日活が制作していた「成人映画」、新たに台頭したメディア事業者による「アダルトビデオ」、そして 暗流に乗って広がった「裏ビデオ」・・。 これらは いずれも “性風俗” を題材とした映像でありながらも、根本的に “似て異なるもの” である。・・ことは多くの男性諸氏が理解するところではなかろうか。・・と、勝手に思っているのだが・・。
制作コストが抑えられること、ニッチな需要を狙えることから日活は “成人映画” 路線を歩んだが、映画の制作そのものに関してはかなり監督・演出家任せとしていた。 内容に一定量 “カラミ” 部分を含んでいれば、後は基本的に干渉しない方針であったという。
大衆全般を対象としない。一般映画のように一発大当たり的なヒット作が望めないジャンルなだけに、内容云々よりも多作・増映を優先した結果だろうが、制作に自由度が認められていたことから、監督側にとっては実験的な映画作りに取り組みやすく、後年、映画ファンから評価される作品が多く撮られたのもこの頃である。 日活から巣立ち、後の映画界に名を残した監督・脚本家も少なくない。
要するに「日活ロマンポルノ」は、あくまで “映画” であり “ストーリーをもった作品” であった。(当然、全ての作品とはいえないが・・) エロを投射してはいても、そこに製作者の何らかの意思が働いていたのである。 物語の舞台、登場人物の多くが、日常、市井の人々を基本に描かれていたことも、これを裏付けよう・・。
翻って「アダルトビデオ」は、先ず “カラむこと” が先行であり、それを支えるのは女優さんの魅力と人気である。 中にはストーリー性が高く全体的な骨格がしっかりしたものもあるが稀であり、多くは作品単体での売れ行き重視であり、畢竟、理想的な顔立ち・プロポーションのヒロインが内容の大半を “カラミ” で埋めることとなる。
多売で売上を稼ぐのは “成人映画” と同じなので、結果的に “どれも似たような” 作品ばかり作られることとなってしまう。 時折、新しいネタでヒット作が出ると、それに追随する類似作ばかり作られるのも世の常といったところか・・。
何にせよ “行為ありき” であり、始終の7割方を “カラミ” を埋めるので “早送りで見たいところだけ見る” というホームビデオでの視聴には向いているが・・、つまるところ、それだけで終わってしまうのが「ロマンポルノ / 成人映画」と「アダルトビデオ」の決定的な違いだと思う。
「裏ビデオ」に関しては語るべくもなかろう・・。もう、本当に、”それ” のみである。
普段 見れない、迂闊に見るべきものではない・・ものが見れる。それ以外の意義が殆ど存在しない・・というのは言い過ぎだろうか・・?
とはいえ、内容がどれだけ作品的であったかどうかに関わらず、何事にも終焉の時は訪れる。 ホームビデオ、アダルトビデオの普及は「日活ロマンポルノ」に決定的な打撃を与えた。 何せ 映画館(大半は専門の成人映画館)まで行く必要がないのだ。
私のように酔いに力を借りて夜陰に紛れ、チケット売り場のオッチャンを気にする必要もない。好きなときに好きなだけ何度でも見れる。というのはホームビデオの最大の強みであろう。 ホームビデオデッキが世に出たそのときから “ロマンポルノ” の凋落は決まっていたのかもしれない。
さらに、時流の変化による映像作品のシステム(アナログからデジタル映写システムに)移り変わったことで資金繰りに窮したこと、館内で猥雑な行為に及ぶ者があって他の客層の足が遠のいたことが “成人映画館” の衰退を早めたという。
さりながら、仮に、アダルトビデオの勃興に押されず屈強に作品を作り続けたとしても、さらに映画館の経営がなんとか持ち堪えていたとしても、早晩、この業界はジリ貧の状態を免れなかったのではないだろうか・・?
“性” は人の根源に関わりそれを支えるものでありながら、人はそれを真摯に見つめようとしない。 本能的な快楽と結びつくだけに、快楽的な部分だけに興味を示し、強調し、歪曲し、そしてそれを全て宜しからぬものとして排撃しようとする。
「2001年宇宙の旅」ではないが、太古のあるとき、人は “知恵” をもった瞬間から今日に至るまで、”自然” を遠ざけ “原始” を拒否するベクトルで歩んできた。 それは人の心奥たる “本能” の否定にまで立ち入り始めている・・。

古人が言った 「死に怖れ無くば 人は容易く死を選び 世は終わる また 房事に快楽無くば 人は交わろうとせず これもまた世は続かぬ」
“性” と “快楽” は不可分・表裏一体である。子孫を残すためだけに行為を成す者はおらず、その目的のためだけならば行為そのものの成立が難しい。 かといって、あまりに逸脱した妄想が、個人の思念から行動へと浸出してしまえば問題となる。
要は何事も程度の問題なのだが、時代の歪みなのか何なのか、問題行動を起こす者は跡を絶たず、世情は表面的な対応に終始して一絡げな規制を強める・・。
まぁ、講釈はともあれ、30年後、50年後には、社会における “性” のあり方も今では考えられないような形態となっているのではなかろうか・・。
「日活」は2022年末現在も存続している。平成5年に事実上の倒産を経て会社更生法が承認されて以後は複数の企業の支援を受け、現在は「日テレ」及び「スカパー」の傘下となっており、社名も旧来の「日活株式会社」に戻されている。
業務内容も “映画” “テレビ” “オンデマンド配信” など、元来の映像制作・発信を続けている。 創業1912年(明治45年/大正元年)、今年で110年の星霜を踏んできた会社は現在も “映画会社” であり続けているのだ。

今では、かつてのような “成人映画” の制作は少なく、一般向け映画を主としているようだが・・、内容的にはメジャーな大型娯楽作優先というより、かつての時代を思わせるような、内的に深い映画作りに振っているように見える。
そして、昭和時代に “日活” を支えていた “ロマンポルノ” の遺産も、決して捨て去っていないようで “ロマンポルノ50周年記念プロジェクト”『ROMAN PORNO NOW』を展開中である。
古き礎の上に現在の自分がある。日活の躍進にエールを贈りたい・・。