「フハハハ!5年遅いわ!」

「昭和テロップ」 過ぎ去った時代を懐かしみ 想いを馳せるブログである(一応)。
言い換えれば “後ろ向き” なブログでもある。 まぁ歳を取るとどうしても自分が輝いていた頃のことに想いが行きがちだし、そもそも “新製品が!” “新しいサービスが!” な新規の出来事に興味が薄れてしまう。

生きてゆくことにはともかく、日々の生活の一回り外側にあるような新たな動きに “ときめき” を覚え難くなってしまい、畢竟 世間の動向に疎くなってしまう。 そんな奇異な目で見られても、今 人気のお笑い芸人さんなんか知らん! ユーチューバーだか何だか何が面白いのかさっぱり分からん!

・・結果的にこういうヘンコで講釈タレのオヤジが出来上がってしまう・・。まぁ、せめて分かったような口をきくのは、自分のブログ内だけに留めておくようにしましょう・・。そして、最近のことにも少しは気を傾けるようにしないと・・。

 

先日、カミさんの実家のシーリングライト(蛍光灯)が点かなくなった。
買い置きの蛍光管を替えても点かない、年数も経っているので(インバーターが)昇天したのだろう。機器ごと買い換えるかと電器屋さんに行ってみると・・・。

蛍光管を使う “従来の蛍光灯” はもう売っていないと言われた・・ (・o・;)?

「え? いつの間に?」・・ もう5年程前から そんな感じなのだそうだ。

「10年 早いわ!」ではなく「5年 遅いわ!」な気分・・。

サークル(丸)型 や 直管型 の、”交換用 蛍光管” はまだ販売しているが、それを使う蛍光灯機器の方は、とうの昔に全て廃盤。今はLED式シーリングライト以外 作っていないらしい・・。何とまぁ・・。

10年位前から LED式の照明装置が幅を利かせてきていたのは知っていたし、LEDによる蛍光管タイプのものが売られていたのも聞いていたが・・。 家の “蛍光灯” は買い置きの “蛍光管” で今まで賄ってきたので、機器そのものが廃れていることに今まで気が付かなかったのだ・・・。

 

考えてみれば、単に “蛍光灯” と言えど “グロー球(点火管)” を使うものも、殆ど見なくなった。20~30年前から “インバーター” が普及したからであろう。 技術も進み、消費財ともいえるグロー球を使い続ける必要もなくなったからである。

グロー球やインバーターは点灯させるためだけの装置なので、灯りの色や広がり具合そのものにはあまり影響を及ぼさない。 実用上は1テンポおいて点くか、瞬間的に点くかの違いだけで “光り方” は以前からの蛍光灯のままである。

しかし、LED となると “光り方” が従来の蛍光灯とは異なる。光の周波数帯域が高いLEDの光は “青白い” 方向に行きがちで、直進性も高いため広範囲に拡散しにくい。 RGB(赤・緑・青)3色のLEDを組み合わせて7色に変化可能なものも売られているが、生活上の実用としては若干 “赤み” に寄せて使う以外、もうひとつ有用性が薄い。

まぁ、これでも、LED 登場当初に比べれば、光度・色度ともに かなり改善されてきた方なので、今後、5年、10年のうちには、目にも優しく 暮らしにも全く過不足ない技術となってゆくのだろう・・。

 

思えば、60年近くも前だろうか。自宅の炊事場に吊られていた蛍光灯は、幼かった自分の目から見ても “あまり良い感じの色” ではなかった。 “青白い” というか “赤紫っぽい” 発光色だったように思える。親父も嫌がっていたように記憶している。

当時はまだ「白熱電球」が主であり、家の中の灯りの主役は “傘・カサ” に覆われた彼らだった。(一部、電球そのまま吊り下げられるところもあった)

後に、暮らしの灯りの主役となる「蛍光灯」が技術改良を重ね “光の色” を向上し、”電球色” “昼白色” “昼光色” の色を生み出したように、当時の「白熱電球」にも多少の “色差” があった。

“赤っぽい” 光色のものと “多少 白っぽい” 光色のものである。特にガラス球内を “すりガラス状” にしていない “透明ガラス” の球は “赤っぽい” 光を放っていたように思う・・。

 

ある日 家族で、愛車「キャロル360」に乗って何処かにお出掛けしていた。
何処に行ったのか、何の用事で出掛けたのか憶えていない。何となく港の方に行っていたような気がする。

日も暮れて帰りがけ・・。 辺りは街灯の少ない町筋だったのだろう。夕闇も迫る中 車窓から眺める黒々とした家並みの中に、何故かたった一軒だけ玄関口を開けっ放しにしている家が目についた。

家の中に “透明の”(いわゆる)「裸電球」が吊り下げられて、赤い光を煌々と放っていた。まるで家の中が真っ赤に染まっているように見えた。

写真現像の “暗室” でもあるまいし、実際そこまで赤くはないはずなのだが、その時 私の目にはそう見えたのだ。

真っ黒な家々の背景にポッカリと開いた赤い光で満たされた空間。何故だかそこには一抹の “寂しさ” と、大きな “暖かさ” が同居しているように思えた。6~7歳の頭にそこまでの思考があったわけでもなく、直感的な印象だったのだろう。 以来 数十年、その時のイメージは今もこの脳裏に焼き付いて離れずにいる・・。

 

街灯といえば「水銀灯」も今は生産を終えているのだそうだ。水銀による環境汚染の改善が目的だという。こちらも「LED」に切り替えられているのか・・?

「蛍光灯」の終了も、内部に含まれる水銀質の削減を経て、今は省電力化、ひいては温室効果ガス削減を目的とした措置の延長線上にあるのだとか・・。

まぁ、”環境問題” というのなら、それもやむを得ない・望ましき方向性なのだろう。「LED」増産に何の問題も生まれなければいいのだが・・。(← こういうところがヘンコジジイw)

誰も彼も、どこの国も色々事情があろうし、技術が進めば今までにない結構な資材も装置もサービスも登場してゆく。 環境問題や社会問題に対応すべく発明されたそれらは、概ね良い方向なのだろう。 我々はただ順応してゆくのみである・・。

しかし、あの日、あの時、胸に焼き付いた “あの赤い光” は、おそらく “終わりの日” が来るまで、この胸の中に灯り続けるに違いない。

 

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