メッキュゥ!

原題『McQ』 邦題『マックQ』  1974年公開のアメリカ映画である。アメリカさんの発音では “メッキュゥ!” となる。 どちらかというと もひとつヒット作とは言えない、少々コケ気味の興行成績だった。その割に憶えている人は憶えている・・評価も様々と趣深い作品。当サイト風に言えばタチビ(立ち位置微妙)な映画といったところか。

 

主演はハリウッド映画界の大御所 “ジョン・ウェイン” 映画公開当時 既に67歳の御年だった。 この5年後に癌で天に召されるまでラスト4作品のうちの1本となる。

少々コケ気味、当たり損ないとはいえ内容的にサッパリ・・というわけではない、筋立てはそれなりにまとまっているし、アクションシーンの演出もそこそこ奮っていた。

只、あくまで “それなり” であり “そこそこ” といった感は否めない。

1970年代といえばアクション映画の隆盛期でもあり、『マックQ』の同年74年には1400万ドル(当時)という莫大な制作費をかけ世界的なヒットとなった「タワーリング・インフェルノ」も封切られた。

刑事ものアクション映画の雄「ダーティハリー」は前年に「ダーティハリー2 / Magnum Force」が公開され、シリーズの人気を確定的なものとしていた。

「バニシング・ポイント / Vanishing Point 1971年」や「トランザム7000 / Smokey and the Bandit 1977年」でカーアクションも頂点に達しつつあったし、肉体派アクションとしては73年の「燃えよドラゴン / Enter the Dragon」が一世を風靡していた。

 

その中でのアクション映画 新規制作である。超大物 ジョン・ウェインを据えたは良いが、いかに西部荒野を駆け回り 戦場を生き抜いてきた不屈の男とて67歳ともなれば 自ずと限界も有る。

映画のキャッチコピー(おそらく日本の配給会社が考えたものか)

「裸の町シスコはハリーとブリットにまかせたぜ! 無法の町シアトルは俺が 1人で引き受けた!」

には、少々苦笑を禁じえないが、この時 “クリント・イーストウッド” “スティーブ・マックイーン” ともに44歳、壮年真っ盛り二人掛かりのシスコと、そろそろ年金世代一人のシアトルでは荷が違いすぎる。

さすがに、作品内でも馬力にまかせたスピードアクションという訳にもいかないからか、大人の魅力と風格を兼ね備えつつ ワイルドな面も持ち合わせるヒーローといった描かれ方をしていたように思う。

「ダーティハリー」の象徴ともなった(拳銃)”Smith & Wesson M29 通称マグナム44″ に対抗してか、(サブマシンガン) “Ingram Model 10 / イングラムM10” を導入したのは、後の「ニューヨーク1997(カート・ラッセル)」より ずっと早く、劇中でも活躍しアクションに華を添えたが、後一歩 活かしきれてなかったような感じ。

 

スマートさはなく、どよんと膨れたお腹の体躯を駆使しながらのアクションが喰い足らなかったのか、結果的に興行は振るわなかったが、上記のとおり一編の物語として見るなら、そこそこに緊張感を漂わせたまとまりの良い作品だったと思う。

初老ともいえる男の包容力とでも言おうか、若さだけでは演じきれないウェインの魅力は存分に発揮されていた。

それでも、今ひとつしっくり来なかったと思わせるのは、おそらく多くの人にとって “ジョン・ウェイン” とは、やはり “荒馬を乗りこなし幌馬車隊を率いる西部の男” だったからではないだろうか。

ジョン・ウェイン の若き頃を知る世代は、おそらく私より一回り上の世代の方だと思うが、1940~1950年代に数多の西部劇の金字塔を打ち立ててきた男は、やはり “西部劇” のイメージがつきまとう。 現代の刑事役は似合わないとは言わないが違和感も拭いきれなかったのだろう。

この映画の2年後、やはり大ヒットとはならなかったが、滋味溢れ評価の高い「ラスト・シューティスト / The Shootist」を最後の作品として出演、この時点でウェインの癌は一旦治まっていたが、その3年後 再発した後天寿を全うした。

余命幾ばくもないガンマンが、自らの死を見つめながら悪党との対決に挑む「ラスト・シューティスト」は、ウェインの死とともに追悼的にも宣伝されたが、撮影に臨んでいた時の彼の想いがどのようなものであったか、今となっては知る由もない。

映画界に燦然たる足跡を遺した男でも、多くの作品の中には “タチビ” なものも含まれる。しかし、それもまた ひとつの味わいと思うのだ・・。

 

 

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