地上の音符 ♪04 心地良き空と風

その当時の “ロック” と “フォークソング” の境界は、現在よりも遥かに曖昧だったのだろう。 現代的に見ればかなり異質なジャンルのようにも思えるが、どちらも カントリーミュージックにその源流を持ち、そこに反骨的な精神や異議を乗せたものを母体としているので、ある意味それは当然だったのかもしれない・・。

時代の進行とともに “フォーク” と “ロック” は、その立ち位置を明確にしながら概要において袂を分かち、さらにそれぞれに細分化の道を辿ったので、今となってはその両者が混沌であった時代を知る者は少なくなりつつある。

否、現代のあらゆる音楽においてもフォークやロック、さらに様々なジャンルの楽曲のメロディー・テンポ、その精神性は渾然一体となって息づいているのだろう。音楽とはそういうものなのだろう・・。

 

戦後の日本、”ロカビリー” などコピーから始まり築かれてきたロック音楽の土台、ビートルズによる新世代ロックミュージックの台頭を経て、いよいよ “日本のロック” が動き出そうとしていた頃・・。 かねてより日本歌謡に立脚しながらも観念性の高いフォーク音楽も、その方向性を見定める時期に至っていた。

燃え盛る坩堝のように様々な音楽が渦を巻き、新しい手法・技法を生み出し、社会の出来事や流行を取り込みながら、さらに次なるステップを目指していたのである。

『はっぴいえんど』をご存知の方はロックファンであったのか、それともフォークファンであったのだろうか・・?

細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂、いずれもその後の日本ミュージックシーンに多大な影響を残した四人によって組まれたバンド・・。 当時でこそ 新興音楽に興味のある者にのみ知れ渡った存在ともいえる。決してGSミュージックのように、ブラウン管をとおして大衆にもてはやされた存在ではなかった。

4年余りの活動期間ではあったが、しかし このバンドをして彼らはそれぞれの、そして独自のスタイルと(音楽の)世界観を確立し、その後のポップス、のみならず様々な映像音楽に関わり続けていったのだ。

 

バンドがその役割を終えた後、メンバーは新たなバンド結成を模索するか、ソロ活動に切り替えるか、または関連業界に職を求めるが大方の流れだが、大瀧詠一の場合は・・敢えていえば、この三番目、関連業務に移行したと見るべきなのだろうか・・?

CMソングの制作、他者音楽のプロデューサー業務に主に関わるようになった。
・・が、彼の指向は(本人の思いなど知るべくもないが)、常にそこに解析的・希求的姿勢が貫かれていたように思う。 本来、彼の音楽と程遠いイメージの食品CMへの取り組み、そして成功などを見ていると、ある意味CM曲とは研究の成果を試す媒体であったのかとも思える。

「ナイアガラ・レーベル」を設立して後は、その成果を活かすべく自らの楽曲をプロデュースしてゆくが、熟成の域に達していなかったのか、コマーシャルラインに沿った世間受けの良さに準じていなかったのか、まだ話題の先には至らなかった。

 

80年代に入って『A LONG VACATION』がヒットチャートに上り、広く大瀧詠一の名が知られるようになる。

変化自在のテンポとリズム、彼をして彼足らしめる氷河のような清涼のメロディーは瞬く間に多くのファンを獲得していった。 数多の歌手への楽曲提供、相次ぐアルバム制作、その時 彼は、まさに時代のミュージックシーンを彩った雄であったのだ。

バブルという名の好景気へと その歩を進めていた時、単なる生活向上ではなく “シーン” としての夢や満足を求めていた時代(浮足立っていたともいうが・・)、想いを彩る音楽には “リゾートミュージック” をはじめとした解放指向の音楽が求められた。

彼が送り出す多くの歌は 時代の求めるところに見事に応えていたのだろう。

しかし、如何なる蜜月にもやがて終焉の時はやってくる。・・と、いうよりも大瀧自身、時代の写し鏡のごとく連発していた曲作りに、興味を見い出せなくなっていたようだ。
同じようにリゾートミュージックの雄だった山下達郎も、ブーム終盤には全く異なる曲作りを指向していたという。

『EACH TIME』は彼の生前、最後のアルバムとなった・・。

2013年、年も押し詰まったある日の午後、大瀧詠一は65歳の若さで天に召された。

あまりに突然の訃報に業界は驚き、往年のファンは我が耳を疑った。
私もその一人である。しばらく離れていたとはいえ、彼の歌が巷に溢れていた時は私の青春時代末期でもあり、『A LONG VACATION』から『EACH TIME』その数々のメロディーは私の蜜月をも彩っていた。

彼でなければ作れない旋律、彼でなければ聞けない歌声を新たに求めることは叶わないのだ・・。  生前に録音していた唯一の新作「夢で逢えたら」を含むベストアルバム「Best Always」が、死後1年後に発表されたのが、せめてもの救いであったろうか・・。

真夏の浜辺から 北の極地にまで至る、心地良き空の色と風はもう帰ってこない。

しかし、楽曲に対する人一倍の探究心と、天衣無縫ともいえる発想力に裏打ちされた数々の名曲は、時代を経て一片の曇りを感じさせず、今なおスタンダード曲のごとく繰り越し再生されていて、CM曲への採用も多い。

彼の旋律を聴くたび、自らの若き日が脳裏をよぎる私だが・・、CM製作者に対して ひとつだけ言わせてもらえれば・・「君は天然色」だけが大瀧詠一じゃないぞ? もっと他の楽曲引用も検討してもらいたいものだ・・。

と、いうわけではないが・・『NIAGARA MOON』から「ナイアガラ・ムーン」、そして『A LONG VACATION』から「Velvet Motel」を貼って本日の締めとしたい・・。お疲れ様・・。

 

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