青春の轍(後)

「青春時代が〜 夢なんて〜♪」 森田公一とトップギャランによる歌が流行っていた頃、原付バイクで青春を謳歌していた。 友達の顔、行く先々での景色、ほろ苦い想い出、今にして思えば、まことに “後からほのぼの思うもの” である。

CB50を駆ってひとりで遠くに出掛ける時は、主に奈良方面へ向かうのんびりした地方国道、●●km/h 位の巡航速度で流すのが好きだった。この時ばかりは10500rpmの高回転域には御用がない。 日も傾く中 ひた走る帰り道の頭の中には、森田公一よりも “ゴダイゴ” の「ガンダーラ」が流れていた。

 

「カブ」や「メイト」「バーディー」で商用原付バイクの市場を満たした各メーカーは、新たなカジュアル・レジャーバイク市場を埋めるべく、次々と魅力的な商品開発に取り組んでいた。 その中でもやはり先駆となり多くのユーザーを獲得した「ホンダ DAX」の存在は大きい。

遊園地から公道へ飛び出した「ホンダ モンキー」は、可愛らしさから多くの人に愛されたが、その小ささゆえに日常的な使用はいささかの覚悟が要る。 サイズ的にも手頃でアクティビティに優れた「DAX」が売れたことにも納得がいく。

実際、利用した人は限られるが、折りたたみ式ハンドルや漏れ出し防止ガソリンタンクなど、車のラゲッジルームに積んで運ぶスタイルは、車やオートバイが実用を離れレジャーの世界に足を踏み入れた、新時代の到来を高らかに歌い上げていたのだろう。

“対DAX” としてヤマハからデビューした「Bobby / ボビィ」も健闘したが、「DAX」の牙城を崩すには至らなかった。 個人的には(主にスタイリングの面で)DAX よりも Bobby の方が好みで、数年前に入手したものをレストアして今でも持っている。

スズキから「hopper / ホッパー」「VanVan / バンバン」、カワサキから「KV75」などリリースされたが、やはり「DAX」の揺るぎなさには適っていない。バンバンが50-80-125ccと展開して多少なりとも売れたくらいか・・。

今見ると どのバイクも それぞれの魅力に輝いていて、決してDAXに見劣りするものではないのだが、当時(今ほどではないが)環境問題も含めて2サイクルエンジンに対する煙や油っぽさが嫌われはじめていたのも一因かもしれない。 コスト&パフォーマンスの面もあろうが、ホンダ以外各社はもう少し早くから小排気量車への4サイクル化を進めていれば、結果はまた違ったものになっていたのではなかろうか・・。

 

当然ながら 我が愛車「CB50」には殊更の思い入れがあるが、高回転型エンジンとはいえ瞬発力で2サイクルに一歩を譲る。対するヤマハからは「RD50」スズキからは「RG50」が出されており、マイナーチェンジを経ながらも長くCB50と公道での覇を競っていた。

面白いのはヤマハからリリースされていた ミニマムカフェレーサー「GR50」、反してのんびりホースバックライディング、スズキ「OR50 / マメタン」といったところか、どちらも50ccフルサイズから 一段小ぶりな車体に個性を輝かせていたと思う。

オフロードジャンルも負けてはいない。この50ccランクで最も歴史を刻み存在意義を持ち続けたのは、スズキ「ハスラー / TS50」だったのではなかろうか。幾代に渡って改良を繰り返しコンペへの架け橋ともなった。 前後タイヤを小径化した「ミニタン / OM50」もあった。同スケールの「ホンダ XE50/75」への対抗といったところか・・。

同じオフロードでも “トライアル” に向けては、ホンダから「バイアルス / TL50」ヤマハから「TY50/80」がリリースされており、どちらかというとバイアルスがツーリングも含んだ実用性をも併せ持っているのに対し、TY50/80の方はよりコンペ向きといった感じだった。

事程左様に 時速30km制限の原付カテゴリーが、それ以上の中大型バイクと何ら変わりない様々なジャンルを完備していたのである。 現在からは想像も出来ないほどに・・。

ここに原付カテゴリーならではの女性向け “お買い物バイク”(シャリー、チャピィ、ユーディミニなど)が多数位置し、さらにそれが “ホンダ パルシリーズ” や “ヤマハ パッソルシリーズ” として増殖してゆくのだから、その様はまさに百花繚乱の状態であった。

時が経つ内に このミニバイク市場、特にロードバイクジャンルにおける馬力競争に歯止めがかからない状態となり、ユーザーおいてけぼりのような様相さえ呈する有様となった。 次世代とでも言うべき “スクーターブーム” が始まると、このジャンルは急速に陳腐化を進め、原付は “単なる足” と化した。 今や過日の賑わいの見る影もない。

 

いかなるものにも、いつか終わりは訪れる。永遠のものなど何処にもない。
そりゃそうだ、青春を謳歌していた小僧も 今や目尻のたるみや年金を気にする年となったw。

それでも この頭、この胸の奥には、あの日 CB50で駆け抜けたカン高いエンジン音とともに、死ぬまで忘れないであろう様々な想い出が焼き付いている。 それで充分なのだと思う。 “何処かにあるユートピア” ではなく “確かにそこにあったユートピア” なのだ。


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