Say!フィルモグラフ 前

以前、成人したばかりの頃に気分ドキドキで赴いた “ピンク映画” と “ストリップ劇場” について記事にした。 結局、ストリップ劇場には入館出来なかったというヘタレ全開の、情けないだけの記事になってしまったが、それでもGoogleさんやFacebookさんから怒られやしないかと気を揉んでいた。

・・が、今のところ何らの警告もタグリンクカットもなさそうなので、本日もそっち方面のネタを少し書いてみよう・・。 よって(アクセス計測上 少ないが)女性訪問者の方には申し訳無い・・気がする m(__)m。

 

『日活』である。 映画会社である。創始は1912年というから昭和どころか “明治テロップ” もしくは “大正テロップ” である。創立時の社名は「日本活動冩眞株式會社」、東宝、東映、松竹、大映よりも早く活動写真(映画)の制作・興行に打ち出した日本映画業界の草分けともいえる。

サイレント(無声)映画であった大正時代を経て、トーキーとなった昭和・戦前に至るまで多くの作品を手掛けてきたが、状態的に運営が弱く戦時中に一旦 “制作部門” を分離。このことが大きな一因となって戦後の復興期にも、他社の復調に出遅れることとなる。

© 日活「赤線玉の井 ぬけられます」

制作部門を復活させ(以前の著名スターを使えないことから)若手新人を起用したニューフェイス路線を打ち立てると、経済成長期に向かう世相の中で “石原裕次郎” “小林旭” “赤木圭一郎” “浅丘ルリ子” そして “吉永小百合” といった、後の大スターたちを発掘し “日活アクション映画” 時代の黄金期を築いた。

しかし、日本映画が斜陽になるとテレビ業界へのコネクションに乗り遅れ、折からの海外大作映画の配給権も持たないことから急速に業績が悪化。経営者の放漫運営も祟って社内の分断とともに経営破綻の寸前にまで追い込まれた。

経営者の退陣を期に制作方針を180度転換、低予算で制作可能な(事実上)”成人映画” 専門の映画会社となった。 これによって、それまで所属していた一般映画のスターたちは全て他社・プロダクションへと流れていくことになる・・。

私が “日活” の名を『日活ロマンポルノ』として認知したのは この頃からなのだ。

 

私より年長の方々には日活=上記のアクションスター・・という人も多かろうが、私がゴジラだのガメラだのを余所にして、映画というもの見知ったとき、既に旭のお腹は出ていたし 裕次郎も嵐を呼ぶ男ではなかった。

日活は既に在りし日の輝きを失い、独自路線で運営を維持していたが、同時に “日活=エッチな映画” のイメージが定着していた。 人の風聞の力は大したもので、インターネットもスマホも無い時代、大人たちさえ口をつぐもうとする中でさえ、そういった情報は少年だった自分たちの中にもしっかり伝わってきていた。

今では見ることも無くなった街角の、色褪せた成人映画ポスターを見れば、そこに書かれた淫靡な題名とともに「日活」「ロマンポルノ」のワードを思い起こすのが当時の常であったのだ。
* 但し、日活も全て成人モノだけ撮り続けていたわけではない。例えば山口百恵が出演していた一連の映画は東宝配給ではあるが、大半は日活撮影所で撮られていた。 “映画作り” は脈々と受け継がれていたのである。

 

とはいえ、私自身 あまり「日活ロマンポルノ」作品のお世話になった記憶がない。
別に良い子ぶるつもりもないのだが、冒頭・以前の記事のごとく、成人映画館に見に行ったのは その一度きりで、その後もホームビデオで2〜3度 見ただけだった。

作品内容は別に置くとして、肝心の “カラミ(行為)” の場面で「ロマンポルノ」が指向する “女性の喘ぎ方” に、どうも “取って付けた感” が強過ぎて私には馴染めなかったのだ。
まぁそりゃ、中にはああいう反応をする女性もいようが・・チョッとね・・といった感じである・・。

ホームビデオ・・、そう、私が気兼ねなくピンクな世界に触れられる歳になったとき、世間には既に家庭用ビデオ機が普及していた。

当初、内外の一般映画をリリースしていたメディア業界だったが、その総数が増え “レンタルビデオ店” が普及し、同時に撮影装置の低価格化が進むと、それまでに見られなかった小規模の制作会社が台頭するようになっていった。

フィルム映画とは異なる、ビデオ作品を専門に扱うオリジナルビデオ制作・販売会社が、それはもう雨後の何とかのように乱立し、次々と気鋭な作品を送り出していったのだ。

当然のように一般向けの作品だけでなく、成人向けの作品も多数リリースされた。後のAVメーカーの黎明でもある。 中には違法な供給者も散見され(いわゆる)”裏ビデオ” が出回ったのもこの頃だった。

“裏ビデオ” も何度か目にした。 不思議なもので、上で書いた “人の風聞” よろしく、こういったものは自分で探さなくとも何処からともなくやってくるw。 “会社の先輩が・・” とか “友人の友人が・・” とか訝しげなルートを通って、いつの間にか世に流通しているところが面白くもある。

現在のようにマウスを何度かクリックすれば(自分、スマホはあまり使わない)、それはもう見たい放題に、無修正なアレやコレやにアクセスできる時代と違って、そういった画像や動画はそれなりに貴重だった時代である。 初めて “裏ビデオ” に接したとき(確か悪友の家で4~5人集まっての鑑賞会だったw)も、性的な興奮というより、普段 目に出来ないもの見たさの方が勝っていたようにも思える・・。

こうして、一般家庭における映像視聴の幅が広がり容易になってゆく中で、映画業界はかつてのテレビ放送勃興期とは また異なる苦境の道を歩んでゆくことになる。

それは「いかなる不況の時代にも強いピンク(性風俗)業界」さえ無関係ではなく、混迷と試練のときを迎えようとしていたのだ・・。 後編へ

 

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