子供の頃、名古屋に住んでいたと過去記事で書いたことがあるが、もう少し細かくいうと名古屋市千種区在住であった。 市の中心部から やや北東に外れた場所で、今池という歓楽街を持ちながらも、住宅地を中心とした穏やかな町だった。
意識してではないが、市の東側に住んでいると その活動範囲も東側であることが多い。中心部である中区や熱田区を越えて以西に行くことは、三重県の親戚の家にまで行く時くらいしかなかった。 どちらかというと西側の方が、港区や また隣接する四日市市の工業地帯がらみで開けていたんじゃないかな・・。
要するに西側に比べて東側は、同じ住宅街でも多少なりとも緑に近かったような気がする。 千種区の北隣りの守山区にも住んでいたことがあったが、そこはもう “田舎” に近い状態だった・・(当時は・・)

さて、その千種区の東端にあって、多くの来園者を集めていたのが「東山動植物園」である。 名のとおり動物園と植物園を中心とした総合都市公園であり、子供がまだ多かった昭和の時代には 休日ともなると随分と賑わっていたのを記憶している。
植物園に興味のない子供時代には “東山動物園” として認識しており、また児童向け遊具も幾らかあったので 私もよく連れて行ってもらったものだが、そこに一本の不思議な乗り物があった。 空中に吊り下げられた電車のようなものである。
「モノレール」 そう呼ばれた交通機関は当時の最先端、新しい時代の交通インフラを担ってゆく夢の乗り物と思われた。 遅いものよりは速いもの、低い所より高い所を良とする、人本来の希求によるものか、はたまた当時の “未来予想図” に描かれていた、チューブ式の空中交通機関を思わせる外観からか・・。
(但しモノレール自体の歴史は古く鉄道創始のころから考案・試作されていた。それに近代モノレールは総じて高速ではない)
ともあれ、都市開発が進み、移動手段を含む過密化とそれに伴う環境の悪化を解決に導く決定打のひとつとして、当時の期待を背負っていたのだ。 日本初といわれる東京 “上野動物園” のモノレールが営業を始めたのが昭和32年(1957年)、東山動植物園のそれは昭和39年(1964年)の開始であった。
どちらも “懸垂式” と呼ばれる、高架線路から吊り下げられる形態である。言ってみれば車体床下に何も無い・・未来的であると同時に、人によっては “何か足元が落ち着かない・・” 気色悪く面白い乗り物でもあったw。 当時の風景を描く池田邦彦氏による漫画「でんしゃ通り一丁目」にも、その一場面が描かれている。

“未来予想図” に盛んに登場していた浮揚自動車 “エアカー” は、そのエネルギー効率と埃にまつわる環境問題から当初より疑問視されていた。 “チューブ式空中交通機関” も実現にはちょっと・・という感じ・・。
引き換え “モノレール” は現実に存在し技術的にも確立されている。やがて都市のあちらこちらに高架の枝葉が伸び茂り、人々は空中の回廊を通って通勤し、買い物に出掛け、行楽地に向かう時代がやって来る・・。 人々は頭上のはるか高みを見続けていた・・そういう時代だったのだ。
しかし、東山動植物園のモノレールは開業から 僅か10年でその営業を停止した。園外生活圏への延伸計画もあったが廃案となった。 パイオニアたる上野動物園のモノレールは開業以来、車両更新を行いながら60年に渡って存続したが令和元年(2019年)休止に至った。
現存稼働するモノレール路線は全国で10路線ほど、大半が路線長20km未満の限定的な区間サービスであり、従来鉄道の一翼を担うというには あまりにも寂しい状況といえよう。 これでも世界的に見れば日本はモノレールの多い国だというから、如何にこの半世紀で普及に至らなかったかが偲ばれる。
・用地確保が比較的容易であり、高架を含め建設コストを抑えられる。
・結果的に既に市街地化した場所にも敷設しやすい。
・鉄輪ではなくゴムタイヤを使うので静音性・環境性能が高く乗り心地も良い。
これらのメリットを掲げ未来を嘱望されたモノレールだったが・・
・構造上、高速性能・積載収容能力で従来鉄道に劣る。
・ゴムタイヤを多数使うがゆえにその交換維持費が嵩む。
・懸垂式では 故障時の乗客避難が難しい。
これらのデメリットが広範な普及への妨げとなったという。そして、その構造上の規格が多数 乱立していて統合化が果たせなかったのも大きな要因であろう。言ってみれば鉄道のように融通がきかなかったのである。 いつしかモノレールへの夢は過去のものとなっていった。
未来を託されながらその任を果たせなかったモノレールだが、その有用性の一部は次代へと引き継がれ、昭和56年 “神戸ポートライナー” をはじめとする「AGT(自動案内軌条式旅客輸送システム)」となった。
モノレールの単線軌道とは異なり、また跨座式に近い軌道上面の機関であり有事の避難路も確保されている。 自動運転化を果たし今回は標準規格の策定もなされているので、時代が求めるならば今後の展開にも有利に働いてゆくかもしれない。
振り返って見るならば、空に架かる夢の軌道は単体のものではなく、これらAGT、そしてさらなる新交通機関の萌芽のための礎、試金石であったのだろう。 いつしか人々頭上から消え去った過去の遺物ではあるが、その意義は従前に果たしていたのだ。
空の彼方に消えゆく道、それは遠く夢に満ちた時代の後ろ姿を見るようでもある。しかし そこには儚さとともに 幾ばくかの誇りも讃えているようで、何故か妙に嬉しいのだ。