真編 オゥ!銭形の!

昨年、昭和テロップを始めてまだ間もない頃、「銭形の!」の題名で一本書いていた。
今見返してみると、随分ワード数も少なく中身も薄い内容で気恥ずかしい。

元々イナバナ.コム内 “あの頃ピックアップス” のカテゴリーでやっていたものを、何かここでやるのは違うな・・と考え、分家のような形、私自身の記憶・追憶のメモワールとして始めた「昭和テロップ」、Tweet ではないが気楽・気ままに書き進めようと思ったが故の軽さだったのかもしれない。

内容的には現在もさほど進歩していないが、何かしらニッチな昭和ネタでやっていきたいと考えていますので、今後とも宜しくお願い致します m(_ _)m

 

んで、本日書き出し「銭形の!」、前回ではドラマそのものと主演 大川橋蔵について書いたが(全然ニッチじゃない・・)、本稿ではこのセリフそのものを連発していた ご本人 “三輪の万七親分” = “遠藤太津朗(えんどうたつお)” について触れてみたい。

そう、恰幅の良い・・というか、少々肥満に過ぎる体格に油っぽい面持ち、横柄な態度、およそ上から視線での物言い・・、分かりやすい憎まれ役、それでいて どこか間の抜けた可愛げヤクザなオジサンを 見事に演出してみせた個性派俳優である。

ひとまわり先輩格の “上田吉二郎” ほぼ同期の “川合伸旺” らとともに、時代劇における “性悪親分” “悪徳商人” そして燦然たる “悪代官” 像を築き上げた一人といえよう。

 

複雑に進化した現代のドラマにおいては、俳優の外見と役柄は必ずしも一致しなくなってしまったが、未だ古典映画、舞台演劇の芳香を残す昭和のドラマ・時代劇では、役柄が求めるままの風貌や雰囲気が重要視されていた。 主人公はあくまで格好良く男らしく、悪役はあくまで憎たらしく・・であるw。

だからであろう、後の “八名信夫” 率いる「悪役商会」メンバーのごとく “絵に描いたような悪役” の名優が多数 輩出されたのだ。

左上:上田吉二郎、右上:川合伸旺、左下:八名信夫

遠藤太津朗 はその中でも独自の存在感を有していたように思う。上でも書いたように脂ぎった悪さ・ろくでなしさを表出させながらも、その演技は どこか他愛のない滑稽さ、人の良さを湛えていて、”この人、実は面白い人なんだろうな・・” と思わせる愛嬌を持っていたのだ。

実際、銭形平次における三輪の親分にあっては隠れファンも少なくなく、仇役でありながら主人公を盛り立てる、不運な役回りとして捉えらていた向きも多いのではなかろうか。

文字どおり悪代官役などケレン味たっぷりに演じたが、(作品名は失念したが)とある高位旗本?の お殿様(悪役ではない)を演じられた時、 呼び寄せた町医者(確か鶴田浩二だったか)を相手に不調を訴えるものの、贅沢放漫な生活を諌められて不細工にうろたえる様は、まさに彼をして誰が演ずる?と思えるような抱腹の一場面でもあった。

 

学生時代に家業を放り出して俳優の道を手繰った挙げ句 ついに勘当されて、それでも演ずることへの情念絶ち難く、舞台演劇・映画の端役を長きに渡って努め役者としての礎を築いた。

関西ローカルな刑事ドラマ「部長刑事」への出演をきっかけにテレビドラマへの出演も増え、上述のような好演で、悪役ながら茶の間の人気をも獲得してゆくことになる。
結果的にそれらが後のワイド劇場「京都殺人案内」における中間管理職 “秋山虎五郎” 役への抜擢へとつながってゆく。

上層部と奔放な部下との板挟みに悩みながらも、何とか職責を全うしようともがく、滋味に満ちた好演は遠藤太津朗の真骨頂ともいえよう。

世に言われる “悪役を演ずる人ほど素は優しくて良い人” というのが、全ての悪役俳優諸氏に当てはまるのかどうかは分からない。 しかし、自分が演じている役に対する社会的な認識というものには、その多くの俳優が気にかけているだろう。

「悪役商会」の主催、八名信夫も「悪役が実際に不祥事を起こしては洒落にならない」と、厳しく自らと会員を律していたと聞く。

何より家族(特に子供)に色々と障りがあろうことも予想される。
それだけに、悪役を演ずる人々は家族を気遣い世間的な付き合いを大切にする、という側面もあるのかもしれない。

そして、それ以上に、より深く滋味溢れる演技を追い求めることに、人間的な魅力を見出し昇華しているのだろうか。 遠藤太津朗も役を離れると極めて気さくで温厚な人柄、それに子煩悩・愛妻家であったようだ。

彼が その芯に持っている “人への洞察と愛着” が、その演技に生きていた役者人生であったのだろう。

 

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