お金を賭けたゲームや勝負事は苦手である。
元より自分に(ツキや勝負運?など)の才能がないことを知っているので、競輪・競馬はおろか賭け麻雀やパチンコさえ手を出したことがない。
お金を出すのなら何かしらの現物が手元に残らないと収まりがつかないので、出費はもっぱら趣味に関する支払いに費やされる。まぁ見方を変えれば、それはそれで浪費の類いに違いはないのだが・・w。
幼い頃、ゲームといえば、将棋や碁など伝統あるものを除けば まだまだ簡素で稚拙なものしかなかった。
時が経ち「人生ゲーム」や「億万長者ゲーム」のようなボードゲームが人気となり、そのうち「レーダサーチ」だの「魚雷戦ゲーム」「スーパーヘリコプター」など、筐体を持った玩具性ゲームが子供たちの憧れとなった。
当時の一般的な所得や生活費を考えると相当に割高だったので、おいそれと買ってもらえる家庭はまだ限られていて、小遣いやお年玉を貯めて ようやく手に入るというのが定番だったのではなかろうか・・。
いつしか ゲームはテレビという箱の中に収まり、眩い光とピコピコ音に彩られる遊戯となって・・ある意味 定形化の方向へと歩み出した。 子供だけでなく青年から大人まで手に取るようになり、専業としてのゲームセンター(いわゆる)”ゲーセン” が立業し、 同時に社会へ及ぼす影響も見られるようになって、今日のゲーム文化の黎明となっている・・。
家庭用のゲームと異なりゲームセンターのゲーム機は、その方向性から より大型の筐体を持ち、リアル指向を目指しているのはご承知のとおりである。 営業であるのでPLAYには費用を要する。初めて家庭用ゲーム機が普及した頃は、お金を入れずに何度もPLAYできること自体が新鮮であったようだ・・。
何をもってゲームセンターとするかは定説を持たないが、現在イメージするようなゲームセンターは、昭和60年代には全国で既に20000軒を遥かに越えていたようだ。 しかし、ゲームそのものに求められる形態の変化とともに減少を続け、今は往時の8分の1程度だともいう。 色物ともいえるゲーム業界であったとて、時代の変化には翻弄されてゆくのだろう。
上で挙げたような “ゲーセン” が確立する以前、大型ゲーム機が置かれる場所は あくまで何らかの施設に付随する一コーナーとしての形態であった。
遊園地の一角、ホテル・観光施設の一部屋、そしてデパートの屋上近辺に設置されたゲームコーナーである。今でも観光施設や大型商業施設の一角には、稼働を続けているところも少なくない。
そういった場所でのゲーム機は基本的に、低年齢向けや一過性の遊興のために置かれている場合が多く、高難度なゲーム機体や最新機に更新される率が低いため、稀にではあるが、地方の商業施設のコーナーなどには、今でも昭和然とした風采を残している所も見受けられる・・のが嬉しい・・。
さて 子供の頃、稀に連れて行ってもらったデパートのゲームコーナーで、必ずと言っていいほどPLAYしていた機体があった。
現在の筐体に比べれば小さいが、それでも当時としては大きな機体だったように思う。
ゲーム機の名前なんてものがあったのかどうかさえ分からない。 内容的には “空戦・撃墜” ゲームのようなものであった。

当然ながらディスプレイなどではないが、スクリーンのようなものの向こうに飛行する敵戦闘機のシルエットが、右から左へ 左から右へと弧を描いて移動し、それを手前に据えられた機銃で撃ち落としてゆくのである。ガガガガ!という射撃反動も凝らされていたように記憶している。(単なる記憶違いかもしれない・・)
我が目を疑うような現在のゲーミング・映像技術には、足元にも及ばないのは言うまでもない・・が、それでも当時の小学校低学年の子供には、充分過ぎるほどの興奮であった・・。
もう一つ、お気に入りであったのは “ドライブゲーム” である。
単にベルトローラーで繰り出され蛇行する道を、半固定された模型車のハンドルを切りながら右へ左へ移動するだけである。ノーミスで進んでも最終目的地にまで到達することは決してないw。
撃墜ゲームと打って変わって機構の工夫も少なく、興奮も何もなく漫然とハンドルを切っているだけなのだが・・、ゲーム機の後ろから聞こえてくる牧歌的な音楽に浸りながら、黙々と車を流しているのが好きだった。
今にして思えば 撃墜ゲームもドライブゲームも、私の心の欲求と安息の両面を現す写し鏡のようなものであったのかもしれない・・。
現存する個体が残っていれば、骨董屋か博物館、はたまた粗大ゴミ行きのゲーム機であろうが、もし目の前にあるならば・・、おそらく迷うことなくコインを入れるだろう・・。
パチンコも その始めは夜店の屋台で子供向けに行っていたものが、やがて大人の世界に取り込まれていったのだという。 遊興もゲームも時代によって変遷を遂げる。
文化といえる程にまで発達を遂げたゲームの世界、”Eスポーツ” などという呼称自体、私などにとっては理解の向こう側だが、はてさて この先どんな未来が待っていることやら・・。 出来ることならいつまでも、人の夢や安らぎに寄り添ったものであり続けてほしいものだ・・。