サンバードの白くま

暑くなってきた。この記事が掲載される頃どうなっているかは分からないが、7月の中旬でもあるし涼しくはなかろう。 元々 寒がりで どちらかというと暑さには強かったはずだが、近年では寒さにも暑さにもヒーヒー言うようになってきた。難儀なこと・・。

これだけ暑くなってくると手にとるようになるのが氷菓子、アイスクリームやアイスキャンディーの類いである。始終食べるわけではないが、風呂上りなどに汗を引かせる用もあって時折 冷蔵庫をまさぐる。

面白い?もので、まだ多少の涼しさが残っている頃はアイスクリーム系の甘さのあるもの、暑さも盛りの頃ともなるとキャンディー系のさっぱりとしたものが欲しくなる。

そんな中で今から10数年ほども前だろうか、甘さ美味しさ系抜群の氷菓子に再会した。 その名は「白くま」、今では全国的に知名度も高い鹿児島名産の氷菓である。 再会したというのは、それ以前に口にした経験があったからである。

 

再会した “白くま” はアイスキャンディーのごとく、棒に付け固められたクリーム50%クリームキャンディー50%な感じの氷菓で、”白くま” の特徴である果物や小豆のチップが練り込まれていた。誠に美味しい。

箱詰め・棒(キャンディー)状であるのは、スーパー量販商品ゆえの取り扱い性に合わせたものであろう。 久しぶりに出会えた嬉しさに、それ以来 毎年夏の到来とともに冷凍庫の片隅を占拠することとなっている。

さて、この “白くま”、それより以前、初めて出会ったのは まだ昭和の終わり頃であったろうか・・。

鹿児島を中心とした九州地方ならメジャーな氷菓であったろうが、まだインターネットも無い時代、良く言えば地域性豊か、悪く言えば他所のことはあまり分からなかった時代、九州から数百キロ離れた関西の一地方において、”白くま” との出会いは中々に衝撃的であった。

何より後の量販 “白くま” と異なり、オリジナルに近い練乳かき氷のスタイル、そこに南国系フルーツと小豆が乗っているので美味くないはずがないのである。(甘い物苦手な人は今日はごめんなさい・・)

 

当地では珍しいこのスイーツを作り売っていたのは、今はなき『長崎屋』の一角であった。上階のレストランフロアに佇む氷菓店であったように思う。 夏には懐かしき “かき氷” の幕や幟が出されるアレである。

暑くなり客の服装が薄くなるのと同時期に、店頭に置かれる “かき氷機” そしてシロップの数々、その横に並んでいた見慣れぬ “白くま” の文字に惹かれ、注文したのが初めての経験だったと思う。

以後、時折 寄るついでに口にしながらも「長崎屋」そのものの精彩が失われるに連れ、寄ること自体が減り、平成14年の閉店をもって “長崎屋の白くま” も過去のものとなってしまった・・。

失われると恋しくなる、そういう勝手な願いが辛くも通じたのか、その数年後 スーパーでの量販白くまに再会出来たのだ。

 

操業時の「長崎屋」は百貨店ではなく、大型スーパー・大型商業&遊楽施設という形態だった。テナントの店も数多く内包していたし、上記のようなレストランフロアやボーリング場なども併設していた。 ハチドリにも似た “タイヨウチョウ” という鳥をシンボルに掲げ「サンバード」のブランドネームを前面に押し出していたのが特徴でもある。

当時の賑わいは高く、近隣の大通り繁華街や百貨店、今はイオンに吸収された「ニチイ」と覇を競っていた。

後に その規模を大幅に拡大し、”価格破壊” を謳って全国展開を果たした「ダイエー」が台頭してきた頃から、業界は怒涛のような渦に巻き込まれてゆく。

「ニチイ(マイカルグループ)」は「サティ」「ビブレ」に名を変えながら存続の道を探っていた。 地元百貨店は喘ぎながらやがて終焉を迎え、大手百貨店は早々と地方からの撤退を決めた。 時代の覇者となったかに見えた「ダイエー」もバブルの崩壊とともに凋落の道を辿ってゆく。

まさかに、当時 一番 施設規模の小さな「ジャスコ」が、やがて「イオングループ」となり全てを飲み込んでゆくとは、その当時 誰が予想し得たであろうか・・。その歴史の顛末は、さながら戦国時代の流れを見るようでもある・・。

(ニチイもダイエーも現在はイオングループ傘下)

「長崎屋」も業績低下の余儀なくされ、様々な施策を講じ、提携先や支援元を探しながらも平成12年、ついに経営破綻に至ることとなる。 その後も復興を目指して苦心を重ねながら、現在は “ドン・キホーテ” の傘下となり、複合型店舗として一部にその名を残している。

社会も商業の業態も時代の流れとともに、その姿を変えてゆく。

現在でも「イオン」店舗の多くには軽食コーナーも併設されているので、昔 味わった雑多な中での飲食に近い感覚も得られなくはない。 只、少々明るく垢抜け過ぎている気もするが・・。

今に比べれば、どことなく埃っぽく垢抜けなかった・・、されど 有り余る人々の笑顔と声の渦の中で味わった、かき氷やタコ焼き、心太の旨味はもう帰って来ないのかもしれない。 過去に焼き付けられた心の感覚なので、それは致し方ないことなのだろう。

だが、せめて夏の間だけは、 あの日 頬を緩めた “かき氷白くま” を復活させてもらえないものだろうか・・。

(本日は、かなり地方色の記事となってしまった。ピンと来なかった方には申し訳ない・・m(__)m)

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