“美少女キャラ” で画像検索してみると、お目々キラキラの可愛い女の子が山ほど登場する。 いつの時代も若く美しい女性は人気の的である。
現代だけの話しではなく、おそらくは大正・明治・江戸・室町時代と遡っても、それなりに “美人キャラ” は世でもてはやされたのであろう、平安時代の “小野小町” 逸話や、それ以前の歴史・神話伝承にも それらは見留められる。
“美しい” に関しては、時代や個々人での感性にかなりの幅が見られるので一口に及ばないが(まあ、およそ “均整のとれた” といった感じか)、”若い女性” というのは、元々 多産・繁栄の象徴 “母神” 信仰につながるものなのだろうか・・。
まあ とりあえず、公衆に商品やサービスなどの魅力を訴えるのであれば、老けたオッサンよりは “美少女” の方が ウケは良いし、見栄えもしようというものだろうね。
古いものはともかく、ここ20〜30年の “美少女キャラ” の草分け、要するに直系の祖先は何だったのだろうと考えたとき、二人のキャラクターが頭に浮かんだ。(私の脳内のことであり正解は解らないが・・)

『日ペンの美子ちゃん』(ミコちゃん)
ビックリした、まだ健在ですがな・・w(失礼 m(__)m)。 →参考リンク
1972年、日本ペン習字研究会主催、ボールペン習字通信講座のキャラクターとして登場、雑誌の誌内や裏表紙の広告漫画で活躍、少年少女の馴染みとなった。
通信教育の広告漫画であったため、破天荒な展開やラブストーリーは無かったが、ライトなコントを挟みながらサービスの魅力に言及し、ウイットに富んだ話を単ページで完結させた作品は、それなりに心待ちにしている者も少なくなく “広告漫画” としては大きな成功を収めたのではないだろうか。
キャラクターとしての美子ちゃんは、比較的リアル指向であり基本的に女学生であったが、時にOLやスチュワーデス(フライトアテンダント)の役をこなすこともあった。

基本、真面目で人当たりも良く “クラスの委員長” を思わせるような性格でありながら、恋に憧れる少女を描いたシーンも多々あり、友人からの恋愛相談に絡めて “ハートを射止めるラブレターを美しい字で・・” という展開が多かった気がする。
漫画キャラクターとして派手な足跡を残したわけではないが、矢吹れい子 はじめ数名の漫画家によって描き継がれ、以来、途中の休憩を挟みながらも半世紀に渡って愛され続ける美子ちゃん、単ページ構成であるが故に “主人公” という枠を超えて “美子ちゃん とユーザーのための” 漫画だったとも言えよう。
小さな誌面の世界に生きながらも、後の漫画文化に残したもの、与えた影響は決して無視出来ないものであったのではないかと思う。

『プラモのモ子ちゃん』(モ子ちゃん)
株式会社タミヤが展開していたキャラクターである。
初出はいつだったか・・、70年代後半には既に登場していたような気がするが定かではない。 模型作りに関するチップス(コツやポイント)を教授してくれる漫画キャラクターとして、タミヤ配布の小冊子や広告で活躍していた。
趣味性に関わるものだけに読者層は限られるものの、昭和後半期に模型に興味を持っていた者で知らぬ者はいないほどのキャラクターであろう。
広大なモデルジャンルを包括するタミヤならでは、軍服からレーシングスーツ、水着姿から宇宙服まで様々なコスチュームで活躍していたが、やはり その役回りからか、赤青星タミヤマークのエプロン姿、模型屋の店員さんキャラが一番良く似合う。

模型の先輩から学ぶのも悪くないが、可愛い女の子のレクチャーならより気合いも入ろうといった感じか・・w、彼女の教程はその愛らしさに似合わず結構マニアックで本格的なものも多く、勉強になった者も、描いてあるとおりにやったつもりで失敗した者も数多居られるであろう。
藤田幸久(ふじたゆきひさ)という方が描かれていたそうだが詳細は不明、後にバトンタッチされたのか、現在 ネットで見られる “モ子ちゃん” の中には絵柄の異なる “モ子ちゃん” も存在するようだ。
純少女漫画調の美子ちゃんに対して、80〜90年代に隆盛した漫画・アニメに通ずる描形で、後の美少女キャラクターに大きな影響をもたらしたであろう。 違う見方をすれば、このあたりから “美人” よりも “可愛い人” に人気の比重が傾いていった時期なのかもしれない。
商品・サービスの販促のために女性を起用することは、古今東西 どこの国でも変わることはなかった(イスラム圏などでは知らないが・・)。
しかし、これから先の時代ではどうなってゆくのだろう・・男女の性差についても見直しが問われる中、そういった広告手法も変化してゆくのかもしれない。
でも、少なくとも私たちの世代の文化で 美しく可愛らしい女性は “華” であり、憧れであり望まれるものであった。 暮らしや趣味、そして娯楽へと彼女たちのキャラクターが結び付くのも当然であっただろう。
そして 時に、その商品の束縛や後ろ盾を失ってなお 彼女たちは我々の心に生き続けるのだ。