どっかん!どっかん!どっかん!と – 地上の音符 ♪

冒頭から貼動画で何だが、この動画を拝見して今回の記事のきっかけとなった・・。

 

小学2年生頃だったか・・音楽の授業・・

「音符のお勉強・・・ ト音記号が・・ヘ音記号の時・・」

「? ド? え?ファ?・・・???」

以来 50数年間 音符音痴である。オタマジャクシのことはさっぱり解らない。
面倒くさがり屋なので勉強して解ろうともしない・・。

しかし 実際、音楽を聞くことは大好きである。クラシックも映画・アニメ音楽も 歌謡曲も ハードロックや演歌に至るまで、かなり広範囲に好きである。

あまつさえ楽器を演奏することに憧れを感じている。 ・・本当、ピアノであれバイオリンであれ、ギターやトランペットであれ、演奏できる人が羨ましいかぎり・・・。

そもそも 左手と右手で異なる動作を同時に進められる能力が信じられん、 ドラムやエレクトーンなんかに至っては、両手両足 全部バラバラに使っとるやないか! もう私から見れば人間離れした超級の技能に他ならない・・。

愚痴を並べていても仕方がないのだが、こんな私が幼い頃 憧れた最初の職業が あろうことか “指揮者” であった。 パリッとしたタキシードを着て、指揮棒一本で数十名からなる楽団を我が楽器のごとく縦横無尽にコントロールし、流麗な音楽を奏でる姿に憧れたのだ・・。

カスタネットが精一杯の*我が身に何とおこがましい憧れといったところだが、まあ子供のことでもあるし・・w。
(* カスタネットもちゃんと演奏するのは結構難しい・・)

 

当時、まだ発展の途上ともいえた日本のクラシック楽壇において、頭角を現していた指揮者といえば 後に “世界のオザワ” と呼ばれた小澤征爾や秋山和慶、岩城宏之や尾高忠明といったところか・・。

しかし、その頃 同じクラシック音楽の世界にあってタクトを振りながら、一際 異彩を放った指揮者が居た。

「♪ 大きいことは良いことだ !! ♪」山本直純 である。

小澤や秋山らと同じ、昭和前期、日本クラシック界牽引の雄でもあった齋藤秀雄の門下生でありながら、とかく特別なもの・高級なものとされがちなクラシック音楽への再認識と普及のため、”崇高” な楽壇よりも一般的なメディアに多数関わりを持ち、独特な風采と語り口で衆望を広げていった人物である。

 

上記 “大きいことは・・♪” は何の音楽だったのだろう? 確か続くのが「森永・・エールチョコレート!♪」だったと思うので お菓子のCMだったのだろう。 ・・と、思って調べてみたら動画が残っていた・・。全く結構なネットの世の中だ。

因みに 同時期、森永製菓のCM曲としてお馴染みだった「誰もいないと思っていても・・♪」の歌も、そのノリとテンポから山本の作曲かと思ったが、芥川也寸志によるものだった。 「エンゼルはいつでも」山本の話からずれてしまうが懐かしいので一応貼っておく。

 

ともかく山本直純の手になる作品には衆知のものが多い。

 

「火の用心のうた」 先頭で本人が纏を振っている。

「若さだよ、ヤマちゃん!」 佐藤 允 主演で知られていた。

「マグマ大使」 説明の要無しマーチソング

「男はつらいよ」 こちらも昭和の象徴歌のような存在

そして 極めつけが童謡「一年生になったら」であろう。

 

とにかく “トン トン トコトン♪ ドッカン ドッカン ドカタン♪” と、ドラム・・と言うより太鼓で演奏出来そうな、民謡? 否、祭のリズムのようなエネルギーが 殆どの曲の通底に流れている。

総合プロデュースを手掛けたテレビ番組「オーケストラがやってきた」では、自ら司会者として立ち、クラシック音楽の理解と普及に勤しんだが、ユニークで、ある種ぞんざいにもとれるトークの中には、燃え盛るような “祭の躍動感” そして “高揚と歓喜” が脈打っていたように思う。

彼にとってクラシック曲は、音楽によって得られる無上の境地に至るための ひとつの手段であり、”高級な音楽” の紹介など眼中に無かったのではないだろうか。
そして その根底には日本の民族的律動が途切れることなく流れていたのだ。

 

山本と同期・同門であり無二の親友といわれた岩城宏之は、スタンダードにクラシック音楽指揮者の道に進んだが、やはり単なる西洋音楽の案内者とはならず、積極的に日本人作曲家による現代音楽作品の敷衍・普及に努めた。

クラシック音楽の愛好者でさえ 取っ付きの捗々しくない、”日本人作曲家による現代音楽” をプログラムに組み入れることは 総じて “客の入り” を下げることになりかねず、興行側としては嬉しくない選曲だが、それでも精力的にそれを推し進める岩城の心情には、通り一遍でない本質的な音楽文化の普及があったのだろう。

盟友 山本直純とは異なるアプローチながら目指す境地は近かったのかも知れない。

 

昭和に活躍した音楽家の多くは新たな手法、新たな想念を取り入れながら次々と音楽に新しい息吹を吹き込んでいった。 明治以降 流入した西洋音楽を軸に積み上げてきた文化に、古来からの旋律の融合を試みた者も多くいた。

文化という側面から社会の隆盛を夢見たつわ者たち、あらゆる文化が、坩堝の中で赤熱する鉄のように渦巻き燃えていた昭和時代ならではの風景であったのだ。

謝:文中 敬称略

 

 

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