地上の音符 ♪05 それはあの日の輝き

先日書いた記事から思い立って本日の記事。
先ずはこちらから ↓

この曲を聴いて感じ入られる方は昭和40~50年代生まれの方か・・。

と、いうことで、今度はこちらの曲 ↓

こちらになると 30年代生まれということになろうか・・。

これら、多くの人がその脳裏に深く刻むアニメ主題歌、作曲を担当されたのが
渡辺岳夫(わたなべたけお)(1933年4月16日 – 1989年6月2日)” 氏である。知っている人は知っているが、知らない人は知らない・・しかし・・。

「ゼロ戦はやと」「巨人の星」「アタックNo.1」「天才バカボン」「キャンディ・キャンディ」「アルプスの少女ハイジ」「魔女っ子メグちゃん」「キューティーハニー」「機動戦士ガンダム」など、昭和時代を過ごした少年少女の誰もが、その耳に憶えている曲の数々を書かれた方といえば、その認識も深まろう。

因みに先日 取り上げた「10-4・10-10」の曲も起こされている。

 

クラシック音楽を学び渡欧もされたが、帰国後 放送会社に入社、番組制作に携わるうちに演出音楽への想いが嵩じて、プロ作曲家への道を歩まれた。

作曲家であった父・浦人の血を受け継いだのであろう。少年時代から慣れ親しんだアメリカのジャズやポップスのリズムも身に染み付いており、クラシックの格式に捕われない多様な旋律を生み出してゆく才能に長けていた。

名を残す多くの商業音楽家がそうであるように、渡辺岳夫もまたテレビ番組の主題曲・随伴曲を数多に手掛けた。 評価され仕事が押すようになってからは引く手数多、週に10本以上の番組や企画に関わっていたこともあるという・・。

彼の作風は(ある意味)杳として その傾向を掴み難い。変幻自在なのである。
南洋の風、極北の陽射しをいつもその胎内に宿し、その道をひた走った “大滝詠一”(前回・地上の音符)とは好対照の存在ともいえよう・・。

 

上で挙げた曲目を見ても分かるように、軍歌さながらのものから反転 C調感丸出しのもの、アップテンポでお色気に満ちたものからスタンダードなリズム曲調のものまで、全く異なる土台の上に築かれた様々なドラマを、見事なまでに表現し尽くしている。

それが 劇伴作曲家の仕事だろうと言われれば それまでなのだろうが、彼が構築した音楽は 単にドラマを彩り演出する役割を逸して、作品が持つ世界感を雄弁にもの語り、番組そのものの存在と同義にまで至っている。 (人によって様々とは思うが)「巨人の星」と聞いて先ず頭に “あのイントロ” が浮かんでくる人は、決して少数派ではなかろう。

当時から思っていたが、この絵、オヤジの顔が克明に描かれ過ぎていて何か怖いw

多くの番組が過去のものとなり既に半世紀が経っているというのに、彼が手掛けた番組とそのための主題曲は 分かつことの出来ない、人の身体と顔のような関係であり続けている。 他の如何なる音楽を持って来ても その番組作品は作品として成立し得ないのだ。

敢えて言うならば、あらゆる担当番組において極めて高水準で、その音楽世界を融合させる能力こそが、渡辺岳夫の作風でありスタイルとも言えるのかもしれない・・。

 

アニメ番組だけでなく、ドラマ・時代劇、そして映画と、一万を優に超える作品を残された氏であったが、体調を崩され 56歳という若さで彼岸に渡られた。

従って冒頭に置いた “颯爽たるシャア” を含む「機動戦士ガンダム」の作曲は、彼のライフワークの中でも割と後期のものとなる。

実はこの「ガンダム」のオープニング&エンディングを初めて聴いた時、もう一つしっくり来なかったのを憶えている。 以前に手掛けられた「ザンボット3」や「ダイターン3」の頃から、あまり進化していないように感じられたのだ。

「ガンダム」が それまでのロボットものと決定的に異なったのは、徹底したリアル路線と、主人公やその周辺だけでない 人類そのもの変革という、壮大なテーマにあった。

しかして、本作における音楽は旧来のロボットアニメ音楽を脱していないのか? さすがの渡辺岳夫も昭和中期の呪縛から逃れられなかったのか? ・・当初 そう思っていたのだが・・。

違った・・。「機動戦士ガンダム」を知れば知るほど、そして、サウンドトラックを聴けば聴くほど、氏が ガンダムという作品と自ら生み出した作品とを合わせて、表現したかったものを心底 思い知らされた。

50年100年先には実際に起きかねない予言譚ともいえる「ガンダム」。 宇宙移民時代において発生する茫漠な独立戦争と、それを賭して萌芽する新しい人類の姿。 言ってみれば曖昧模糊たる現在の “未来像” に対しての僅かな “希望” ・・。

氏は この「ガンダム」の核 の部分に、昭和中盤期、誰もが抱き信じていた未来への希望や夢の輝きを充ててきたのだ。 それは どこか儚いながらも決して失われることのない、人の力であり可能性でもある。

勝者も無ければ敗者もいない・・主人公が何かを成し遂げたわけでもない、ロボットアニメとしては一見、未消化とさえ思える「ガンダム」の最終回、しかしそこに、この作品の全てが注ぎ込まれているのであり、そしてこれを万全に彩り謳い上げているのが “渡辺岳夫” の曲だったのだ・・。

鬼籍に入られて既に30年余、氏の残された作品は今もってその輝きを失うことはなく、多くの人に愛され続けている。

しかし、これから30年50年後ともなれば それもまた薄れゆくのだろう。
それでも、人が暗澹の霧の中に新たな行く先、辿り着くべき未来を見つけたとき、彼が残した希望の光のごとき調べが、また振り返られるのかもしれないのだ。  最後に『再生のための終焉』をご案内して本日終幕・・。

 

 

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