ニンニン

東京台東区の浅草寺には忍者がいるそうである。もちろんイベントサービスの一環でありキャラクターとしての存在である。 京都の太秦映画村、各地の城郭、歴史的観光地など至る所にその影を潜ませている。

本来、潜み続けていないといけないのだが業務の都合上、客が来るとその姿を現す。現代の忍者に求められる矛盾である。

何故か真っ昼間から浪人相手に立ち回る忍者 ©東京浅草エンターテインメントバス

忍者というと大体の場合、黒や灰色系の装束に身を包み背中に忍者刀を背負った姿で現れる。 城や屋敷への潜入時のステルス性・機能性を考慮したものとされているが、このような特殊任務の時以外、こんな奇妙な姿でウロウロしていることはないであろう。

何をおいても先ずは “忍ぶ” ことが本懐の忍者、そこに忍者がいることが判っては意味が無いのだが、観光事業ともなれば そうも言っていられないし、漫画化・映像化ともなれば目立って活躍しなければならぬ。何よりインバウンドでやって来る外国人には今も典型的忍者のウケが良いのだ・・。

 

実際のところ、およそこの世で最も目立たず地味な存在であるはずの “忍者” を、その呼び名をも含めて歴史活劇のヒーローとなったのは、江戸時代の説話に登場した “自来也” や “百地三太夫” らを端緒に 明治・大正と語り継がれ、特に昭和中期以降、映画・漫画などでイメージが確立されたことにあるだろう。

私たちがまだ子供であった高度経済成長期においても、その漫画文化の台頭によって多くの忍者ヒーローが健在であった。 中でも “白土三平” による「サスケ」「カムイ伝」、また「少年忍者風のフジ丸」 “横山光輝” による「伊賀の影丸」「仮面の忍者 赤影」「闇の土鬼」あたりが代表的作品といえるだろうか。

既に、時代劇という本道から外れたサイドラインも確立されていて “藤子不二雄”「忍者ハットリくん」は現代劇をベースにしたコメディドラマ、 “つのだじろう”「花のピュンピュン丸」は完全ギャグ漫画であった。(主人公の弟 チビ丸の「ビェ〜!」という無敵の泣き攻撃が今も記憶に根深いw)

忍者ブームなどというものが 具体的にどの時期を指すのかは分からないが、この時代はまさに漫画や映像において忍者が花咲かせていた時でもあったのだ。

 

チビ丸の「ビェ〜!」・・ではないが、忍法と称するその技法の数々、奇怪な立ち居振舞いなど 今見ると荒唐無稽で、およそ非現実的な演出が大半だが、それだけに驚きと緊迫感に満ちた活劇の連続で、今 目にしても一向古臭さを感じさせない。

満月を背景に大樹の枝から逆さにぶら下がり宿敵を出迎える忍者・・、何故 そんなに目立ちかつ頭に血が登って、戦闘開始に不利なことこの上ないのに・・w とは思うのだが、そこが良いのだ! 奇抜な演出と意外性に満ちた戦術にこそ忍者ものの醍醐味があったのだ。

 

情報化の時代に近づくにつれて、忍者本来の姿がそのようなものではない という事実が世に広まり、子供の興味も忍術や殺陣からSFやロボットへと移り変わっていった。

時代劇そのものが減ってゆく中、昭和50年代に放映された “千葉真一” 主演の「柳生一族の陰謀」や「影の軍団」シリーズを最後に、忍者が物語の中心に据えられることは急速に減少の道を辿ることになった。 忍びは再び影の世界へと身をくらましたのだ・・。


しかし、それでも日本人の心のどこかには “サムライの時代” とともに、その反面であり影でもある “忍者” への記憶と想いが息づいているのだろう。 その姿を見掛けなくなったといっても必ず何処かに潜んでいる。

王道の活劇路線は、異世界ファンタジーの衣をまとい平成時代に「NARUTO -ナルト-」”岸本斉史” として顕現、大ヒット作となった。 ギャグ路線は子供向け定番アニメとして同じ平成5年から始まった「忍たま乱太郎」”尼子騒兵衛” が、今もNHK-Eテレで放送を続けている。

一時ほどの賑わいは失せたものの、その存在自体が消え去ることはない。時に影に時に日向に、奇妙なスタイルで駆け抜け飛び交う 怪しの者たちを人はいつも求めているのだ。居そうで居ない、見えそうで見えない現在の状態は、空想の中の彼ら本来のあり方に適っているのかもしれないな・・。 程よく再会出来る機会を待つことにしよう・・ニンニン。

 

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