残念なのに残念でない、またはその逆

それはもう人によって様々、年齢によって色々、価値観やその人のバックグラウンドにより異なると思う。 ”昭和時代におけるアニメ作品の第一位は?” こんな議題を立てられたら、それこそ議論百出、「アトム」から「ガンダム」「てんとう虫の歌」から「うる星やつら」まで、その答えは百を優に越すかもしれない。

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私とて その答えを絞る術も持たないが、そんな中で70年代を怒涛のごとく駆け抜けた “永井豪” の作品群(テレビアニメ)は、数年の間だったとはいえ 猛烈なエネルギーを放ちながらブラウン管を彩り、その後のアニメの方向性に大きな影響を与えた。

「マジンガーZ」「デビルマン」「キューティーハニー」「ドロロンえん魔くん」、そして “石川賢 と共作扱いの”「ゲッターロボ」など、どの作品も、半世紀の時を隔て今尚その輝きを失うどころか、スピンオフ作品の絶えない秀作ばかりである。

永井 の凄いところは、その爆烈な生産スピード(雑誌掲載漫画で月産400〜500枚!)も言うに及ばず、それでいて作品の質を維持し続けるところにもあるが、もうひとつ・・。

 

アニメ化に至るようなメジャーな漫画家は、紙媒体における “漫画” と同作品を元にした “アニメ版” の二つの道に関わるようになるが、彼の場合、アニメ制作スタジオに丸投げせず、”ダイナミックプロ” や “ダイナミック企画” を立ち上げ、その推進や展開に携わっていた。

彼は自らの手で深く両道に関わり、そしてそれを極めて巧みに描き分けていたのである。

© 永井豪 / ダイナミック企画

多くの漫画家 作品がアニメ化される時、多少 対象年齢をシフトさせて、後は概ね原作どおりに進めるものを、彼は “原作漫画は漫画作品として” “テレビアニメはアニメ作品として” 、ストーリー展開から徹底して再考し関わり続けたのである。

言ってみれば、せっかくアニメ化されて “一作品” から効率よく稼げるはずなのに、わざわざニ作品、並行して作っているようなものだ。 その熱意とバイタリティには ほと感服する・・。

 

その最たるものが、・・やはり『デビルマン』であろう。

原作を一度でも見られた方であれば説明の要なき、原作版とアニメ版の世界観の違い。
自ら持て余すほどに、その世界が膨らんでいった「原作デビルマン」
同じ土台の上に立ちながら、変身ヒーローとして安定した「アニメデビルマン」

© 永井豪 / ダイナミック企画

原作は今さら私などが 語るべくもなき大作だが、「アニメデビルマン」の方も単なるヒーロー活劇で終わらなかったように思える。(※脚本の多くは辻真先)

原作と設定を大幅に変えながらも子供向けのアニメに終始せず、魅力的な敵キャラクターを生み出し、単調な展開になりがちなヒーローバトルものに抑揚を付けていった。

その中でも最も成功し、かつ、見ていた子供たちの胸に焼き付いたのが、意外や登場時は “白痴美” をまといコメディ枠で登場した「妖獣ララ」であろう。 一話完結フォーマットにかかわらず 10話に渡って登場し、他の妖獣とは全く異なる “危険性皆無” な “天然キャラクター” で、作品に新たな彩りを添えた。

いわゆる “おバカキャラ” であり妖力もさほど高くない。物体を変質・変形させる能力を持ち、自分の顔もそれで形整しているが、クシャミひとつで崩れてしまうという程度。

 

“天然キャラ” の名の如く天衣無縫、明るく奔放な性格、デビルマンはじめ仲間内から軽視されて、悩みながらも気持ちの切り替えが異常に早い。 敵であるはずのデビルマン=明から愛されていると思い込むことで人間社会に留まり、時に足を引っ張り 時に助け、周囲を翻弄しながらも健気に生きる・・。 ある意味 “おバカ” の皮を被りながら作品「デビルマン」において最も人間臭く魅力的で輝いたキャラクターだったのではなかろうか。

そして迎えた第36話「妖獣マグドラー 空飛ぶ溶岩」において、明を庇っての非業の死・・。 “おバカ” ゆえに明るく、あくまで純粋であったララが命を賭して守ろうとしたのは、人間界で知った “愛” であるとともに、自らの存在意義であったのかもしれない。

最も能力が低く最も “残念” なキャラクターであった “ララ” は、このテレビ版「デビルマン」において最も輝く登場人物ともなったのだ。

 

あくまで個人的にだが・・、これに反して、最も強大な力を持ちながら、極めて残念な扱いであったのが、最終回第39話「妖獣ゴッド神の奇跡」で登場した “妖獣ゴッド” であるように思えてならない・・。

最終話である。真打ちである。魔王ゼノンを除けば最高位クラスの妖力の持ち主であるはずである。 その姿がデビルマンと類似していることからも “デビルマンのダークサイドキャラクター” として描かれていることは明白である。

それが、登場早々、明の前に現れて “魔界における上司” 発言の挙げ句、”邪魔をするなら美樹にデビルマンの正体をバラす” という、何とも姑息で陰湿な作戦・・、どこかの老害権力者か・・。 果てにデビルマンのミラー的戦法で戦った末、普通に敗戦している・・。

本来、2〜3話を使ってでも もっと重厚に、もっとラスボス的な強さと、時にデビルマンの心情さえ理解する 懐の深さをもって描かれるべきではなかったか・・。 せっかくの最強ライバルキャラが活かされていないこと甚だしい。

© 永井豪 / ダイナミック企画

当時は永井豪本人、原作 / 漫画版「デビルマン」への最終局面に向かって、怒涛の如くアイデアと破局の展開への構想を傾注していただけに、テレビ版への余力が足りていなかったのだろうか? 制作スケジュールが厳しく、最終回という締めの時節だけに練り込みが間に合わなかったのだろうか?

原作には登場しないながらも、決定的ともいえるアンチ・デビルマンを作り上げ持ってきただけに、”妖獣ゴッド” の未完成さは惜しまれてならない・・。

 

自らの力に慢心して敗れた “ゴッド”、愚かで非力でありながらも それを自覚した上で、なお懸命に生きた “ララ” ・・、 マンガの中であっても現実の世界であっても、自らを正しく理解し ひたむきに生きる者こそ眩しく輝き、そして無敵となり得るのだ。

 

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