以前の記事で書いたかどうか・・ 運動オンチである。
体を動かすのが苦手で、何かしら考えているか、物を弄り倒している方が性に合っている。 おかげで道楽者&運動不足のおっさんに育ってしまった。
4歳の時、事故で右足を痛めたことから、しばらく足元が上手く使えなかったのが一因でもあるが、その後、小学1~2年生の時の “親に掛かるある事” が理由で運動そのものが嫌いになってしまった。 そりゃもう本当に嫌いで学校の体育の成績・通知簿で “1” をもらって帰るくらいにダメになった。(ある事については書かない)
放課後、友達との遊びで走り回ったりふざけたりする分には気にもしないが、事そこに “運動” “体育” “スポーツ” というキーワードがのってくると、途端に拒否反応が沸き起こってくる。 結果、体を使わずに頭と手先を使う・・傍から見ていると いつも何かしらボーッと考えているような子供だったようだ・・。
悪いのは “スポーツ競技” にも関心が無いので、その方面で人との話に合わせられない。昨年・今年と続くオリンピックにも、苦労して頑張っている方が数多おられように、こちらはさっぱり “どうでもいい” 感覚・・ 何かこう気づつない・・。
とはいえ こんな私でも生涯、スポーツへの関心が “0” というわけではなかった。
高校時代から20代にかけてプロ野球「阪急ブレーブス」のファンであったのだ。
今はもう、社会のプロスポーツへの関心も多角化して その影も多少 薄くなったが、昭和時代、プロスポーツと言えば「野球」であった。 プロではないが “高校野球” も人気があった。 贔屓の球団の一つもなければ何となく片身の狭いくらいの世相であったのだ。
ともあれ、70~80年代前半の “上田阪急” は強かった。優勝もさることながら、その勢いのある勝ち方が好きだったのだ。
関西在住なので周囲のツレには阪神ファンが多かったが、ヘンコな性分が働いて “それなら俺は阪急で” と思ったこともあるのかもしれない。 学校の “歴史?” の先生が近鉄ファンであり、授業そっちのけでバファローズの話ばかりするので、それへの対抗だったかもしれない。
サイクルヒッター・アホ呼ばわりにもめげない “加藤秀司” 、アンダースロー・基本クソ真面目な “山田久志” 、盗塁王1000盗塁・馬とも競わされた “福本豊” 、ハイレベルなトリプルスリー “簑田浩二” 、叩き上げスイッチヒッター “松永浩美” 、そして、ぶっ飛ばし屋 “ブーマー” 、個性豊かな選手も魅力的だった。
昭和63年(1988年)阪急は球団を手放しオリックスへと譲渡されることとなった。
満場のスタンドを見上げながら上田利治 監督が言った「ブレーブスは阪急のものでもなければオリックスのものでもない、応援してくれるファンのものだ」のスピーチには思わず涙腺が緩んだものだ。 今はもうブレーブスの名さえ失われて消えた・・。
その後のオリックスの動向に意見は持たない。上田が辞任しブーマーが去った時点で旧阪急色からの脱却は明確であり、自分も球団への、そしてプロ野球への興味もなくなった。 以降、元のスポーツへの関心無し人間に戻ってしまった・・。
自分が現在のプロ野球のことを知らないだけだとは思うが・・、当時はその実力とともに、妙にキャラクターの濃い、ユニークな選手が多かったような気がする。
上で挙げた “ブーマー・ウェルズ” しかり “アニマル・レスリー” しかり、当時話題を攫った阪神の “ランディ・バース” 、巨人 “ウォーレン・クロマティ” など、外国人選手ではその傾向が顕著だったように思う。
“衣笠祥雄”、”川藤幸三”、”江夏豊”、”田淵幸一”、”村田兆治”、”山本浩二”、”星野仙一”、”掛布雅之”、”真弓明信”、”落合博満”、”安田猛”、”中畑清”、”香川伸行”、”池山隆寛”、”広沢克己” ついでに “パンチ佐藤”、日本人選手でも 数え上げれば切りがない(・・というより自分が紹介の素養を持たないだけかもしれないが・・)
判定やデッドボールをきっかけに乱闘も時折起こったし、良くも悪くも玉石混淆、熱い坩堝の中のごとく、エネルギッシュに そのプレイと個性を十全に発揮していた。
“ブーマー” は好きだった。それなりに愛想良かったし日本の風土に馴染もうと努力もしていた。阪急ブレーブスに対する愛着も人一倍強かった。 現役引退後は野球のエージェントをしていたそうで、2012年にはセパ交流戦の始球式に来日・登板した・・が、
(@_@;) 何じゃ?! その腹は? ”小錦” かと思ったぞ?! NHK の幼児向け番組に出れるんじゃないのか?* 一般人とはいえ 元パワーヒッター・ホームラン増産機だぞ? もう少しその腹 何とかならんのか?! (* 小錦はNHK「にほんごであそぼ」に出演中)
「オマエモナー」 という返事が聞こえてきそうだ・・。