偽物の美学

偽物は偽物である。

どう足掻いたところで本物には敵わない。
偽物が存在しなくても本物は存在足り得るが、本物が存在しなければ偽物は生まれ出づることさえ出来ない。 パチモノ、真似しぃ、三流、商標法違反だ〜っ!、散々に言われながら・・。

それでも、いつの世も、偽物は結構元気に活躍している。
いや、別にコピーブランド商品を擁護するつもりはない、法令違反を別にしても、あれはあれでオリジンにとって迷惑この上ないし、物事の正常な発展の妨げともなる。

されど、コピーブランド商品がいつまで経ってもこの世から無くならないのは、騙されて買う人がいる一方で、偽物だと知りつつも、それでもブランド物を身にまといたい人たちが一定数いるから・・、というのも事実であろう。

ドン・コルレオーネは言った
「酒・女・博打 というものは、教会は禁じても人々はそれを欲する・・」

世の中、正義の論理だけでは中々動かないのだ・・。

 

前置きが長くなってしまった。

今日の記事はもっと愛すべき? 偽物について書きたい。 少なくとも私はその存在が好きである。

コレ!・・だけで解かった人は どれだけいるかな?(画像クリックで正体)

「ウルトラマン」第18話 “遊星から来た兄弟” で登場した、ザラブ星人扮する偽ウルトラマンである。

切れ上がった・・というか、上がり過ぎだろ!? と思うくらいの眼差し、見りゃ判るだろ!?くらいの部分的かつ明確な差異、科特隊 戸惑ってる場合じゃないぞ・・w。

この「見分けがつかないだろうっ!? 一部分除いて・・」のサービス精神旺盛なキャラクターが、何ともいえず、そこはかとなく好きなのである。

 

何故 好きなのだろうか? よく分からない・・、おそらくは “別格” だからではなかろうか?

「ウルトラマン」であれ、他のドラマであれ、全編を通してひとつの物語を形成する連続ドラマ(総合完結型)を別にすれば、毎回完結型のドラマは多かれ少なかれ一定のフォーマットに則って描かれることが少なくない。(特に昭和時代はその傾向が顕著だった)

要するに 毎回毎回、同じようなことをやっているわけであり、「ウルトラマン」であれば登場怪獣が代わり、ストーリーが少しばかり変わるだけなのだ。(まぁ、そこが良いのだが・・)

そんな、ともすればマンネリを招きかねない状況の中で “偽物” の存在は、他話とは異なる雰囲気をもたらしてくれる。

単に悪者を倒すだけでない、正義であるはずのヒーローと同体の悪が登場することによって、ある種、正義と悪が表裏一体のものであることさえ表現しているかのような、不思議でいて同時に深い問いかけを私たち(私)に浴びせてくるのだ。

 

 

だから “偽物” は単に毎回登場する適役の一遍ではない、”別格” のスペシャルゲストのように思えるのだ。「ウルトラマン」で言えば “バルタン星人” や “ゼットン” が別扱いされるのは、そこにある特別性を演じきったからであり、私個人からすれば “偽ウルトラマン” もこれに比肩する別格の適役であったと思うのだ。

偽物は輝く、偽物は物語の一服の清涼剤となり得る。
だからこそ、多くの続きドラマの中盤で登用された。「ジャイアントロボ」しかり「ウルトラセブン」しかり「仮面ライダー」しかり、そして「水戸黄門」しかり・・。

 

大抵の場合、偽物の最後は無様な敗北を喫する。
偽物が本物に勝てるわけがない、否、勝ってはならないのだろう。それこそが社会の求めるところであり、この世の正義のメルクマールなのだ。

だが、それでも “偽物” が 完全に消え去ることはない。
何とかの城ではないが “何度でも甦る!” 。この世に “本物” が存在する限り、また “偽物” もダークに輝き続けるのだ。

 

 

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