先月「用心棒からポリデントまで」の題名で老練の俳優 “高品 格” の記事を書いたが、本日のお人は・・、言うなれば “大宇宙から台所まで” といったところだろうか・・。
無論、人間単体でそのような表現を成し得るわけでもない。その人が創造し奏でる音楽がまさにそれらを壮大に、そして身近に表出させているのである。 その人の音楽を初めて聴いたのはいつのことだったか憶えていない。しかし、後に知れば幼い頃から頻繁に耳にしていたようだ。
その人の名は “冨田 勲”、作曲家であり また日本におけるシンセサイザー音楽創作・演奏者の草分けともいえる存在である。
彼の音楽を “冨田勲の音楽” として聴いたのは、確か「亜麻色の髪の乙女」(ドビュッシー)だったと思う。 AMラジオの何かの番組、それを録音したテープを夜更けに聴いている・・。およそ高音質とは言い難い状況の中で、それでもその時 私はえも言われぬ音の宇宙の中にどっぷりと浸かっていた・・。
オーディオに興味のある私が、人の心を震わせるのは必ずしも高品質な音だけではないことに、蹟から気づいた一瞬でもあった。
以降、私は冨田勲の音楽を積極的に求め、「惑星」や「月の光」「バック・トゥ・ジ・アース」「ドーン・コーラス」など聴き進めたが、その頃はシンセサイザー音楽が隆盛をみていた頃でもあり、”喜多郎” や “シャカタク” を聴く道筋ともなったのだ。
ネットによる情報検索など影も形もなかった時代、まだシンセサイザー奏者としてしか認識していなかった彼が、それだけにとどまらない音楽家であることを知ったのは、NHKの大河ドラマだったのかもしれない。第1作「花の生涯」を皮切りに通算5回の主題曲を担当している。
今でも「天と地と」「新・平家物語」「徳川家康」の主題歌3曲は、私にとっての愛聴盤となっていて、機会あるごとに聴いている。
これらをきっかけとして当時分かったのは、昭和時代における彼の作品が如何に多様な番組や創作劇に大きな足跡を残してきたかということだった。
子供の頃 親しんだ「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」、「キャプテンウルトラ」「マイティジャック」など、言ってみれば、私など彼の作品に包まれながら育ったようなものではないか・・。 中でも その曲風に今も惹かれて止まない NHK「新日本紀行」のメインテーマが、彼の手によるものであることを知った時は大きな衝撃でもあった。
その数年後であったか、NHKの とある番組で彼 “冨田勲” 本人のタクト+簡易オーケストラによる「新日本紀行」の演奏を聴いた時の感動は今でも忘れられない。
「冒頭からジャジャーンと派手に始まるので、お前の作った曲だと分かりやすい・・」 医師である父親から言われた言葉だと、出演されたFM番組の中で語っておられた。
上で挙げた作品の大半もそうであるように、冨田勲の音楽は極めてダイナミックでありスペクタクルな展開を見せるところに、その真骨頂を見ることが出来る。
しかし、世界を俯瞰するがごとき膨大なものを創造するには、その正反対の身近で些細なものへの認識をも失ってはならないのであろう。 彼の作品が その曲だけで物語を描いてみせるような力に溢れているのは、この両端への造詣の深さと これを巧みに織合わせた “綾” によるものとも考えられる。
何せ開始以来65年に渡って続けられる NHK「きょうの料理」のテーマミュージックも彼の手によるものなのだ。 少なくとも昭和生まれで、この曲を一度も耳にしたことないという人は稀ではなかろうか。
ハーレーダビッドソンを愛用されていた。UFO研究などにも精を出されていた。基本、自身にとって新しいこと、楽しそうなことへの熱意が旺盛な人柄だったのか・・。 彼はそのスペクタクル溢れる楽曲のごとく、自由で創造に満ちた人生を歩んだ。
昨年 執り行われた “東京オリンピック” の開会・閉会式にも彼の曲が使用されたという。
閉会式で使われたのは「月の光」(ドビュッシー)、 この曲のように 彼の人生の締めくくりも、朧の光に満ちた天界への帰還だったのかもしれない・・。