どちらも道

先日、角川映画の2篇について記事にした。
1970年代後半から80年代にかけて瞬く間に20本以上の作品を完成させ、それを大なり小なりヒットさせ世の話題を攫ったことは、それまで衰退の一途を辿っていた日本映画界にとって衝撃的な出来事であった。

80年代後半からは さすがにかつての勢いも衰えてゆき、その後はアニメーションなどとのコラボレーション企画などが多くなり、世間に大きな影響を残したものは 1998年公開の「リング」シリーズくらいのものか・・。

70〜80年代の爆烈な増産期に ひとつの疑義が呈されていた。 言うなれば “角川映画の功罪” といったところである。

角川映画の勃興・隆盛には作品の出来もさることながら、それまでにない大規模な宣伝手法が功を奏していた。 要するに “巧みに大々的に売り出し儲ける” という “角川春樹” 氏の戦略によるもので、このような売り方はやがて作品自体の質の低下を招く、というものだ。

 

こうした意見の先鋒となったのは 古くから日本映画に携わってきた監督や関係者であり、映画を “作品” として捉え創り上げてきた人々であり、映画を “商品・手法” として展開した “角川商法” は意にそぐわないものであったろう。

どちらの主張・手法が間違いということではないと思う。
角川春樹氏の人となりはともかく、時代に合わせて効果的なシステムを創成し、一時的とはいえ日本映画の再興を果たしたのは事実であるし、後の時代に残る作品や俳優を生み出したのもまた事実だ。

一方、儲けることが一義となった映画製作会社は その視点がどんどん短くなり、”とりあえず動員数を稼げそうな” 映画作りばかりが目立つようになってしまった。

結局のところ “絶対の正解” などない、全ては “ものは程” なのであろう。
それぞれがそれぞれの道なのである。

 

前置きが長くなってしまったが、このような本懐と実利・本道と間道をめぐる議論や見解は、世の至るところで見られる齟齬なのだろう。

今はすっかり中年世代の趣味となってしまった “模型 / プラモデル作り” 。
プラモデル全盛時代の昭和中盤期には、大小多くのメーカーが星の数ほど商品を生み出し、その覇を競いあっていた。

車や飛行機などメジャーなものから軍用機、電車・SL、帆船、自転車、お城、甲冑、果ては家具調度品に至るまで、社会に有るものは余すことなくと言えるほどモデル化し、現世に存在しない空想科学のものまで旺盛に商品として取り上げていった。

その中でも やはりスポーツカーや戦闘機、戦艦、戦車などが一番の売れどころなのだが、これらを精緻にモデル化しようとすると実物を前にした、極めて正確なスケーリング(測定)作業が必要となってくる。(いわゆるスケールモデル)

一般乗用車などならまだしも戦車・戦艦などにもなると、膨大無限な資料を求めて駆け回るか、それら実物が保存されている国まで出掛けて交渉、測定作業の流れとなる。 正直なところ、ある程度以上の資金力・開発力のあるメーカーでないとやっていられない。

他方、実物の存在しないSFものやキャラクターものは、スケーリング作業が必要でない代わりに “版権” に関わる契約費用が高額にかかり時に継続ロイヤリティも発生する。 これも資金に余裕のある会社に有利となるのは明らかであろう。

製造に関する技術力はあっても、売れ筋につながるモデル題材の確保が出来なければ ヒット商品も何もあったものではない。 ある意味 模型メーカーが抱える一番の悩みどころなのではないだろうか。

ならば どうするか、ならば いっその事 綿密なスケーリング作業も必要なく、版権料も払わなくていい、会社オリジナルの創作モデルを作れば良いじゃないか! そう考える者が現れたとて、それはごく自然な成り行きであったのだろう。

多くのメーカーが会社オリジナルの製品作りにチャレンジした。巷にはテレビでもマンガ雑誌でも見たことの無い、宇宙船や戦闘車両、ロボットや銃器、ついにはモンスターやカラ傘お化けに至るまで、様々なモデルが登場した。

まるで、プラモデル全盛時代の百花繚乱の一角を成していたかのような勢いであったが、逆に言うとどれも “そこそこ止まり” の売れ行きで、大ヒット商品となったものなど無かったように思う・・。

模型メーカーは 基本、技術屋さんの集まりであり、オリジナルデザインの構築力に不足していたこと、(そもそも時代的にもデザイン力発展途上であった)、自社単発開発でメディアとの連携がとれず、社会的規模の認知性に欠けていたことなどが主な原因か。 それ故に人気番組などにあやかった疑似商品も多い・・。(*パクリ商品との線引きが難しい)

つまり、この “人に訴えかける” 部分を極大化して成功した、上の “角川春樹 旋風” の逆の状態だったとでも言えよう・・。 商品単体の魅力では中々に成功し難い。

そして、この時も一種の認識齟齬のようなものがあったのだ。
プラモデル黎明期から王道として歩んできた “スケールモデル派” からすれば、オリジナル創作の SF・キャラクターものなど、玩具に等しいとも見做されていたのだ。

 

時代が変わり スケールモデルもオリジナルモデルも、共に模型界そのものが過去のものとされつつある現在、一部のモデラーからは昭和時代に花開いた、ユニークな徒花たちにも再び注目が集まっていると聞く。 単なる物珍しさだけでなく、その時代の模型文化を反映した貴重な作品でもあるからだ。

ブラウン管の向こうのヒーローにはなり得なかったが、中小メーカーの企画者が懸命になって生み出したモデルたちは、50年の時を越えて小さな脚光を浴びている。

その時に売れなければ意味がない、と言ってしまえば確かにそのとおりだが、彼らの存在が決して無意味ではなかったのも事実、これもまた道なのである。

 

 

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