タチビな車 vol.06 専用車

ま〜た お前ンところか! 三菱ネタである・・。
申し訳ない m(_ _)m、別に三菱自動車に恨みがある訳ではないのだが、否、エラそうに書き連ねる前に、そもそも長期間にわたって三菱の車をちゃんと乗ったことさえないのだが・・。

何せ、三菱とかホンダ、マツダ辺りは、世の趨勢から微妙に外したところを狙って(狙ったつもりはないことも多々ある?)商品を出してくる “タチビの宝庫” なにである。 逆にいえば、良くも悪くも色んな意味で “堅実さ” から抜けきれないトヨタなど、ここではお呼びでない・・ということになる。(まあ呼ばれたくもなかろうが・・w)

・・で、本日のお題「専用車」 昭和時代の三菱を知られる方ならお分かりであろう、”三菱の重役専用車” である。

当然ながら自社重役のために車を作る会社など ある訳がない・・。
結果的にそれほど売れなかった・・「◯◯◯? 三菱の重役くらいしか乗ってないんじゃないの?」と揶揄されてしまうほどの販売数、そして高級車であった車たちだ。

因みに今回は末尾でチョイ平成に掛かる・・。

 

『デボネアV』

見た目アメ車?でありながら基本的な変更も加えられず、22年間に渡って作り続けられ “走るシーラカンス” といわれた先代にして初代のデボネアから、1986年(昭和61年)フルモデルチェンジのかたちでバトンを受け取った。

当時の流行の影響からか 直線的なボディライン・・ というか・・、全体的な面積配分ちゃんと吟味したのか?と思えるような微妙なバランス、(プレスドアやリアサイドガラスが影響し、ボディ見切りより上がやや大きく見える)

一見、同時期の6・7代目トヨタ・クラウンと似たようなデザインだが、この当時の直線基調の車に有りがちだった、線と方形組み合わせ配分の未消化から逃れられていない。

外観はさておき、この車はその中身にも独特のジレンマを抱えていた。
ショーファードリブン(要人用高級大型車)の立ち位置ゆえ、キャビン容量の確保・大型化は宿命であるものの、そのためか動力のFF化を選んでしまった。

広大な室内空間は確保されたものの、”高級大型車はFR” という既成概念から外れたチョイ異端の車と認識されてしまった。 結果、V6エンジンになったのは良いとしても、いかにFF化が隆盛していた頃とはいえ、FF車はまだ中型車以下のイメージが先行していた当時の風潮には受け入れられなかったのであろう。

 

米・クライスラー、韓国・ヒュンダイとの契約、そして一部のタクシー需要によって、ある程度の生産台数を確保することが出来たものの、国内の路上で見掛けることは稀といってよく、先代に引き続き “三菱の社内の、それも高位の人の乗る車” となってしまった。

無論、三菱としても この状態を野放しにしていた訳ではなく、エンジンのスーパーチャージャー追加やDOHC化、ボディのストレッチバージョン、果てはドイツAMGとのコラボチューンモデルを発表したりと、梃子入れを行ったが状況の改善には至らなかった。

3000ROYAL AMG 何故かフードクレストにスリーダイヤのものとVマークのものが確認できる

 

都合6年間 2万8000台余りが生産され(国内)1992年(平成4年)に、名称から “V” の取れた3代目デボネアへとバトンを渡したが、3代目はおよそ “三菱シーマ?” はたまた “デカいブルーバード” ともいえる出来で、(類似性はともかく)スタイルも悪くなく内容も充実していたが、バブル崩壊期であったことも相まって世間への認知度は先代・先々代に輪をかけて低く、存在していたことすら知らない人も多い・・。

1999年(平成11年)新世代ハイソサエティカー「プラウディア」「ディグニティ」に後を託して、足掛け35年のデボネアの歴史に幕を下ろした。

そして、その「プラウディア」「ディグニティ」も・・車自体の出来は出色ながら、真正、三菱のDNA、それも思わしくない部分のDNAを引き継ぎでもしたのか、世に名を馳せぬまま僅か1年余りの超短命希少車となった・・。

左上から初代、二代目、左下 三代目、右下 プラウディア、こうして見るとどれも悪くない

 

いつものことだが “タチビな車” で取り上げるモデル達は、車としての出来・資質は決して劣ってはいない。むしろ優秀な部類であることが多い。 出来は良いのに何故売れなかったのだろう? 何故 世間から浮いていたのだろう? と思われる車達である。

今回の「デボネアV」に関していえば・・ 技術はあるが、商品としての高級大型車のノウハウが無いままに、放置し過ぎた先代からの刷新に取り組んでしまい、そこに予算や制約が重くのしかかった結果・・と言えなくもない。

しかし、それ以上に三菱が世間の欲するところを今ひとつ把握出来ていなかった。もひとつ世間と波長を合わせる気がなかった・・ように思えてならないのだ・・。

ようやく新しいアンテナが育って、人々の波長に応える形が出来上がりつつあった頃、長年の暗部とでもいうべき問題が次々と露見した。 そして今日、日産資本下の現状、誠に残念という他ない・・。

願わくば本当の意味での革新、本当の意味での人々の想いを知って、新生三菱自動車の復興を果たしてもらいたいものだ。

如何に世が変わり車の道具化が進んだとはいえ、いつの世も変わらない事実、車は人の生命を乗せて走るもの、そして人の夢や喜びを乗せて走るものなのだから。

 

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