あまり知らない事をネタに記事を書くのはいただけない・・。
調べれば済むこととはいえ、所詮はネットで漁った情報・付け焼き刃的なレベル。誤ったデータもあろうし、中途に分かったような気になって いい加減な文章を上げて、顰蹙を買うのは自分だとしても、それが元で誤情報の拡散にも繋がりかねない・・。
・・とは 思うし、出来るだけ調査は慎重を期しているつもりなのだが・・、そもそも 自分の知っている事や世界なんて たかが知れている。この歳まで それなりに世間を見渡しながら生きては来たが、当然 何でも知っている訳でもあるまい。
知っている事だけネタにしていたら、ブログなんて半年ももたず終了してしまう。
大体、初老男のブチ(Buchi 愚痴)ブログみたいなもんだし、そこはまぁ大きな迷惑をかけない程度にボチボチやっていきましょう・・。(目に余る部分があったら言ってね・・それか読み流してね (^_^;)
知っているようで知らない。分かっているようで全く分かってないものの代表といえば・・、「女」であろうと思う。(自分、男なので)
言い換えるなら、そして大仰に言うなら “永遠のテーマ” 的なものなのかもしれない。
無論、人それぞれ十人十色なので多少の差はあろうが、総じて男と女では、物事の受け取り方、判断のベース、思考のロジックや表現、求める結果に至るまで、根本的な部分(極めて深い深層意識・生物学的な部分)で異なるように思える。

当然、男女どちらが良い悪いの話などではないのだが、この基本的な差異が男女の心理的なすれ違いやトラブルの一因になっていることも多かろう。・・が、詮ずるところ同じ人間ながらに “異性” でもある。完全に理解し合うというのが無理な話。
要は “少しでも分かり合おう・歩み寄ろう” という姿勢の方が重要なのだろう。
何か 面白くない教科書のような前振りになってしまったが、本日のお題は「女子プロ」である。
現在「女子プロ」といえば “女性プロゴルファー” を指す傾向が強い。近年では渋野日向子選手が その笑顔の爽やかさで人気であった。少し前なら宮里藍選手や横峯さくら選手といったところか・・。プレイ内容はもちろんのことだが、女子ならではとでもいうか、アイドル性まで求められるこの業界も中々に入れ代わりが激しい・・。
・・が、昭和の頃「女子プロ」といえば『女子プロレス』を指すことの方が多かったように思う。 吉田沙保里選手らに代表される “レスリング競技” ではなく、巡業試合を行う “プロレス” の方である。 枠は少ないながらもテレビ放送もされていた。

お叱りを覚悟で言うなら、自分には何故 若い女性が、あのような激しい格闘技の世界に身を投じてゆくのか理解が出来なかった。 古い感覚しか持っていない自分の中では、当時の少女マンガに出てくるヒロインの如き姿が女性の肖像であったからだ。
それで言うなら “レスリング” や “ボクシング” “ボディビル” などに打ち込む女性選手にも同じ感覚を持っていたのだろう。
しかし、彼女たちはお遊びや顕示欲のために それをやっているのではなさそうだ。
純粋にその競技が好きで、勝負・勝敗・結果にこだわる強い意思をもって過酷な世界に生きているのである。
さらにプロレスに至っては “ヒール / 悪役” まであり、その役どころも真摯にこなしている。 ますますもってよく分からない・・。
単にものの考え方、私の思考のベースが前時代的・偏見的なだけなのだろう。 今に至ってはプロレスだけでなく、以前は考えもしなかったような職業の多くに女性の進出は続いており、中には実際の戦闘に臨む女性兵士の存在も珍しくない。
只、どのような形であれ 前面に出て戦う、ひとつ違えば殺し合いにまで至り何かを守らなければならないような、苛烈な役割は男性が担うべきとは今でも思うのだが・・。
70年代後半から80年代にかけてが、女子プロレスのひとつのブームでもあったようだ。
そういえば、地元の公共体育館で試合が行われるとポスターが貼られていたように記憶している。 威勢の良い・・というか、挑発的なポーズをとった選手たちが紙面に踊り、奇怪なメイクや衣装を施したヒールレスラーも顔を連ねていた。
この分野のことはよく知らないが、ブームとなり、些かの選手がテレビに顔を出すようになると必然的に記憶に残ってくる。
とりも直さず思い浮かぶのは “マッハ文朱” であろうか。
元々 歌手志望でもあったことから歌唱力は言うに及ばずスター性も高く、前向きで明るい人柄がプロレス以外の人気も集めた。 何だったかな・・? クイズ番組か何かのネタとなり、回答者の横山ノックから “マッハもんじゅ” と発音され笑いを買っていたのを憶えている。
当時の全日本女子プロレスにおいて王座に輝き、年間250からの試合をこなしていたが3年足らずの女子プロ期間を経て女優・タレントに転身した。 「トラック野郎」や「マルサの女」などに出演されていたが、個人的には「宇宙怪獣ガメラ」に “絵に描いたような昭和の宇宙人” 役として出ていたことが印象に残っている・・。
その後もアメリカでダンスを学んだり、経営を担ってみたり、なにかと活動的な生き方は現在も変わっていないようだ。 当時の女性としては高過ぎた身長ゆえに、アイドル歌手としてのデビューが絶たれた彼女であったが、それを逆手に取ってスポーツの道へ舵をとる前向きな性格が、彼女の人生の支柱となっているのだろう・・。
・・と、いうところで・・ 昭テロには珍しく後編に続くこととなってしまった。今回のネタに興味のない方には申し訳無い・・。 現在も続くとはいえ少々元気のない “女子プロレス”、当時の賑わいを思い出していただければ幸いである。
※ 文中 敬称略