昭和40年代のテレビ画面に表示されながら、その恩恵に浴せなかった “カラー放送” マークを扱った「腹立つマーク」を先日お送りしたが・・。 本日は腹など立たない、むしろ 今現在も目にしながら微かな郷愁を抱くマークのお話である。
同じく昭和40年代を知る者で聞いたことのない人は、いないんじゃないかと思えるほど流行った「Oh! モーレツ」。 モデルであった “小川ローザ” さんのチョいセクシーなCMは、社会現象と言っていいくらい 大人から子供まで口にするコピーとなった。
今にして思えば、あの程度の演出が 何故あれほど流行ったのか分からないが・・、それだけ現在が “何でもあり” な世情となってしまったのだろう・・。 ”猛烈” という、存在はしていても普段あまり使うことのない暴威的な単語と、若い女性との組み合わせの妙であり、これを考えだしたスタッフの才能の勝利であろう。 ・・まぁ、こういうことの積み重ねが現在の世情なのでもあるが・・。
当時 まだ子供であった自分には「Oh! モーレツ」の演出ばかりが頭に残って、では何のコマーシャルであったのか? と問われると、あまり理解していなかったように思える。
凡そ、コマーシャルとは そういう側面を持っていて、細かいことは分からなくても “印象付ける” ことが大切なのだそうな。 兎にも角にも “あぁ!アレね!” と思い出す切っ掛けにならないといけないのだそうだ。 昭和テロップ もその路線で広告を打ってみるか・・。
「昭テロ でございます!」「昭テロ でございます!」「昭テロ でございます!」
何か「テロ」の部分が宜しからぬ雰囲気を持っていてダメだなこりゃ・・。
アホな脱線はともかく「Oh! モーレツ」は、当時の「丸善石油・丸善ガソリン100ダッシュ」のCMであった。要するにガソリン / ガソリンスタンド の宣伝である。 “100ダッシュ” というから有鉛ハイオクの新製品なのかな?
「丸善石油」といえば “ツバメ” のマークである。昭和時代には道の徒然に時折見かけた。
現在でも事業は継続しているが、街角で見かけるのは合併した「コスモ石油」としてのマークが殆どである。同時に合併した「大協石油」のマークもほぼ失われている。
当地においても “ツバメのマーク” は早々と消えているが、唯一 港周辺の一角に薄っすらと残るペイントの跡が、往時の賑わいを偲ばせてくれる・・。
当時、昭和40年代はモータリゼーション勃興の時代でもあっただけに、良かれ悪しかれ 石油業界も賑わっていたのであろう。
小学生のときであったか、とあるガソリンスタンドのマークが一新されるというニュースを何故か憶えている。 グルリンと巻き込んだ青いストライプの真ん中に真っ赤な太陽、 “共石マーク”「共同石油」のロゴマークである。
Wikipedia を見るに外資系石油会社に対抗するため、日本企業 協賛で始めた国策系会社であったようだ。だから子供でも憶えているほど 告知を広めていたのだろうか・・。 しかし、思ったほど業績は振るわず、創起から20年ほどで解散。 後の「JOMO」へと引き継がれ、現在は「ENEOS」ブランドとして展開している。
もうひとつ・・。中学生のころだったか・・? カモメの形をした “やじろべえ” 様 の玩具・ノベルティが出回ったことがあった。 手に入らなかったが、大きく羽を広げた悠々たる姿が好きで、自作してみると良い案配に “やじろべ” っていたw。
定かではないのだが、「キグナス石油」のロゴマークに基づくノベルティだったのではないかと虚ろに記憶している。 こちらも現在では新マークとなっている。
どう転んでも “ダイヤ” だけは絶対 握って離さない “三菱コンツェルン” ・・。「三菱石油」のマークはご存知そのまま “スリーダイヤ” である。
見慣れ過ぎたせいか あまり記憶に残っていないが、社会人になって10年間位か・・。会社で鳴っていたラジオから聴こえる夕暮れ時の番組のスポンサーがそれで、毎日 4時半頃になると「ミツビシ石油~♪」とCMソングが掛かっていたのを思い出す・・。
昭和時代、目にしたガソリンスタンドのマークといえば、他に「アポロ石油・出光興産」「ゼネラル」「エッソ」合併前の「昭和石油」「日本石油」などが挙げられる。 いずれも時代を反映して、当時は街のあちらこちらに誇らしげに掲げられていた。
離合集散、合併、改組が激しい業界で、表側から見えるその形態も様々に変遷を遂げてきた。
最後になったが 私自身 贔屓だった貝の印「昭和シェル」
(あくまでイメージだが)スポーツカー好きだった私にとってのエナジースタンダードでもあったのだが・・、昨年2020年をもって解散。翌21年4月から提携元の「出光アポロ」に吸収され、ロゴマークも統一された。
今後、あの “貝のマーク” を目にすることがあれば、それは上の “ツバメのマーク” のように、薄寂れた過去を留める影のみとなることだろう・・。
留まり続けることはない。全ては流れ去ってゆくのみである・・。