最高の麦茶

本日の記事は 若干扱いに微妙な部分を含むため、濁した記述があり甘受願いたい。

扱いに微妙・・というのは “宗教” に少しだけ触れるからである。
宗教とは信仰に支えられるものであり、信仰とは人のアイデンティティや信条に深く関わるものだけに、かなりデリケートな問題でもある。

八百万の神 と言われるほどに日本人は元々 信仰には寛容で、多くの神々・仏を受け入れて来たはずなのだが、時代が進みあらゆる情報が横溢するにつれ、昔とは異なるベクトルで宗教に対する感覚が過敏になっているような気がする・・。

まあ言ったところで、この記事が触れるのはほんの些細な部分だけだが・・。
オマケに締めの部分では神様もなにも関係なくなるし・・w。

 

前提として、私自身と宗教の関わりを先に述べておくと・・

個人的には何の宗教にも属していない。子供の頃から比較的身近にキリスト教(プロテスタント)の環境があり、お世話になったこともあり、日曜学校にも何度か通ったこともあるが、信者とは言えず洗礼も受けておらず、ここ40年以上まともに教会に行ったこともない。 近年では様々な神社や古刹に詣でるのが趣味でもある。

・・が、心のどこかにキリスト教的な影響は残っているかもしれない。
要するに “信者” ではないが “無神論者” でもない。あえて言えば “俺教” ということになろうか・・? 自分的な宗教解釈は出来上がりつつあるが記するほどのものでもない。

さらにキリスト教に限らず仏教も神道(日本古来の神さま)も、はたまた中近東、ヨーロッパの神々もオールOK である。 はっきり言ってしまうと 自分は特定の団体の一信者とならず、外部から宗教の歴史や神話、神々・仏のあり方、意義を眺めているのが好きである。

熱心に信仰している信者さんから見れば、ワケの分からん嫌なヤツなのかもしれないw

 

こんな屁理屈が自分の中で出来上がってきたのは、ここ20〜30年の間のことであり、当然、子供の頃にそんな曲がりくねったことを考える術もなかった。ましてや5〜6歳の頃の話である。

当時、住んでいた町の保育園に通うこととなった。
小綺麗な制服に身を包み送迎バスで通う “幼稚園” を、何となく羨ましく感じながら、近所の坂道の途中にある保育園に入園したのである。

その保育園の隣には地続きで、それはもう大きな大教会(国内宗教)が建っていた。
要するに、その教団の経営する保育園であったわけだ。
家は その教団とは何ら関わりなく、もちろん信者でもなかった。 ただ単に近所であることと経済的な理由から、そこに入園となったのだろう。 おそらく 入園させていた多くの家庭が同じようなものではなかったのかと思う。

イメージ画像ではなく 当の保育園、早くに廃園となって今はない。

寺や神社、キリスト教教会などが幼稚園・保育園の経営に関わることは古くからあり、その数は少なくなかった。江戸後期から明治をとおして培われてきた寺社と民衆のつながり、そして 戦後の混乱期対策などが その背景にあるようだが、現在でもその流れは残っている。 子供の数が減り続けている現在では、その運営も難しいのかもしれない・・。

ともあれ 何教経営だからと、幼児への教育・保育に宗教的な影響が出ることは そうそう無いようで、園の方でもそれなりに気をつかっているようだ。

只、皆無というわけでもなく、神様の話だとか仏の教えをもとに、生活上の規律や感謝・節制の心掛けを教えることは今でもあるようで、それはそれで基本的なしつけの一環として悪くないことだと思う・・。

私が通っていた保育園でも そのようなイベント?があった。
昼の給食を頂く前に手を合わせて “歌” のようなものを歌っていた。
冒頭部分しか憶えていないが・・

「お手々をキレイに洗ったら〜♪ あんよもキレイに拭きましょう♪ ◯神様の言うとおり〜・・・♪」 こんな感じだったと思う。間違っていたらゴメンナサイ・・。

飯食う前に手を洗うのはともかく 何故 足も?と長らく思っていたが、考えるに板間であれ畳であれ、伝統的に靴を用いない日本の宅内事情、そこへもってきて戦中以前の子供なれば裸足で走り回っていた子も多かったのかもしれないな・・

