0と1は成熟するか

CDの話しから始まるが、本日はオーディオの話でも音楽の話題でもない・・のでよろしく・・。

今から40年前、1982年(昭和57年)CD(コンパクトディスク)が発表・発売された。業務など特殊分野を除けば、一般におけるデジタルメディアの黎明である。

世の常で、当初は “デジタルだから” 音が良いように盛んに宣伝されたが、本来、デジタルデータの利点とは、コピー時における合理性やデータ保全に優れるというもので、音質の向上とは直接には関係がない。 事実、発表から数年の間はそれまでのアナログメディアに比べて及ばない部分も少なくなかった・・。

しかし、登場から紆余曲折を経て40年、さすがにデジタルプロセスによる音声にも磨きがかかり、昨今の再生品質を古きアナログシステムで対抗することは至難の業ともいえる。 本質的に “0と1” でのみ伝えられるデータであっても、そこに人の熱意や工夫が加われば成熟の途があるということか・・。

 

近年、富にデジタル技術の浸透が見られるもののひとつに “漫画の制作” がある。
ここ10年ほどの間に、ペンタブレットを用いて漫画を描く漫画家さんは飛躍的に増えたようだ。(主にセル画などを含む業務用途ではもっと早い時期から導入されていた)

現代の若い漫画家であれば7割方 ペンタブ描きなのではなかろうか。
紙もインクも消しゴムも使わないので 消耗品がほとんど発生しない。描き直しもトーン貼りも極めて合理的に進められる。データでやり取り出来るので、原稿受け渡しの手間を省けるなど良いこと尽くめである。

これだけ合理化が進めば、制作時間も大幅に短縮できて漫画家さんも さぞや楽々であろう。・・と思いきや、実態はそうでもなく、制作時間も手間もさほど変わっていないようだ。 むしろ、消耗品の調達や原稿の受け渡し時間が減っている分、制作時間は冗長しているのかもしれない・・。

そして、デジタル描きの弊害のひとつともいえるものが、描線の非個性化ではなかろうか。 昨今の漫画を見ていると、その描き方の背景に画一されたバックボーンのようなものが、あるような気がしてならない。

無論、漫画家さんもその個性の発揮に腐心しているのであろう。合理化が進んだのに総合的な制作時間が短くならないというのは、そういった繊細な部分の修正に思いの外 手間が掛かっているのだろうか・・。

 

昭和の時代に「漫画界一の流麗な線描」と評された漫画家がいた。

“小島 功(こじまこお)” 氏 である。

小島功の名で分からなくとも・・
「カッパッパー! ルッパッパー! カーパ黄桜 カッパッパ ♪」
・・のCMソングを憶えておられる方は多かろう。 あのCMに登場する中年・子供、そして魅惑的な女性の河童たちを描かれていた方である。

© 小島功 / 黄桜株式会社

一般において あのCMの印象が強いため、まかり間違うと “河童漫画家” のように思われかねないが、もちろん そのようなことはない。普通の人間が登場する漫画も数多く描かれておられた。河童漫画にあってはむしろ漫画というよりイラストでの作品提供の印象が強い。

子供向けの漫画雑誌に投稿することは殆どなく、その大半は大人向けの雑誌に掲載されていたので、目にされた方も多いのではないだろうか・・。

( 因みに「黄桜酒造」のCMイラストは1974年(昭和49年)からである。それまでは同じく漫画家の “清水 崑(しみずこん)” 氏 が担当しておられた。氏の描く絵も極めて情緒豊かで味わい深い描線を使われていた。人によっては清水氏の河童の方に馴染みが深いかもしれない。)

© 清水崑 / 黄桜株式会社

 

さて、小島氏の漫画は河童CMに起用された持ち味よろしく、日々の生活の隙間に息づく ちょっとした欲求やハプニングを、アイロニー交えながら呑気に、そして豊熟なエロティシズムに乗せて描かれたものが多い。代表作「ヒゲとボイン」など その最たるものであろう。

当時の男性社会人向け漫画の多くが そういった路線ではあったが、氏の漫画はその中に特有のナンセンス感と鷹揚さが同居していた。 そしてそれを太くも細くもスイーッと何の気負いもなく描かれた線と絵で表現足らしめていたのだ。

本当に何も考えず 思いつくまま、適当に引かれた線のように見える。

しかし、この線は、そこに至るまで徹底した基礎の積み上げなくしては決して辿り着けない職人の境地である。 昭和時代の絵描きさんの多くが そうであったろうものの、小島功の引く線は その極致のひとつと言えたのではないか。

子供の頃、絵に興味をもって師に相談をしたところ「黙って五年 石膏デッサンをなせ」と諭され、それを積み上げたことも基礎の確立となっているのであろう。 最も基礎的な修身・勉強が最もつまらなく辛く、そして最も身となるのは どの世界でも共通した原理なのである・・。

© 小島功 / KADOKAWA

天衣無縫の言葉のごとく、そこに努力の跡も拘りも何ら見せぬまま自由に引かれる線、そして描かれる人々の喜怒哀楽。 職人技の極致ともいえるような表現を、果たして現代のデジタルデバイスが描けるのか・・?

・・と、問われれば、答えはNOである。
人をして人生を賭け成し得た技、そこに内包される想いは 0と1では表現出来ない。

但し、現時点では・・である。

デジタル技術を軸とした科学の進歩は、最早 常人の予想の上を行っている。
かつて数段階の筆圧検知といくつかのブラシ(線の種類)しか持たなかったペンタブレットも、今や数千段階の筆圧、ペンの傾きまで数十段階で検知する。

ブラシも無限、画家のクセなども自動的に習得しサポートする技術が複合されれば、独自の個性と味わいを画家とコンピューターのタッグで確立されることも、あながち遠い夢ではなかろう。

かつて 30cmのレコード盤は CDの登場で圧倒され、世の音楽メディアは12cmとなった。そのうちMDやDATが登場しては消え、USBメモリや小型プレイヤーにデータそのものが保存されるようになり、そのメディアは姿を喪失するようになった。

反して、その音質は日進月歩 進化を続け、かつての最高レベルのアナログ音質を凌駕する勢いだ。 (只、その進化の通底にはフォーマットの超細分化という、要するにアナログ回帰な方向性があるのだが・・)

時代が変われば技術も変わる。それを使う人間とその創造物のあり方も変わり、文化も世界のあり方も変わってゆく。 それが夢に満ちた未来なのかどうかは・・如何せん誰にも分からないのが一抹の寂しさでもあるのだが・・。

参考サイト ︰ 黄桜ギャラリー / 黄桜株式会社

 

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