何をきっかけにかは分からない。ふとした塩梅でアレのことを思い出した。
小学だか中学だか まだ子どもだったので、昭和40年代末から50年代の頃だったのだろう。 妙な玩具が流行ったような気がする。
流行ったといっても “ブーム” と呼ばれるほどのこともない。ついさっきまで忘れていたくらいなので、よほど些細なものだったのだろう。もしかしたら私がそう思っているだけなのかもしれないレベルのものである。
『モビール』 天井やスタンドから吊り下げて眺める知育玩具の一種である。
一見、とても釣り合いそうにない偏った飾り配置にも関わらず、平衡を保ちながらユラユラ回り揺れる姿は不思議な印象であった。
方向性が逆になるが、日本の「ヤジロベエ」のようなものでもある。
昭和時代に このモビールが流行したのだとしたら、それまでの既知であった “上向き方向” の「ヤジロベエ」に対極するように、”下向き方向” に吊り下げられた物珍しさと、左右対称・等質量に見えない “見た目のアンバランスさ” が目を惹いたのだろう。
そもそも その玩具自体は古くからあったようだ。調べる限りそれはヨーロッパに起源を遡ることができる民具の一種だったようにもみえる。
この不思議な玩具から海外の芸術家がインスピレーションを得、作品に取り入れたことから、時節を経て装飾品としての面が押し出されるようになり、インテリアの一種として商品化も盛んにされるようになった。 日本で注目されるようになったのもこの頃なのかもしれない。 学校の “工作” 課題にも取り入れられたような気がする。
上記のように “目立たない流行” であったように思うし、(作品名ではないが)”実生活では役に立たない” 代物でもあるので、あくまで一過性のもの、じきに目立たない忘れ去られた存在となっていったが、そのファンタジーな風采から現在でも色々な形のものが売られているようだ。

同じ 吊り下げて使うものでも「モビール」とは 全く異なる立ち位置、装飾性は持つが実用性もたくわえた一応の実用品。 それも昭和の家庭で多く見られながら、近年 あまり姿を見なくなったものに『珠暖簾(玉のれん)』がある。
先日の記事「荘」ではないが、一戸建て、集合住宅、家の大小を問わず、各家庭の それも多く台所・ダイニングキッチンと廊下、または隣接する部屋との間に掛けられていた。
開き戸や引き戸・襖(フスマ)などと異なり、完全に開放することもなければ閉鎖することもない、若干 視線を遮る程度の “仕切り” であり “パーティーション” とも異なる。 微妙な塩梅の透過性と閉鎖性を併せ持つ・・ 考え様によっては中々に不思議で奥の深そうなインテリアでもあった。
世間のデザインイメージが世に連れシンプル化の方向へ進んだこと、対面型キッチン&リビングなど屋内構造が変化していったこと、冷暖房の効率化など 生活スタイルの変化に伴い、その姿を過日のものへと変えていった。 現在でも若干の需要はあるのか細々とではあるが製造・販売されているようだ。
ギネスブックにも載る超長寿番組「サザエさん」、現在も放送が続けられながらも内容的には、やはり昭和時代がベースとなっている “サザエさん一家”。 その台所からチャラッと暖簾を分けて “フネさん” が顔を覗かせる・・というのは誠に絵になろう。
開けっ放しでは何故か気づつない(気が引ける)、かと言って完全に閉め切ってはどこか寂しげでもある。 見えながらも見えない、そこに居る母親や家族と 居間に居る者とを隔てながらも取り持つ、 “家族” というものを適度につなぎ合わせる “機能” を超えた “役割” と “存在意義” を担っていた・・と言えば大げさ過ぎるだろうか・・。
その不思議な外観を際立たせて、個人の目を楽しませ夢を育んだ『モビール』
妙趣な作りを持ちながらも、あくまで黒子に徹し家族を結んでいた『玉暖簾』
その成り立ちも役回りも対極的といえるほど異なりながら、昭和の一時期、家庭にあって人々の暮しに寄り添った二つのインテリア。
頭上から余計なものが吊り下がっているのは邪魔になる。実用性・実効性の薄いものは なるべく置きたくない。 合理性優先の世相にそぐわないものは、いつか淘汰されてゆく。
現代には現代の生活スタイルがあり、それはそれで有効に機能しているのだろう。しかし、そこに住み、生きているのは不合理の極み “人間” である。 一見 無駄に思えるものの中にこそ、人間の心の琴線に触れる何かが息づいていることも少なくない。
懐かしいインテリアひとつが、人の気持ちや家族のあり方を変えてくれるかもしれない・・と、思うのは、やはり昭和生まれの愚考だろうか・・?。