ともあれ、そんな詠唱はどうでも良いが、オヤツ時に毎度のように出される “脱脂粉乳” と “げんこつ飴” だけは苦手だった・・。(Wikipediaで見ると “げんこつ飴” は岐阜・愛知の伝統的駄菓子とあるので地域的なものか・・)

 

現在と異なり鷹揚な時代、日の出ている間は大教会の方も正門・裏門ともに開けっ放し、広大な敷地内は学校を終えた子供たちの遊び場でもあった。 土管や廃材が積まれた空き地が “秘密基地” となっていたことは言うまでもない。

町に その教団の信者さんがどれだけいたか分からないが、身近に聞いたこともなかった。教会は教会で町に配慮しているのか、はたまた信者を増やしたいのか、何くれ協力的だったようにも思う。

 

何にせよ卒園して もう ◯神様ともお別れだなと思っていたのだが・・。

小学3年の時 何故だか太鼓が叩きたくなった。正確にいうと腰に付けて連打する小太鼓である。 何故そんなことを思うに至ったか定かでないが・・、名古屋というところは昔から派手好きといわれ、パレードなども多かったのでその影響かもしれない。

それならと紹介されたのが 地元の鼓笛隊、・・何とまぁ、教団が管理・運営する子供団体なのであった。

こちらの方は入団中、◯神様も何も全く出て来ずに只々練習あるのみだった(^_^;)
オマケに員数の関係から望みの小太鼓ではなく中太鼓をやらされたのだが・・。

こちらはイメージ画像

とにかくも、苦しい練習の日々を過ごし地区小学校でお披露目の場にもついた。
通算一年にも満たない間であったが、我が人生の中で数少ない晴れの舞台でもあったのだ。

・・で、練習期間中 ◯神様は出て来ないと書いたが、一度だけ出てきた。盛大に・・w。

2泊3日の段取りで 団員全員(子供と教員、親は無し)呼び寄せた大型観光バスに乗って、この教団の聖地(奈良県)にまで連れて行かれたのである。

内容的には大半レクリエーションと観光であったが、半日だけ、その教団の本山とでもいうのか 大々教会の大広間に連れて行かれた。 一般の信者さん?が妙な手振りで、それはもう熱心に拝んでおられたことだけ憶えている。

何月だったか憶えていないが、持って行った水筒の茶はその日の晩に捨てることをオフクロから言われ、蚊帳で寝ていたことから夏だったのだろう。

その夏の日照りの中で、大広間での祈り?の後に、表で労働作業をさせられたw。

おそらく建設途上の教団施設か何かあったのだろう。運動場のように開かれた現場で、子供二人一組になって棒を担ぎ、畚(もっこ)に入れた土を30メートルほど運ぶのだ。

子供相手のことなので元より労働力ではなく、◯神様への “ご奉仕・お手伝い” といった趣旨なのだろう。 1回きりの作業だし、さほど重荷でもないのだが、現在であれば 勝手に信者扱いだとか 子供を働かせたとか、クレーム・批判の対象になりかねないイベントでもあったw。

で、そんな暑い最中、作業の後に振舞われた “麦茶” が・・
私にとって人生で最も美味しく感じた麦茶であった。

教団も◯神様もどうでもいい、その麦茶の味だけが何故か その当時の夏の涼味を代表する想い出となって今に続いている。 麦の香ばしき香り・・ 以来、これを超える麦茶に出会わない。

大人になって一度だけ、コンビニで買ったペットボトルの麦茶に、それに近い感覚を覚えることがあった “カゴメの「六条麦茶」” だったように思う。

喜んでリピート買いしていたのだが、そのうちカゴメが製造権を手放してしまった・・。
ブランド取得した会社では製造・販売を引き継いだが、同じなのは似た感じのラベルだけで中身・味はこざっぱりとした全くの別物・・ 買うのをやめた・・。

イメージに焼き付けられた味であるが故に、あの味わいを超える麦茶に再会することは難しいのかもしれない。 夏を迎える度に思う悩ましい記憶でもある・・。

※ 次週 2回は、お休みサマリー記事に替えてお送りします。ご了承ください。

 

 

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