恐縮ながら二週分割させて頂いた “タチビな車 vol.05″、今回はミニマムRVな「スバル・ドミンゴ」に引き続き、その先輩格『バモスホンダ』である。 前回文末で言及してしまったので出オチ以下であるw。
さて、ドミンゴを遡ること13年前、大阪万博の興奮冷めやらぬ1970年11月「バモスホンダ」は世に姿を現した。当時の感覚と流行り言葉で言うなら「アッと驚くタメゴロー!」なスタイルであったこと請け合いであろう。
それまでホンダの主力軽トラック「TN360」のコンポーネントを流用、基本 軽トラの車体から屋根もドアも廃したフルオープンな出で立ちは斬新!・・と言うか、少々珍妙な雰囲気さえまとっていた。 緩衝装置の役割を持たされたボンネットのタイヤ、オリーブドラブの車体色は軍用車のようなイメージをも醸し出している・・。
乗ったことはないが、間近で拝見したことはある。普通 有るべきものを取っ払った剥き出しの軽トラ・・、走行感覚はどんなものであったのだろう・・?、今以って興味は尽きない。
前回の「ドミンゴ」はスペイン語で “休日” だったが、こちらはこちらで やはりスペイン語、VAMOS、英語で言うところの “Let’s go!” の意味らしい。要するに “陽光のもとへ、さぁ!出掛けよう!” な感じか・・
2人乗りの「バモス2」、4人乗りの「バモス4」、そして後部ラゲッジスペースまで幌で覆う「バモス・フルホロ」が設定されており、様々な用途・レジャーシーンに対応出来るよう考えられていたようだ。
一応、前後席の間にロールバーが装備され、転落防止のためにドア部分にサイドバーが渡されてはいたが、大きな事故が起こった場合の被害は想像に余りある状況といえよう。
「ドミンゴ」の旧軽ボディでの7人乗りと同じく、現代なら絶対に認可の降りそうにないツキ抜けた企画であった・・。
マァこの辺りは当時 話題となっており「ダイハツ・フェロー」で実現された “バギー” 的思想の表れ、”乗って遊ぶなら自己責任で・・” といったところなのかもしれないw。
ともあれ、この車に賭けたホンダの意気込みが どれ程であったかは不明だが、生産台数 2500台(初代)と、お世辞にも売れたとは言えない成績ではあった。
「ドミンゴ」が、さぁこれから本格的なRVの時代という時に、まともにバブル崩壊の煽りを受けてしまったのに対して、この「バモスホンダ」の方は、端的に言って “時代を先取りし過ぎた” 感が否めない。
レジャーバイクの「DAX」などで、車への嗜好多角化が見え始めていたとはいえ、70年当時、車はまだまだ高級品、一家にようやく一台が普及しかけた頃、完全に遊び用途の車には手が出ない・・というより、そもそも そういう感覚が成熟していない時代だった。
おそらく若い世代をターゲットに見込んでいたであろう企画ではあったが、価格コストも抑えられていたとはいえ、当時35万前後のお金をレジャーのためだけに ポンと出せる若者はそうそういなかったと思う。
世に出るのが早すぎた「バモスホンダ」、商業的には残念な結果であったが、今の世に そのままの姿で復活すれば話題をさらうことこの上ないであろう。 前回も書いたがヤリきり感の強い車はたとえデメリットが有っても魅力的な輝きを失わないものだ。
わずか3年足らずで その幕を閉じた薄幸の革命児「バモスホンダ」
その後 四半世紀を越えて、その名を受け継ぎ復活した「ホンダ・バモス」
しかし、21世紀を前に復活した “バモス” が受け継いだものは “名” と “雰囲気” だけであり、実質的に他の軽ワゴンと大差ない内容の車となっていた。
確かに使い勝手は向上し、安全面・経済性などでは比べようもないのだが・・、まぁ上でも書いたように、初代バモスをそのまま復活させること自体が今の社会では無理な話である。 オマケに抱えきれないほどの性能諸条件を突きつけられ、より多くのニーズを満たそうとすれば・・そうなってしまうのだろう・・。
それでも各種エクイップメントを充実させ、4WD、ハイルーフの設定追加など積み重ねながら20年近くにわたって販売され続けた。
おそらくは総計 数十万台は売っているであろうから、私ごときがいくら初代バモスを持ち上げようと月−スッポンの差である。
売れたものの前には頭が上がらないのである。
個人的に言えば、HONDAのオートバイは以前書いた “CB50” を皮切りに “GL400” や “VT250” また “XL125” など色々乗り継いだ。車では “ビート” や “ライフJB5” などに乗った。・・が、特にHONDAそのものに贔屓や思い入れがあるわけではない・・。
しかし、HONDA というメーカーは(近年ではだいぶ薄まったが)割と些細なところにしぶといこだわりを持っていたり、時折 何でこうしたかね・・?と思うような妙な製品やシステムを出してくるところがある。
それが、本田宗一郎に端を発するDNAなのかどうかは分からないが、ある意味当たり外れの大きい こういった姿勢は、堅実を旨とするトヨタなどでは見られないHONDA独特のチャレンジ精神の表れともいえ、いつまでも失ってほしくないHONDAの原動力だと思えるのだ・・。