディスクやネットワーククラウドに保存しておくのが主流だが、30年、50年、そして100年後にはどうなっているのだろう・・?
50年前には想像もつかなかった現在の姿であるだけに、この先50年後も全く予想が出来ない。 SFアニメに描かれるように “電脳化” が進み、最早、”目” で直接撮って “脳” を通してクラウド上に保存し、見たい時にいつでも “脳内” で見れるようになってゆくのだろうか・・?
コーナーシールに苦労することもなく 便利なことこの上ないが、何となく気持ち悪くも感じてしまうのだが・・。